幕末恋風記[本編11-]

□十六章# 会話四
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----16.4.1-温もり

(16章会話4)




 部屋と廊下の境目に座り、葉桜は素足を投げ出し、両手で包み込むように持った湯飲みからお茶を啜りつつ、外を眺めていた。
 本日はあいにくの雨である。
 江戸へ来て以来、外へ出て歩き、気持ちを落ち着けていたのだが、こういう日は出て歩く気もしない。

 シトシトと降る雨の音を目を閉じて聞いてみる。
 そうすると、不思議に気持ちが落ち着く。
 でも、目を開けて現実を見つめてしまうと不安が襲ってくる。

 何度震えて眠る夜を越えれば強くなれるのか。
 何度一人で過ごす夜を越えれば皆を守れるほどに強くなれるのか。
 少なくとも、今の自分は全然強くないと、葉桜は思っている。
 弱くて、とても弱くて、一人でいられないほどに弱いから、不安が消えていかないのだ。

 不安なときほど笑うようになったのはいつからだろう。
 笑顔は唯一、弱さを強さに変えてくれる武器だから、そうすることしかできなかった。

「葉桜、いるか?」
「何かくれるのかー?」
「その、いる、じゃねェ」

 降ってくる拳を受け止めて、見上げてにやりと笑う。
 ちゃんと笑えているといい。
 これは、こんな不安なんて知られるのは格好悪いから、誰にも本当に知られたくないんだ。

「はははっ、冗談だ。
 それより、時間あるならちょっと寄ってけよ」
「あぁ」

 どかりと葉桜の斜め前に胡座をかく永倉を前に、葉桜はまた外へと視線を移した。

「何してんだァ?」
「雨を感じてる」
「?」
「目を閉じてみればわかるよ。
 雨の唄が聞こえてくるんだ」

 笑顔の源はいつだって父様との想い出で、この話も雨を哀しんでばかりいた小さな葉桜に教えてくれたのだ。

「小さい頃は雨が降ると哀しくて、哀しくて、私は父様を困らせてばかりだった。
 世界が嘆いているように感じていたのかもしれないけど、今はもうよく憶えていないんだ」

 ウソだ。
 本当ははっきりと憶えている。
 雨の中に私は世界の終わりを感じていたんだ。

 じっとこちらに向けられている永倉の視線を受け止めて、顔を向けずに静かに微笑む。

「そういうときに父様は決まって、私を膝に寝かせて、お話してくれたんだ。
 いろんな楽しい話を私が眠るまで続けてくれて。
 その後で、雨は楽しいもんだ、って教えてくれた」

 だから。

「だから、こうしているととても落ち着くんだ」

 雨の中で記憶の中の父様の優しい声が聞こえてくる。
 低くて、少しだけ濁声で、明るい優しさに包み込まれる。
 今はもうない温もりを思い出す葉桜を現実に温かさが包み込んで、ゆっくりと目を開けた。

「何の真似、永倉?」

 外そうとは思わなかった。
 人の温もりは、暖かいから。

「落ち着くか?」
「…まぁ、少しは」

 そういうと少しの間を置いて、抱きしめる腕がきつくなる。

「なんだ?」
「…わかってたけど、オメーはマジで鈍いな」

 その意味が分かって、小さく笑う。

「はっ、それでいいんだ。
 私は」
「え?」
「しばらく、このままでいいか?」
「あ、ああ」
「ありがとう」

 わかってはいるんだ。
 だけど、これ以上、巻き込めないから応えない。
 何も、話せない。
 ずるいけど、永倉の温もりは父様にとても近いから。
 卑怯だとは思うけど、少しの間だけ温もりを分けてください。



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