幕末恋風記[公開順]

□(元治元年文月) 04章 - 04.3.1#桜柄の扇子
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 助けた少女を彼女の家まで送り、屯所までの道程を私はゆっくり歩く。とおの昔に門限は過ぎているのだから、どうせなら月を見ながら歩く方がいいと考えたのだ。

 月に出来た自分の影を踏みながら、ゆっくり、ゆっくりと歩く。私の手には少女に貰った御礼の扇子、白地に艶やかに桜が彩られ、周囲を金箔で覆ってある品だ。近藤の持っている着物の柄によく似た扇子で、それを思い出して、くすりと笑う私を少女はとても嬉しそうに見ていた。

 酔いどれのごとく、私は詩吟を口ずさみながら道を行く。まだ固い扇子を開いては閉じ、閉じては開き、静かな宵夜にパチリパチリと音が響き渡る。

 たっぷりと時間をかけて、京の町を歩き回り、私は屯所ではなく壬生寺に戻る。

「いつまで付いて来る気だ?」
 境内で詩吟と扇子を動かす手を止め、私は周囲に詠うように声をかける。道の途中から着いてくる相手がいるから、壬生寺に招いたが、相手は敵ではないと私は核心していた。案の定、背後に現れる影に私は開いた扇子を差し出し、見せる。

「斎藤、これイイだろ」
「……扇子?」
「もらっちゃったよ」
 ぱちりとまた開閉してみせるが、斎藤の表情は全く変わらない。私は何も気がつかれないように、普段通り軽快な調子で世間話をする。

「しかしアレだね。最近また碌でもない浪人が増えてるみたいね」
「取り締まっても切りがないし、休みで歩いてても絡まれるし、それ見てる京の町の人たちは脅えるし」
「なーんか、やな感じ」
 斎藤の隣をすり抜け、私は境内からまた道へと戻り、立ち止まる。

「この間の吉田さんとか宮部さん辺りの思想は分かるし、それに賛同するやつらってのも分かる」
「でも、問題はそれを利用しようとする輩」
 ぱちり、と私はまた音を立てて、扇子を閉じる。

 ざわざわと夜の風が木々を撫で、私の髪が踊っているのを感じる。私の血が、ざわざわと風に煽られるように騒ぎ出す。

「火の用心でも、しますかね」
 斎藤には言っている意味がまったく通じないわけでもないだろう。この先何が起こるか知っていても、私には何も話せない。だから、せめてもの警告を投げかけているのだ。

 関わりは少ないけれど、勘の良い斎藤なら分かる気がした。私の不自然を堂々と見咎める斎藤なら、わかってくれる気がした。

 長州は、まだ計画を諦めていない。今度こそ火事に乗じて、天子様を動座奉る計画を実行するだろう。それこそ、あれほどの長州藩士が命を賭した計画だったのだから。

「ああ」
 斎藤の僅かなうなずきに、正解、と私は声を発さずに返す。

ーー騒ぎに乗じるのは、きっと不逞浪士も同じこと。

 新選組が取り締まるのはどちらもだが、私は目立たぬ長州を重視するつもりだ。

「手はいるか?」
 斎藤からの申し出に対して、気持ちだけ受け取っておく、と私は返す。

「斎藤は烝にこき使われて、忙しいでしょ」
 そんなことはない、という答えは斎藤から返ってこない。普段の仕事熱心な山崎を知っているだけに、彼の下に付く者がどれだけ忙しいか窺われるというものだ。

 私がくつくつと笑っていると、急に斎藤から手を引かれた。帰るぞと、行動で表している。

「子供じゃないんだから、一人で帰れるよ」
「……本当か?」
 これは、山崎に私の方向音痴度合いを聞いているのかもしれない。だけど。

「いくらなんでも、ここから屯所に帰るのは迷わないって」
 それでも斎藤が手を離すことはなくて、諦めた私は手を引かれたまま道を行く。手を引く斎藤と彼よりも少しのんびりと歩く私。気配は私の微弱なものがひとつだけで、斎藤は完全に断っているようだ。

 私が空を見上げると満月に近い月が出ている。

「斎藤、今日は良い月だよ。こういう月を酒に浮かべて飲むのも、また格別じゃないか?」
 私がにやりと笑ってみせると、少しの間を置いて小さな同意が返された。斎藤は振り返りこそしないが、私が笑っていることぐらいわかっているのだろう。それでも空気一つ変えてよこさない。

 ある意味清々しく、ある意味面白くない。

 こっそりと屯所の自分の部屋まで送られた直ぐ後、風呂上がりの私の部屋の前に先に汗を流したらしい斎藤がいた。肩に手ぬぐいをかけた斎藤の手には、銚子ひとつと杯が二つある。語らないけれど、たぶん一緒に飲まないかということだろう。

「有難う、斎藤」
 月はもうほとんど傾いていたけれど、ゆらゆらと杯にゆれる月を二人で飲み干す。

「……たまには」
 酒の席で私は斎藤と話したことはほとんど無いが、彼に酒が入って饒舌になるというのは聞いたことがない。とうとつに話し始める男に、私は杯を傾けながら、耳だけ傾ける。

「たまには、こういうのも良いものだな」
「そうだろ?」
 斎藤が一杯を空けている間に私が銚子の中身を飲み干し、月見酒はお開きとなる。その斎藤が去ったすぐ後り、土方が姿を現した。

「葉桜、いつ戻った」
 夕餉の後と私は言い切り、追求されないうちに自室へと戻る。せっかく気がつかれていないならそのままやり過ごした方がいいだろうというのが私の考えだったのだが、後日、少女の勤め先の扇子屋から御礼状が届いてしまって、結局全部バレてしまった。しかも、近藤に扇子を自慢している最中に。

 善行ゆえの門限破りだったが、規則違反に変わりはない。私は謹慎を覚悟していたが、近藤と斎藤に取りなしてもらって時間の件はお咎め無しとなった。

 土方の説教は長くて面倒だったが、大事の前で忙しい私はそれだけで済んだことを素直に喜び。すぐあとの斎藤との巡察に出てから、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。





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