ss
□七
12ページ/24ページ
12
ホールに戻れば、すでに人の姿はなかった。残されているのは銃鎗と硝煙にわずかな血痕、そして床に散らばった食べ物だ。
勿体ないなぁと呟く背後の男を無視し、人々をどこに捕えたのだろうとあたりを見回す。あれほどの人数を詰め込むなら、このホールより少し小さいくらいでぎゅうぎゅうだろう。ならばあの扉の奥だろうか。
ちらりと正面の扉に視線を向ければ、その横に立つあの男に気が付いた。左頬の傷、黒い着流し。
異様なほどに濃い視線が絡み合い、私は知らず口角を吊り上げていた。ああやっと会えたんだな。
私の、悪夢。
「いきなりハンデつけちまって悪いな、嬢ちゃん。俺も仕事でよ、そこの主人の命令なら絶対服従ってわけだ」
くい、と彼が顎でさしたのは背後にいる神威だった。人間である男が天人の神威に服従する理由、いやそれよりも先にこの男が攘夷浪士の徒党にいた理由。
それはそのまま攘夷浪士だから、では済まない。なぜなら彼が私を連れていったあの組織は、幕府の管轄内で囲われていたものなのだから。
なら、導きだされる答えは。
「裏切り者」
ぽつりと吐き出した言葉を的確に聞き取った男は、陰鬱に笑った。ああ聞きたくなかったこの笑い声。悪夢、私の悪夢。
「裏切り者ってのは違えな。俺は誰も裏切っちゃいない。誰とも契約したわけでもないんだから」
すべてはこいつに始まったのだ。だから終わらせるべきもこの男。
男が死んでも私が死んでも終わりだ、どうせ生き延びたにしてもそのあと後ろの兎に殺される。
それでも、構わない。
「なんでもいいさ、どうせ斬り合うならどちらかが死ぬのは決まっている。残ったほうは後ろの兎に殺されるんだろうから」
「ああもしかして後ろの兎って俺のこと?」
けろっとした口調に思わず苦笑しながら、軽く頷いた。振り返り、手を突き出す。
「もう返してくださっても構わないでしょう?」
神威は一度私の刀を眺めたあと、頷きそれをこちらに放ってきた。
手に馴染む、嫌になるくらい大切な刀。大っ嫌いででも何よりも大切だった、私の命を救い続けた刀。でもそれは父の命を奪った男のもの。
けれど、もう関係ない。
私がこの男を斬ればいいだけ。それで、そうして初めて終わる。
私の悪夢が、終わるのだ。
熱を放つ右脚の存在などとるに足りない、そう思ったのもつかの間、ようやく硝煙が晴れて現れた男の姿に絶句した。
怠惰そうな懐手から出ているはずの両手は存在しない、右腕だけだ。
隻椀。
「それ……」
思わず呟いたその言葉に男はああ、と鷹揚に笑った。
気付けば神威の手下だろうか、幾人かが私たちを取り囲むようにして立っていた。皆夜兎なのだろうか、顔つきが普通とは違う。
「お前の後ろにいる俺の主人に初めて会ったときいきなりな。お前だけハンデ負ってるっつうわけじゃないってこった。平等だろ?」
どこが、と吐き捨てて笑った。こちらは止血もなしに本番だ、それに生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、ああ身体の興奮は冷めやらぬ。
戦え闘え戦え。斬って捨てろ斬り裂いて棄てろ斬り落としてしまえ。身体中につく余分な肉を、すべて。この男が父にやったように。
向き合ったその瞬間。
高い鍔鳴りの音を響かせながら思うことは。
ああ、血が匂うな、ただそれだけ。
.