幕末恋風記[本編]

□三章# 会話二
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----03.2.3#ふれんど

(おまけ[裏])




 手渡された湯呑みの中の黒い液体を覗き込み、私は小さく笑った。

「よく手に入れたね、梅さん」

 私の言葉に才谷はいつもの通りに快活な笑顔を放つ。
 祇園近くの宿に呼ばれて来てみれば、そこにいたのはよく見知った才谷で、なにやら変わった茶を振舞ってくれるとか。

「流石に葉桜さんは知っちゅうか」
「うん、まあ、な」

 歯切れ悪く答える私に、才谷は少し首を傾げたようだ。

「まあグイッといきーや」

 だが、気にするのを止める辺りが才谷とも言える。
 これが珍しい飲み物だと言うのも、値打ち物だというのもわかっているが、と私は湯呑みを置いた。

「梅さん、まさかこれだけのために私を呼び出したわけじゃないだろう」
「わりぃのにかぁーらんか」

 まったく悪びれない返答に、怒りを超えて、私は呆れて笑ってしまう。

「ここに来る前に沖田と鈴花とすれ違ったよ」

 私の目の前で、才谷はこの黒い液体を美味そうに啜る。

「鈴花はともかく、沖田は気づいているはずだろう。
 よく無事だったな」
「はっはっはっ、わしと沖田くんとはふれんどやきな」

 何も心配することはないというが、二人ともは任務の時の格好をしていたのを見ていただけに、私にだってそれだけではないと推測出来る。

「梅、いや、坂本さん」

 言い改める私を才谷は面白そうに見ている。
 私は才谷の目をまっすぐに見て、それから諦めた。
 この男には私や他人が何を言っても、変えられるわけもなく、いつも周囲は振り回されるばかりだ。

「またお付きに怒られるよ」
「はっはっはっ、葉桜さんは優しいやき」

 才谷は私の肩を掴んで、顔を近づけてきて、そのまま私の肩に額を当て寄りかかる。

「梅さん?」
「ちっくとばあ、このままでいとおせ」

 普段なら、襲ってくる体勢だけど、才谷の様子があまりにおかしいので私はそのままにした。

 部屋に薫るのは嗅ぎ慣れない香りで、異国の船が寄る島ではよく薫る。
 旅をしていた時に、少しだけ口にしたが、すぐに吐き戻してしまった上、一晩高熱に魘された。
 だが、一緒にいた者にはなんの影響もなかったところをみると、別な理由が考えられる。

「珈琲、だったっけ」
「そうやか」
「てぃーはないのか?
 そっちなら飲めるんだけど」

 才谷は顔を上げて、私に驚いた顔を見せる。
 だが、すