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□七
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「……本気で来るとは、思わなかったぜ、嬢ちゃん」


静かな言葉が耳の中に落ちる。そのだだっ広いホールの階段に腰掛けた隻腕の男が、ゆるやかに視線をこちらへと向けた。それに相対するがために、唇に笑みを刻み込む。


「約束は守るのが義務です。喩えそれが仇敵とのものといえど」


対する私は、隣に立つ沖田君から愛刀を受け取って、それを静かに鞘から抜き放った。

居合いを主に戦う私の、放棄。

その意味を、この男がわからないはずがない。

男の口に笑みが浮かび上がる。愉しそうに楽しそうに目を細め、笑みを深めた男はゆるやかに立ち上がった。同時に沖田君が背後のほうへと下がっていき、視界の隅のほうにいた春雨の面子が現れる。一番手前に座る神威は、やはり一度楽しそうにこちらへと手を上げただけだった。動く気はないのだろう。


「死んだら終わり。それ以外のルールはいらねえな?」

「無論構いません。転がる死体は君のものですから」

「でかい口を聞きやがる。さて、じゃあ始めるか、嬢ちゃん」

「ええ、では始めましょう」


殺し合いを。


言葉にしない一瞬の空白を刻み、私は鋭く足を踏み込んだ。向こうもまたためらいなくこちらへと足を踏み出し、そして繰り出された激しい突きを刀でいなす。
鋭い鋼鉄の音が高いホールに響き渡った。

切り結び、突き放し、その度に何度も視線は交わる。それはまるで互いに恋しているかのように、熱く濃密な交わり。他の誰をも踏み込むことはできない、相対する二人のためだけのもの。


ある意味では、師と弟子だった。そう言える立場だったのだろう。

あの地下へと引きずり込まれる前に、私を鍛え続けていたのはこの男。どやされ殴り付けられ、何度も何度も型を振らされた、殺すための型を。毎日毎日しつこく何度も、身体が寝ていても動くほど延々と。

そのおかげで今までやってこれたともいえるのだから、それは感謝しなければいけないな、そう笑う。切り結んだ瞬間、男の目が可笑しそうに光った。楽しんでいるのか。


「てめえと斬り合ったのは、これで何度目だ」


いっそ唇が重なってしまいそうな距離で囁いて、同時に鍔が痺れるような音を立てる。ぎりぎりと圧迫されるような痛みに舌打ちし、全力をもって押し返し距離をあける。わずかに腹部が痛みを訴えた。


「真剣を持ってやったのは、これとあのとき、二度だけでは?」


そう答えながら刀をしっかりと掴み、腰を落とす。斬ってしまえ、そんな言葉がしつこく繰り返された。わかってるよ。私はそうするためにこれを握っているんだから。

悪夢を、二度と見ないように、殺せ。

ちゃきり、と構え直されるそれを穏やかに見つめ、互いの視線を絡みとる。逃げ出させないように、互い以外見えなくなるほどに。


「――」


この一瞬をなんと呼ぶのが正しいのだろう?


相手の呼吸すらも噛み合ったかのように全く同じ、そのたったほんの一刹那。名前もないだろうこの一瞬だけ、仇敵である男は、私になる。私と、全く同じ生き物に。

それはどんな生き物だろう、そう考えながら私の足は地面を強く蹴った。それはもうただ転がっていくかのように、凄まじい勢いで、駆ける。あのとき誤って転げ落ちた悪夢の元に、今度は自分自身の意志で。


復讐を、悪夢を、忘れられなかったのは私。


ぶつかる寸前、真白の一線が閃き、私たちはそれこそ鏡に映したかのように同じ表情を浮かべていた。ああ、これでは終われない、そう。

キィンッ――……!!

鋭い金属音が弾けて思わず顔が歪む。ぶつかった衝撃は昨晩の情事でもよく認識できた、あの肋骨に突き刺さるように送られる。だがそれを悟らせるわけにもいかず、深追いすることなく刀から逃れ身体をひねった。

二撃目のそれを避けたことで姿勢はより低くなるが、そのまま男の足を狙えば即座に飛んできた刀によっていなされる。ばっと転がって体勢を立て直したとたん、もう一度刀が閃いた。それすらも必死に避けようとして赤い血潮が跳ねる。ぱっくりと頬が割れたことを知った。

さらに重ねられる追撃を紙一重でかわし、なめらかに足を蹴り上げる。予想だにしていなかったのだろうか、男の体勢ががくりと崩れ、それを追って私の刀が滑る。その一瞬、終わりを思って心が歓喜の叫び声を上げた。


ザシュッ――……!!


「っ、――う!!」


どうしてだかわからなかった。滑る腕は確かに男の胸を斬り裂こうとしていたのに、今そこから赤い飛沫が飛び散ったのは。

私。

たたらを踏むようにしてどうにか後退り、必死に刀を握り直しても、それはわずかに震えていた。終わる、おわる、おわってしまう。

私の死という決定的な終わりが、やってきてしまう。

切っ先の向こうで緩やかに体制を立て直した男の、手の中の刀の先は赤く染まっていた。そのことがどうしようもなく怖くて、震える。


私は、この悪夢から逃れられないの――?


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