幕末恋風記[本編]

□一章「新選組誕生」#本編
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* * *



「ずるい、烝ちゃん」
「急になによ、葉桜ちゃん」

 後ろから私が小さく不満をぶつけると、すぐさま山崎は振り返った。
 私がずるい、と言ったのは山崎の服装が他と違っているからである。
 そう、皆が着ている今日卸したばかりのあの隊服を着ていない。
 こいつのことだから、気に入らないモノは絶対に着ないというのはわかってる。

「何、この細い体っ」

 だからまったく違うところで私はつっこんだ。
 ついでにその二の腕を摘んでみると、筋肉が引き締まっている男の体だというのがよくわかる。
 こんなに細いのに、私には山崎に力で勝つことができないと思い知らされる。
 私は筋肉を付けたところで女性特有の柔らかさが消えることもなく、力が勝ることもないというのに、山崎は姿だけならすっかり女性に見える。

「ちょ、やめてよ」
「こんなに綺麗で可愛いのにおと」
「葉桜ちゃんっ」

 慌てた山崎に口を塞がれそうになり、私は身を翻して丁度近くにいた近藤を盾にする。
 壬生浪士組内でこれ以上の盾はないが、そんな大それたことをするのは私ぐらいしかいないだろう。
 近藤は複雑な心中ながら、緊張を微塵も感じさせない私と山崎を楽しそうに笑う。

「はいはい、その位にしないとトシに怒られるよ〜」
「は〜い」

 素直に山崎が応えるのに対し、私は隊服を着ている上機嫌な近藤を見上げる。

「葉桜君?」

 この隊服や模様を決めたのが近藤だという話だから、おそらく今日一番嬉しいのはこの男だろう。
 壬生浪士組の初の晴れ舞台。
 そこで着れるのだから、嬉しくないわけがない。

(やっぱ趣味悪ぃって、これ)

 わかっているから口に出さずに悪態をつき、私は近藤に背中を向けてため息をつく。

「な、なに?」
「近藤さん、この色ってさ」

 おそらく誰も言えないだろうことを私ぐらいは一応指摘したほうが良いかと口を開く。
 だが、急に満面の笑顔になった近藤の前に、私はそれ以上続けられなかった。

「良い色でしょ〜?」

 周囲でこれはちょっと目立ちすぎるとか、言ってるのが聞こえてないわけじゃないだろうに、これは由緒正しい色なんだよと近藤は説明してくれる。

「それに、やっぱさぁ、こういう空の色って映えるじゃない」

 そういって、空を仰いで、太陽のような笑顔を見せる近藤が少し眩しく、私は目を細めた。
 真っ直で実直で、芹沢ほどの貫禄はないが、人望厚い近藤のそばは心地よい。

 だが、同時に自分の世渡りなれした汚さが見えるようで、私は居心地悪くもある。
 仕事のためとはいえ、やはり隠し事をしているのは性に合わない。

 だが、言ってしまえば仕事をしづらくもなる。
 信用して、言うとおりに動いてもらわなければならない場面だって出てくるだろうし、知らないならば知らないままのほうが幸せなことだってある。

 私は無理矢理に自分を納得させて、近藤に微笑返した。

 少し離れた場所で鈴花が永倉や藤堂にからかわれている声がするが、緊張感の欠片もない私に対し、鈴花はずいぶんと堅くなっているようだから丁度いい。
 今この場で一番堅いのは鈴花で、一番柔らかいのは葉桜だろうから。

「このまま、膠着状態かぁ」

 どうせすべては既に終わっているし、あの紙にだって大したことは何も書かれていなかった。
 どう加味しても、長い長い膠着状態の末、結局ここで戦闘は起こらないはずだ。

(なんだったっけかなぁ。
 ……八月のなんとかって書いてあったような……)

 肝心なところが思い出せない辺りは、実は私も緊張しているのかもしれないなと小さく笑う。

 特徴のある足音に気づいて私が振り向くと、思った通り土方がこちらに険しい顔で近づいてきていた。
 なんとなく危険を感じ、近藤を盾にして、くるりと位置を変える。

「あんたら、特に葉桜、もう少し緊張感を持ってくれ。
 他の隊士に示しがつかねぇだろ」

 厳しいが疲れたような土方の物言いに、近藤と顔を見合わせて笑う。
 これでも緊張しているのだが、やはりそうは見えないのだろう。

「あ〜ら、トシちゃんたら失礼ねぇ。
 葉桜ちゃんもあたしも緊張してるわよぉ」

 ねぇ、とすぐ後ろから山崎に問いかけられ、私はしまったと気づいた。
 そりゃ、近藤を軸に回れば、当然山崎の側に行くわけだ。
 私は後ろからしっかりと抱きすくめられ、山崎に「つーかまーえたー」と楽しそうに言われてしまう。
 そのまま、山崎に二の腕を摘まれ、吃驚した。

