幕末恋風記[本編]
□三章# 会話二
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生徒の子供達がいなくなった後、山南と私で道場の片付けをしている最中、不意に山南が私に言った。
鈴花は巡察に出ているから、今ここには私と山南の二人だけしかいない。
「葉桜君、一度手合わせ願えないかい?」
道場内には薄明かりがあるばかりで、山南がどんな顔をしているのか私からは見えない。
ただ声の響きだけで山南が真剣だとわかるので、私にもちゃかして終わらせることは出来なかった。
「一本だけですよ」
本当は、私はずっとこの人の剣を見てみたかった。
山南はとても穏やかで、滅多にその剣を見せないから、稽古の剣を見たところで大して本質は見えない。
木刀を取り、私と山南はお互いに向かい合う。
「葉桜君の本気の剣を、私はまだみたことがないんだ」
「それは私もですよ」
礼をし、山南は正眼に、私は両腕を下げて無限に構える。
「それが本気の構えなのかい?」
「我流の喧嘩剣術ですから」
私はたんっと軽く床を踏み込む、それだけで山南の間合い以上に近づける。
だが、もちろん山南にこんなのは防げる範疇だろう。
一撃を奮って直ぐ、私は遠間に下がる。
「思ったよりも重い剣だ」
「でなければ、勝てないでしょう?」
山南には私が誰にと言わなくても、その言葉の相手がわかるのだろう。
私には山南が小さく頷くのが見える。
「もう一度いきます。
防いでくださいね」
私が床を蹴り飛ぶと、たんっ、と先程よりも軽い音が道場に響く。
勝負は一瞬、と私と山南のどちらもが分かっていた。
互いに遠間に離れた後、膝をついたのは私の方だった。
「ほら、山南さんのほうがっ、強いっ」
「ご、ごめん!
思いっきり入っただろう!?」
木刀を投げ出して、山南が私に駆け寄ってくる。
私は別にこのぐらいは平気なんだけど、と思ったが、少し、いや、やっぱり痛い。
私の隣に山南が膝をつく。
「避けた、つもりだったんですけど、けっこう、伸びますね」
「何か冷やすものを持ってくるよ」
近くまで来ておいて、立ちあがろうとする山南の服を私は掴んだ。
「大げさです、これぐらいは」
ひとつ大きく息を吐き、私は呼吸を整えて、山南を見上げて笑う。
「これぐらいは怪我に入りませんって」
「強がるんじゃない、痛いだろう?」
「痛くないです。
もう、大丈夫」
私がそうして笑ってみせると、山南は腕を伸ばして強く抱きしめてきた。
これは、流石の私も痛い。
「すまない。
葉桜君があまりに強くて手加減できなかった」
「それでいいんですよ。
手加減したら、一生許さない所です」
痛みが引いて、動けるようになったところで、私は山南の体を押し返す。
「やっぱり強いですね、山南さんは」
私が言ったとたんに、山南にはため息を吐かれた。
他の人なら私もふざけて怒ってみせるが、山南のため息の理由がわかっているだけに、私にも緩い笑顔だけが浮かぶ。
「小六の言うとおりだったら、嬉しいんだけど。
そうじゃないようだね」
小六の指摘は、私にとって半分当たりで半分外れだった。
確かに山南は好きだが、好きは好きでも仲間として、だ。
私は山南と戦いたくないわけじゃない。
ただ、山南とは真剣で勝負しなければ私には勝てない気がしていて、だけど真剣で勝負したら、私は山南を殺してしまうかもしれない。
相手が強ければ強いほど、私は真剣で手加減できなくなる。
山南は大切な仲間だから、特別なやむを得ない理由がない限り、私の手にはかけたくない。
「山南さん?」
山南から見つめられる切なげな視線に戸惑い、私は問い返す。
「子供は素直で羨ましいね」
「そう、ですね」
「私が同じように言っても、同じように返されるのかな?」
「そう……ですね。
――は、ええ!?」
山南は何を急に私に言い出すのだろう。
同じようにという意味を考え、私は困惑する。
山南は好きだけど、やはり仲間は仲間で。
「はははっ、冗談だよ。
葉桜君が私を何とも思っていないのはよくわかってるから」
返答に困っている間に、山南には気持ちよく笑われてしまって、つられて私も笑う。
「あーもー驚かさないでくださいよ、山南さん。
笑ったらお腹空いちゃった。
夕餉を食べに行きましょうっ」
先に立って私は出て行ってしまったので、山南が少し哀しげな顔でため息を吐いたことに気がつかなかった。
「手強いなぁ」
山南のつぶやきも、私は聞かなかった。
03.2.2# 〆
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