過去編
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「…さて、まずはお風呂で身体を綺麗に洗いましょうか☆」
「お風呂…?」
屋敷に入って、メフィストはそう言った。
白いワンピース、とも言えない貧相な黄ばんだ服は長い間変えられていなかったのではないかと思われるほどくたびれ、16歳という少女が着るにはサイズも小さい。
地肌は彼方此方土やらススやらで汚れ、長く伸ばしている髪はゴワゴワ、お世辞にも綺麗とは到底いえない。
アレルギー持ちのメフィストの鼻がむず痒くなるのも当然だ。
メフィストはレイナを風呂場に連れて行き、早急に服を脱ぐよう指示をした。
「その汚い服は脱ぎなさい。捨てますから。」
上からそれを脱げば、どこからかピョンと魍魎が顔を出す。
中は歳に合わない簡素な下着を上下で一枚着ていただけ。
「今日は、私も一緒に入って差し上げます。貴方は少しずつ、"常識"を学びなさい☆」
元々レイナ頭がいい。
研究所のいろんな医学書や、本を読みあさっていたのだから知識はある。
頭も切れて、鋭い。
そんなレイナに最も欠けているのは、おそらく人としての"常識"だけ。
「お風呂って、毎日入るの?」
無駄に広い浴室で、シャワーの温度を確かめていたメフィストに、レイナは問う。
素肌を晒し、大人しくちょこんとそこに座っているレイナ。
服で隠れていた胸や背中には、痣やかすり傷、火傷の跡まで見える。
「動けば汗をかきますし、大抵は毎日入ります。流石に臭いますからね☆」
背中からシャワーをかけてやると、ピクリと反応するレイナの身体。
「やはり痛みますか?」
「…平気。」
そういいつつも、少し眉間に皺を寄せる。
スポンジにボディーソープを染み込ませ、泡立てると、できるだけ優しく、まだ未発達な彼女の身体を洗った。
ラベンダーの香りが鼻につく。
流せば真っ白な肌に、傷たちは不釣り合いに映えてしまう。
少し赤みを帯びたレイナの柔肌に、酷く痛々しく見える。
「大丈夫だよ。暫くしたら消えるから。」
思わず手を止めてしまったメフィストを察してか、彼女はそう言った。
「…目を閉じなさい。」
メフィストは何もない素振りで、レイナの頭にお湯をかけた。
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…チャポンと、微かに水を弾く音。
大きめのバスタブに足を伸ばしても、長身のメフィストにはまだ小さい。
仕方なく膝を曲げてお湯に浸かるメフィストの上に背中を向け、レイナは寄りかかっていた。
洗ったばかりの長い髪は、フワフワとお湯の中で浮かぶ。
「…人間て、面倒くさいな。」
「慣れればそうでもありませんよ。」
「メフィストって物好きだよな。」
「よく言われます☆」
メフィストは、レイナの腹に腕をまわし、ギュッ身を寄せる。
「どうです?初めての外の世界は。」
「まだ、実感がわかない。」
メフィストの手に、自分の小さな手を重ね、遠くを見つめるレイナ。
「…メフィスト。」
「はい?」
「アタシ、此処にいていいのかな?」
静かな浴室で、響く声。
その言葉に、メフィストは目を丸くした。
「だって、アタシは本当はこの世に生まれちゃいけない存在で、ここにいるのもあっちゃいけないことの気がするんだ。」
メフィストの手を、そっと自分の胸元へと導く。
そこには、本来人にはある筈のない小さな鍵穴。
触れれば、直に伝わってくる少し速いレイナの鼓動。
「生きてる実感はあるのに、いつかはこの心臓だって、アタシのものじゃなくなる。そう思うと、やっぱり怖いんだ。」
そう言って、哀しげに笑うレイナに、いたたまれなくなった。
「ねぇ、メフィスト、」
何か言いかけるレイナに、そんな話聞きたくないと、後ろから強く抱きすくめる。
「…そう簡単に死なせません。」
耳元で、そう囁いた。
メフィストは、神ではない。
ましてや、純真な天使などでもない。
わかっているのだ、誰よりもレイナを理解するメフィストにとって、そんな言葉は彼女にとっては気休めにしかならないことだと。
彼女の運命は決まっていた。
「メフィストの、そういう所が悪魔らしくないよな。」
クスクスとまるで悪戯をした子供のように、無邪気に笑う彼女。
「公私混合はしない主義なんでしょう?」
そう言って笑うレイナの顔は見れず、メフィストは更に強くその身を抱きしめた。
初めて感じた貴女の体温
(それは思ったより暖かくて…)
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