短編

□気紛れな君
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「○」


聞き慣れた声にのろのろと身を起こせば、屋上に入ってきた沖田が私を探していた。
きょろきょろするのが面白くて上から眺めていれば、すこんと何かが飛んでくる。気付いていなかったから顔面に直撃した。


「だっ!」

「いたんなら声かけなせェ」

「いやあんたもな。いきなり投げるなよ」


膝の上に着地したのはくしゃくしゃになった紙の塊だ。いつぞや私がくしゃくしゃにした、進路志望書。
三つの枠には何も書かないまま提出して、銀ちゃんに呼び出された、諸悪の根源。

それをまじまじと見つめていると、ふいに視界が陰る。見にくいと思って顔を上げれば、いつのまにやら沖田も屋上のそのまた上に登ってきていた。逆光の中、端正な顔が陰影も濃く映し出される。


「進路、どうすんでィ」


知ってるのかよ、なんて思いながら苦笑する。銀ちゃんプライバシーくらい守ってよ。

答えないままリュックから菓子パンを出しビニールを開けて、口を押し付ける。
ちゃんと食べようと開けて、咀嚼して、やっぱり気持ち悪くなってあわててお茶で流し込んだ。だめだ。


「……○」


咎めるような声を聞きながら聞こえないふりをする。ビニール袋の上に一口食べただけのパンを置いて、うーんと伸びをした。


「食いなせェ」


おら、と視界の中に強引に入ってきた食べ物から顔を背け、手元の紙をまじまじと見やった。
どうせ諦めてくれるでしょ。

だけど、今日はそうはいかなかった。

いきなり肩を掴まれて、振り返った瞬間冷たいプラスチックの容器を押しつけられる。
へ、と間抜けな声を漏らしたのが聞こえたのだろうか、沖田は私の顔面が変形するくらい乱暴にゼリーを押し付ける。ひどい。

仕方なく受け取ればそのゼリーはお手製なのだろうか、サランラップで蓋がされていた。ん、と突き出されたスプーンを受け取ってしまう。


「……何?これ」

「いーから食え」


横暴極まりない。これで下手物だった日には私の顔面はいろいろと崩壊確実だろう。

疑り深い眼差しを沖田に向ければ、ようやく彼はきちんと私の目を見ていった。


「ねーさんが、これならてめえでも食うだろって作ってくれたんでィ。だから食え。つーか食わなきゃてめえの」

「ミツバ先輩が……?」


沖田の話をぶった切って目を見開いてしまう。手の中のゼリーはきれいな蜂蜜色で、なんだか納得してしまった。

ミツバ先輩は沖田のお姉さんで、何かと私の面倒を見てくれる優しい人だ。
わざわざ作ってくれたことがうれしくて、そしてらしくもなく沖田が私の心配してくれるのが可笑しくて、へにゃりと笑ってしまう。

沖田は私のその顔を見て少しだけ顔を歪めた。それはいい意味なのか悪い意味なのかわかんないけど、どっちでもよかった。


「じゃ、ありがたくいただきます。先輩にありがとうっていっといて」

「てめえが言いなせェ」

「あー会えたらね」


プラスチックの透明なスプーンで、蜂蜜色のゼリーを崩す。
ほのかな弾力が伝わって口に運べば、鼻腔をふわりと甘い香りがくすぐった。ぱくんと飲み込めば優しい味が口の中に広がった。

ふとまだ視線を感じるなと思って沖田のほうを見やれば、静かな目が私を見ていた。ばっちりと目が合ったことが嘘のようにするりと視線は逃される。
その視線の意味を知ってるから私は、黙ってゼリーを食べ終えて、少しだけ沖田のほうに身を寄せる。

冷たい指を伸ばしてそっと重ねれば、一瞬沖田の熱い指は跳ねて、それからゆっくり絡まった。

互いの顔は見ない。何事もないように他愛ない話を繰り広げながら、私はどうしても笑ってしまう。


なんでこんなに不器用なんだろうね、うちら。



近寄ったと思ったら、



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