幕末恋風記[追加分]

□文久三年葉月 02章 - 02.3.2#剣先の相手
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(沖田視点)



 道場内で僕は葉桜さんと二人、木刀を構える。葉桜さんの気組みは他の誰とも違っていて、僕にはとても静かに練られているように見える。それは火のない熱のように静かで熱い一撃を秘めていて、葉桜さんの細腕のどこから力が出ているのかも僕にはわからない。

 板張りの道場で音もなく、葉桜さんの足が動く。ぎ、と僕の足元でも床が啼く。

「どうした、沖田。私とやりたかったんじゃないの?」
 余裕そうに笑う葉桜さんの首筋を、つ、と汗が一筋流れ落ちるのが見える。葉桜さんも僕を相手に余裕というわけではないらしい、と気が付けば、僕も少し気が楽になる。今日も僕と葉桜さんの条件は五分五分だ。

「誘ったのは葉桜さんですよ」
「それも、そうだな」
 葉桜さんの口角が上がるのと同時に、心地よいほどの気合が真っ直ぐに僕を向かってくる。こちらを、僕だけをただ真っ直ぐに見つめてくれる葉桜さんは普段よりの万倍以上の色香を纏う。

 僕は純粋に、彼女を綺麗だ、と見惚れる。普段は勇ましさが先に立つけれど、こうして向かい合うときの葉桜さんはどんな女性よりも妖艶だ。相手が魅せられている間に、桜の花びらが舞い落ちるように葉桜さんは動き、叩き伏せる剣を使う。

 硬い音がぶつかり、僕は寸での所で、葉桜さんの一撃を防いだ。だが、それだけで葉桜さんの攻撃は終わらない。引いたと見せかけ、小さな動作で僕の胴を凪ごうとするのをこちらも絡めて防ぐ。

 カン、カン、カンと心地よい木刀を打ち合う音が道場内へ響き続けるのを、終わらない演舞のように僕が感じるのはこんなときだ。水面を歩くように僕と葉桜さんは互いに打ち合い、引いてはまた打ち合うのを繰り返す。

 今この時だけは、葉桜さんは僕だけの葉桜さんだ。他の誰でもなく、僕一人を見つめてくれる葉桜さんの瞳が誰よりも愛しい。

「考え事とは余裕だな」
「葉桜さんこそ」
 唯一つ問題があるとすれば、葉桜さんの目の前にいるのが僕であっても他の誰であっても、必ず感じる違和感があるということだ。

 確かに今目の前で葉桜さんは僕を見ているけれど、その剣の先にいるのは僕じゃない。それは剣を交わすたびに、僕は強く思い知らされる。

「そろそろ疲れた、終わらせるぞ」
「させませんよ」
 僕が言うと、葉桜さんは心底楽しそうに笑う。その咲き乱れる花の笑顔のあとで、僕を見つめる葉桜さんの瞳がすっと細められる。

ーー来る。

 僕はいつもわかる瞬間なのに、それが何時来るのかがわからない。

 僕が気がつくのはいつも、高い音を立てて、木刀が一間先に飛ばされた後だ。何もない自分の手を見て、僕は今日もまた少しの落胆をする。葉桜さんのそれはわかっているのに防ぎきれない不思議な技で、この僕に武器を手放させる唯一の技だ。あの一瞬があるからこそ、葉桜さんが対峙しているのがいつも僕でないと思い知らされてしまう。

 木刀を納めた葉桜さんが、儀礼的に頭を下げて礼をする。

「ありがとうございました」
 儀礼的な試合のようにそうする葉桜さんが何を見、何のため、誰のためにその技を編み出したのかは、誰が聞いても、僕が聞いても決して教えてはくれない。どれだけ仲がよくても、教えてはくれないらしい。

 長い髪を掻き上げ、手ぬぐいで汗を拭きながら道場を出て行く葉桜さんは、僕を振り返りもしない。

 葉桜さんは僕が追いかけなければ、追いつけもしない。葉桜さんはいつだって目に見える全てを守るといいながら、その実は唯一人しかその剣の前に見据えていない。

「葉桜さん」
「続きはまた今度なー」
 道場を出て、立ち去ろうとする葉桜さんの手首を、僕は取る。簡単に僕にその手を取らせてくれるのは、信用されているからなのか。今はただ、葉桜さんが僕を仲間と思ってくれているからだと信じたい。

「もしも僕が芹沢さんと戦ったらどうしますか」
 そのまま歩き出そうとしていた葉桜さんは、ぴたりと足を止めて僕を振り返った。その眉間には、土方さんのように不機嫌な皺が寄る。

「どうって? 勝負にならないだろ」
「即答しますか」
「おまえひとりじゃ話にならない。せめて原田、山南さん……うーん、土方も必要だな。それに沖田も含めて、四人ぐらいでギリじゃないか?」
 僕が驚いて手を離してしまうと、葉桜さんはあっさりと歩いていってしまった。残された僕は廊下に立ちすくむ。まさか、葉桜さんは知っているのだろうか。葉桜さんが近くにいるときに、僕らはその話をしたことなどないのに。

 だけど、あの口ぶりは知っていると言っている気がする。

「本当に油断のならない人ですよ、葉桜さんは」
 芹沢さんの強さを知っているのだと、葉桜さんは僕に暗に示していた。

 僕は急ぎ足で土方さんの部屋へと向かう。やっぱり、今回の計画で葉桜さんには立ち会って欲しいからだ。

 そして、叶うなら葉桜さんと芹沢さんの仕合が見たいと騒ぐ心を抑えきれずに、僕は土方さんの部屋の障子を勢いよく開け放つ。

「土方さんっ!」
 怒鳴り返す土方さんの声を聞きながら、僕は後ろ手に副長室の戸を閉めた。

「やっぱり葉桜さんも仲間に入れましょうよっ」
「またその話か。何度も言うようだが」
 そして、またかと言いたげな土方さんを説得するために、僕は今日も骨を折るのだ。

 僕だって、すべてに確証がある訳じゃない。だけどきっと、葉桜さんと芹沢さんが剣を交わせば、答えが見つかる気がした。

 どうしてこんなにも、僕が葉桜さんの剣に魅せられるのか。どうしてこんなにも、葉桜さんの剣先の相手が気になるのか。

 僕にはまだ何も、わからない。




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