┣短編小説

□黒い扇子
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はい、あとがきです。


すっごく救いようの無い話ですね。

えげつなくて、とてつもなく怖い話です。



人は殺しを“集団”でやると結構流れよく出来るらしいんです。
そして、その集団も慣れればなれるほど残虐性を増すそうです。


関係なくなりますが、
シューティングゲーム。

これは“敵兵を躊躇無く撃ち殺す”事を目的として開発されたものが起源だそうです。


そう、命中以前に、

“殺すことに罪悪感を持たせない”ということを重視されていたんですね。


怖い話です。


人間、そういう簡単な事で人を殺すことを平気に行えるんでしょうか。
でも実際、そうだから犯罪は一回で止められないんでしょう。





人の目には、
本当に正しく世界が写っているのでしょうか。

これはまぁ、国語の先生の言葉ですが、

わたしも同じことを考えてみました。



それは厳密に答えなどないでしょうが、
おそらく脳内変換は多少行われていることでしょう。

関連はまた無いのですが、

名称と物の価値観は、
生活の中で覚えるものですよね?


たとえばミカンは食べ物だという具合に、
当然のようにおそわって来たわけです。

だから、
もしもこれを利用するとしたら、

“人間は的”ということも簡単に出来てしまうのではないですかね。

“楽しい事は殺すこと”と教え込んでしまえば、
この小説のように、人を躊躇なく殺せてしまうどころか、
殺しに喜びと楽しさを覚えてしまうのではないだろうかというわたしの考えです。




そして、

恋愛感情は時に恐ろしい方向へと導いてしまう例の一つです。


主人公には、“黒い服を着た男性”を扇子に見間違えました。
そして、脳内変換という暗示が解けてしまった。


おそらく“彼女”だと思うんですが、
一目ぼれをしてしまったんでしょう。

しかし、

どうすればいいか分からない。

教育どおりやるしかない。



しかも、
“もっと殺したい”と思ってしまった。


これは彼女が悪いのではない。


こういう風に教育した人間が最悪なんです。





この不毛な物語は、
恐ろしいほどに奥が深いですよ…


追伸:エウレカセブンって漫画を友だちから借りたんです。

漫画があるという存在をその日初めて知ったんですが、
やっちまった。

パクリっぽいぜ。


どっちが先って考えたら、これのほうが遅いし、
もしかしたらアニメでそういうシーンを見たのかも。

アニメももう記憶に無いから、“感覚”で覚えてしまったのかも。
これは激しい失態。


でも、この短編もオリジナル混じりっぽいから、
気にしなーい。







どうやら、共通なのは“的”と“躊躇するタイミング”だけらしいから、
まだ、救いようがあるかな…(すみません。本当に。
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