幕末恋風記[本編]
□三章# 会話二
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----03.2.2#山南道場
(3章会話2)
屯所内に子供の笑い声が響くようになって、もうどのくらい時間が経っただろうかと、時々私は思い返す。
「こらー!
真面目にやらないとこの後遊んでやらないぞー」
「はーい」
講師が離れている隙にサボろうとしている子供に、私は軽く声をかける。
元々は壬生寺に遊びに来ていた子供達なので、私はみんな顔見知りだ。
山南の発明趣味が迷惑だからどうにかしてくれと鈴花が土方に頼まれた任務から始まった山南塾だけど、私としてもなんだか懐かしくて楽しくて、面白半分で手伝っている。
「真太、背筋を伸ばして」
「伸ばしてるよ〜」
本人はそのつもりなんだろうけど、私にはどうにもへっぴり腰で見るに堪えない。
近寄って私が真太の背中を軽く叩くと、簡単に前へ倒れ込む。
「ケツは引っ込めて、お腹に力を入れて。
そうそう、視線は相手を真っ直ぐ見据えるの」
真太の前を私がすっと指し、空に視点を置いてやる。
「顎は引いて」
真太の竹刀を掴んで、私は上に上げてゆく。
「脇に力を入れて、柄をしっかりと握って」
そして、丁度良い辺りで私は竹刀を離した。
「そのまま真っ直ぐ振り下ろす!」
「っ!」
「よし、一つずつ気を付けてやるようにしなよ」
剣の指導中は、私も一緒に見て回るようにしていた。
実家でももともと指導していたのは弟だし、私はこんな風な手助けぐらいしかしていない。
「葉桜先生ーっ」
蒼天の下で子供が笑う声を聞きながら、私は縁側に座る。
「先生は休憩でーす」
「一人教える度に休憩ー?」
「そー」
「葉桜先生、ズルいー」
「あははっ、私は先生だからいーのっ」
子供らと笑っている私の上に、影が落ちる。
振り返ってみれば、私を見下ろしているのは、少しだけ席を外していた山南だ。
「じゃあ、葉桜先生には別なお仕事でも」
「げ。
いや、ちゃんと教えますって、山南先生っ」
逃げようと腰を上げたところで、私は山南に腕を掴まれる。
掴まれた腕が痛いわけではないけれど、痛くはないんだけど居心地が少しだけ悪い。
それは、芹沢がいなくなって以降の山南が妙に私に近づくからだ。
動揺している私が面白いのか、子供らはニヤニヤと笑っている。
「先生ー、山南先生と葉桜先生はどっちが強いの?」
「へ?
そんなの山南さんに決まって」
「そんなの葉桜先生に決まってるよー」
「何いってんだよ、山南先生が負けるわけないだろ」
目の前で私と山南さんのどっちが強いか、子供達が言い合いを始めてしまうのを見て、私は戸惑う。
山南さんと私が仕合をしたことはないし、剣を交わしたのはたったの一度。
しかもそのときの私は正気ではなかったから、山南がどのくらいの強さか判別はできない。
山南は北辰一刀流の免許皆伝と聞いているし、ただ習っていた藤堂と比べなくとも格段に強いだろう。
山南の体つきそのものも、私が最初に抱きついた時を思い返せば、文人のそれじゃないし、かなりがっしりとしてて。
(て、な、何考えてるんだ、私は)
私は赤面している顔を見られないように、山南の腕を振り払って、子供らに近づき屈む。
「あのねー、流石に私は山南先生に勝てないよ」
「そうかな?」
異論の言葉に私が声を振り返ると、とても楽しそうな山南の顔が目に入る。
「山南さん、子供達を煽らないで」
「永倉君達から葉桜君はかなりやると聞いているよ」
「いや、いくらなんでも勝ったコトなんて」
「あるんだろう?」
私にはその一瞬、山南の眼鏡がキラリと光った気がした。
全部話してるとは思わなかったし、言うなとも言わなかったけれど。
永倉らは後で少し懲らしめておこう、と私は決意した。
「みなさーん、そろそろお時間ですよー」
そんな風に話していたら、機嫌の良い鈴花の声が私たちにかけられた。
これでこの話は終わりだと安堵した私の耳に、山南の呟きが届く。
「一度、葉桜君とは仕合ってみたいな」
「僕も見たいー」
「俺もー」
「私もー」
山南の言葉に同意して、子供達が手を挙げる。
これだけやられちゃ私が逃げられないと思って山南はやっているのだろう。
いつもは穏やかに見える山南の顔が策略家に見える気がして、私は小さくため息を吐いた。
「わぁ、葉桜さん、山南さんと試合されるんですか?」
「鈴花ちゃーん」
鈴花のは悪気がない分、さらに質が悪い気がする。
「だーめーでーすー。
山南さんとは絶対にやりません」
なんで?と私が口々に問われる中、一つだけ違う言葉が飛び出す。
「あーわかった。
葉桜先生、山南先生が好きなんだろっ」
唐突に何を言い出すんだ、と私は発言した子供の前に足を向ける。
名は小六といって、私と山南に特に懐いている利発な子供だ。
「葉桜先生、好きな人とは戦えないってことだろ?」
好きな人、と言われて、少しだけ私は動揺した。
「でも、山南先生には鈴花先生がいるからダメだぞ」
ここで鈴花が出てくる意味は私にはわからない。
「……な、何言ってるのよ、小六君」
動揺する鈴花は、ほんのりと頬を朱に染めて騒ぐ。
それは惹かれていることを肯定しているだけに、わずかに私の心も騒ぐ。
ざわめく心を落ち着けて、私は小六の前にしゃがむ。
「だから、俺にしておきなよ。
葉桜先生っ」
ほんのり熱を持っているように見える小六は、私に小さな腕をいっぱいに伸ばして、首にしがみついてくる。
「小六、結局それが言いたかったの?」
「俺、葉桜先生が好きなんだ。
だから、俺が稼げるようになったら、一緒に暮らそうなっ」
たしかに小六はとても利発で可愛いし、私も嫌いじゃない。
だけどと私は小六の小さな両肩に手をかけて、私から引き離し、顔を見合わせる。
「そーゆー台詞は十年早い」
「いてぇっ」
デコピンして小さな求婚者を退けた私は、立ち上がって小六を柔らかな目で見下ろした。
「十年経って、私がまだ一人で、小六が強くなったらまたおいで」
悔しげに私を見上げる小六に、私は口角をあげ、歯を見せて笑って見せた。
* * *