「ずるいのは葉桜ちゃんの方でしょ。
 なにこの柔らかさっ、羨ましいっ!!」

 山崎は私の二の腕をふにふにと摘みながら悪態を付く。

「う、羨ましい?」
「うん、羨ましい。
 あたしじゃ、どうしたってこんなに柔らかくならないもの〜」
「そういうもの?」

 とりあえず、山崎と私はお互いないものねだりをしているのは確かで。
 私が土方へ視線を向けると、彼は頭を抱えてため息をついたのだった。

「さっさと持ち場に行け、山崎」
「えー」
「烝」
「はーい。
 じゃ、まったねぇ、葉桜ちゃん」

 近藤と土方の二人に言われ、さっさと山崎のその姿は私たちの前からなくなる。
 忍びと同等のあの動きは、私にはどうしたって真似できない。
 正直、そういうことさえも羨ましい。
 私に出来ないことを出来るというだけで、それは羨ましい。
 羨んだところで、結局私はただ剣を振ることしかできないわけだが。

 ふと私はまた自分の手を見てみる。
 女性にしては骨張って切り傷や痣の残る無骨な手だけれど、それでも男性的には見えない細く小さな手だ。
 この手で護れるモノに限りはあるし、しかもそれは意外と近い場所に限界を見せてくれる。
 どれだけ血に塗れても、どれだけ泥で踏みにじられたとしても、砕けても、失われるまで。
 この手は、護るためにある。

 自分の意志を確認し、私はぐっと握り直した。

「なにやってんの?」

 上から降ってくる近藤のからかうような声で私は顔を上げる。

「別に、何でもありませんよ」

 笑顔を作って見返したら、私は近藤に頬をつつかれる。

「ならいいんだけどねぇ」
「な、やめてください」

 私が振り払っても振り払っても、近藤はやめなくて。
 いい加減キレそうになった頃に土方がそれを止めてくれる。

「あんたのいうようにしばらく動きはない。
 その辺で休んでろ」

 私は土方に肩を引かれ、後ろへ下がった。
 別に土方の動きは強すぎるというほどではなく、私が動かないほど弱すぎるというほどでもない。
 ないのだが。

「ひゃっ」

 私の体はどうしてかそのまま後ろに押される力に流され、バランスを崩した。
 地面にぶつかる、と思ったが既の所で誰かに背中を抱き留められた。
 目の前、私に触れられない程度に離れた場所で近藤が吃驚した顔をしているということは、この腕は。

「おい」
「は、はい」
「調子が悪いなら屯所へ戻れ」
「いや、別に悪くは」

 ないんですが、と続けようとする声は何故か小さくかすれ、体中から力が抜けてゆく。
 経験したことのない異変に自分自身が戸惑う。

「おい」
「すいません、けど、離れて、土方、さん」
「何?」

 私は残る力を振り絞って、逃げるように土方から距離を取って近くの壁に体を預けた。
 数回深呼吸すると、直ぐに元の力が私へと戻ってくる。

「葉桜?」
「大丈夫でっす。
 あ、えーっと、そ、その」

 何かが自分に起きているようだが、とりあえずは土方に近寄らなければ大丈夫だというのはわかる。
 さっきまでは近藤でも山崎でも、容保様でも何ともなかったのだから。

「私、持ち場に」
「葉桜君、君の持ち場はここ」
「そ、うでしたね。
 じゃあ、えっと、少し向こうで休んできますっ」

 二人に何か声をかけられる前に距離をとり、私は直ぐに隊士に紛れた。
 紛れるのは慣れているし、二人に近くにいないと思わせるのは簡単で、適度に適当な気配で見えない位置で壁よりに座る。
 私がいなくなった後の二人の戸惑いが聞こえてくるけれど、追求されても説明出来ない変化だから、私は逃げた。

「逃げ足が早いねぇ」

 近藤のからかうような声に。

「オレは何もしてねぇよな?」

 自問する土方の声が続くのを聞いた私は、口に出来ない謝罪を胸に両目を閉じて世界を闇にした。



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