幕末恋風記[本編11-]

□十五章# イベント(A)
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----15.5.2-乙女心

(斎藤)




 永倉を突き放した翌朝はひどく気分が悪かった。
 慣れない嘘なんてついたものだから、夢の中で誰かに怒られた気がする。
 深く深呼吸し、いつもの男姿に着替える。
 ぼーっとしている場合じゃない。
 薩摩討伐の噂を聞いて、ますます町中が浮き足立っているのだ。
 こういう時こそ、しっかりとしなければ。

 今日は大事をとって休んでおけと言われてはいるけれど、こういうときこそ自由に町を見回れるのだ。

「あれ、斎藤?
 おはよう、今日は早いんだな」

 睨まれて、肩をすくめる。
 まあ、葉桜も人のことを言えたものではない。
 こんな時間に起き出して、屯所を出るなんて、新選組の人間にしては酔狂な方だ。
 一応、昔からの習慣だと近藤にも土方にも説明してあるからこうして出られるが、他の人間ならまず脱走を疑われるというものだ。

「どこへ行く」
「んー、昼寝…じゃなかった。
 朝寝?
 まぁ、なんだっていいや。
 屯所の外で寝たい気分でね」

 欠伸を噛み殺しながら、屯所の外をゆるりと歩く。
 後ろからついてくる気配に、心の中で歎息して、振り返る。

「何?
 一緒に来るの?」

 無言で見つめてくる相手に苦笑して、葉桜は観念した。
 こういうときの斎藤はどう言ったって、動かない。

「しょうがないな。
 じゃあ、昼寝はやめて、でーと、でもするか?」

 表情を変えないけれど、意味はわかっているのだろうか。
 なんだっていいんだけど、と白く冷たい冬の寒空を眺める。
 誰がいたって、誰もいなくたって、何かが変わるわけでもない。
 そう、たとえ私がここにいなくても時は移ろい、時代は変わってゆくのだろう。
 たとえ私が何をしようとも幕府の終焉は避けられない。
 そう、何をしても。

 手を引かれて、我に返る。
 ここ最近は気を抜くとすぐにこれだ。
 状況も考えずに、深く落ち込んでしまう。
 そんな時間はないってわかっているのに、どうして私ってヤツは。

「なぁ、どこに向かってんだ?」

 いつまでも手を引いて歩く斎藤の隣に並ぶ。
 力任せに外すのは無理だとよくわかっているからだ。
 女の力だから敵わないというのでなく、単にこいつが馬鹿力なだけだ。
 沖田と同じに。

 と、急に斎藤が立ち止まり、振り返る。

「どこへ行きたい?」
「…いや、私が訊いているんですが」

 困惑を表に出して、彼を見やると、その口元がふっと緩んだ。

「おまえが行きたい所で良い。
 これは、でーと、なのだろう?」

 意味をわかっていて、こうしているってことかよ。
 まいったな、と深く息を吐く。
 冗談でも今はこの手のことを軽くかわせる余裕がない。
 それをわかっているのか、斎藤は再び葉桜の手を引いて歩き出した。

 どういうつもりなのか問い詰めるべきなのかもしれない。
 今すぐにでもこの手を振り払ってしまうべきなのかもしれない。
 だけど、昨日の出来事が珍しく尾を引いているせいか、そうする気にもなれない。

 まあ、考えてみれば斎藤との間に言葉はほとんど不要だ。
 だったら、たまにはこうして二人で歩くのもいいかもしれない。
 少なくとも他の連中に比べればずいぶんとマシだ。
 どれだけ離れようとしても、自分が新選組から本当に離れることなんてできないとわかっているのだから。

「じゃあさ、京饂飩の美味い店知ってるから、そこに行こうっ」

 足を早めて斎藤を追い越し、引かれるままだった手を導く手に変える。

「こう寒いときは何かあったかいもの食べるべきだって」

 少し驚いていた斎藤が、急にふわりと微笑む瞳を一瞬だけ見てしまった。
 普段はほとんど変化のないそこに光を見つけてしまって、慌てて目を逸らす。
 他の誰とも違う、あたたかな、いたことはないけれど兄のような視線に惑わされてしまいそうだ。
 温もりを求める心が縋りついてしまうのを恐れ、振り払うように足を早めた。



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