幕末恋風記[本編]

□一章# 会話三
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----01.3.1#きれえやか

(1章会話3)




 さらさらと流れる川の流れる音に私は耳を澄ませ、閉じた瞳の後ろ側で目の前にあるであろう景色を想う。
 雑踏を歩く人々の足音、威勢のいい掛け声、風に揺れる柳の葉擦れ、誰かの呼び声が心地よい。

 心地よさに身をゆだねつつも、私は手元の真剣に触れ、その存在を確かめる。
 というのも、明らかにこちらへと近づいてくる気配を感じたからだ。
 今は休息の時間で、出会いは求めていない。

 しかし、気配は近寄って来ず、離れていったことに私は安堵する。
 それから、鍔から手を離し、陽射しの強さに眩まされないように、ゆっくりと自分の両目を開いた。

 目の前には、不審な男の顔。

「誰だ、あんた」
「相変わらずつれん人やか。
 こがーにしょうえい男をふとぅうは忘れやーせん」

 訛りの強い言葉に私は眉をしかめる。
 会ったことなんてあるだろうかと思い巡らすが、こんな目立つ男なら、一度見たら忘れない気がする。

 細面の優男だが、それ以上に目立つのは真っ直ぐでない天然パーマ。
 足元には草履や下駄でなく、南蛮渡来の編み込みブーツ。
 腰に剣を差しているが、使っている様子はない。
 だからといって軟弱な文人というわけでも無さそう。

「知らん」
「えずいやか。
 わしはいちじつも忘れたことはないがでよ」

 男は軽口を叩くのを挨拶代わりにしているのか。
 こういう部類の人間が苦手な私は、剣を手にわずかに殺気を散らせる。

「言いたいことはそれだけか。
 だったら、さっさと行け」
「しょうまっこと覚えちゃーせきか?」

 触れそうなほどに顔を近づけられ、私は思わず足が出た。
 一間程度吹き飛ばされた男は腹を抱えて蹲っていたが、笑顔で顔を上げる。
 苦しげな息の元のそれに、私は見覚えが確かにあった。

「あ、あー!」
「思い出しちゅうか」

 いつかの旅籠で、一度だけ会った気がする。
 私が酔っぱらいを素手で叩き潰した後に、ひとっ風呂浴びた後で。

「あの時の覗きかっ?」
「やき、ほりゃあ覗いちゃーせんとゆうたにかぁーらん」

 そうはいうが、脱衣所を出て、すぐに会ったという状況を信じろと言う方が無理な話だ。

「第一、おんしは気にしやーせんとゆうたがやないかね」
「そりゃ、私の裸なんか見たってなんの得にもならんからだよ」

 私は自分がまったく女らしくないと自覚もしている。
 女性らしい体つきとは言い難く、筋肉質で、また傷も多いのだから。
 男ならば勲章とでも言える傷跡の数々は、女にとってはただの醜い傷でしかない。
 だが、私はそれを後悔したことはない。

「そうにかぁーらんか?
 わしはいい線いっちゅうと思うのやけど」

 男は自然と私の腕をとりあげる。
 たったそれだけで、私の腕には並の剣士でも持たないような夥しい数の傷痕が現れる。
 掠り傷の中にひときわ大きな剣の切り傷は、真剣を小手で受けたときに突いてしまったものだ。
 よく落とされなかったと、自分でも感心する。

「きれえやか」

 男が笑顔で言った言葉に、私は小さく首を傾げた。
 これは、褒められたのだろうか。

「有り難う」

 考えてから返すと、男はうれしそうにうなずいた。
 こういうのは、私は少し照れくさい。
 こんな風に真っ直ぐに見られたのは、いつ以来だろうと思い返して、私はまた顔を顰めた。

「どうしちゅうか」

 別に一度会っただけの他人に言うことでもないし、まさか過去の因縁なんか話したって仕方がない。
 こいつはあの男のことなど知らないだろうし。

「何でもない」
「わしにゃ言えやーせんか」

 残念そうに言って、男は私を掴んでいた腕を放す。
 引き際をわかっているというより、踏み込めないことだと理解してくれた様子だ。
 こうしてまともに話すのは初めてだけれど、そうされると私もなんだか安心してしまう。
 思い出には踏み込んでほしくないし、踏み込ませる気もないから、留まってくれるなら逃げはしない。

「わしはこがーにおんしのことを想っちゅうがやき」

 拗ねるような男の様子に、私は思わず笑ってしまった。
 彼もそれが狙いだったのか、笑顔を見せる。

「そうやか。
 おんしはほがな風に笑った方が可愛いやか」
「調子に乗るな」

 急に頬に触れようとする男の腕を掴み、私はひねり上げようとしたが、あっさりと交わされてしまった。
 まったく、京に来てからは強い人ばかりに会う。
 おんしゃぁ油断ならんぜよ、と笑っている男に、私も問いかける。
 あの紙の一覧にある名前だと良いと願う反面、そうあって欲しくないと思う自分もいるという矛盾を笑顔の下に隠して。

「私は葉桜。
 あなたは?」

 彼は、才谷梅太郎、と名乗った。
 梅さんでいいと言った彼の前で、私はちゃんと笑えていただろうか。
 関わって欲しくない。
 でも、関わって欲しい。
 そんな二つの相反する想いに、私の心は深く揺らいでいた。

 依頼人の紙に書かれた人物は強い人ばかりで、自分はいったい彼らの何をどう助ければいいのか。
 剣という面では一切力になれない気がして、流石に私も気持ちが挫けそうになる。

「きれえな名やき」

 才谷の優しい声が、私の世界に半分だけ温かい音を響かせる。
 何かを予感させるように、柳が呼応し、さやさやと揺らいでいた。



01.3.1# 〆

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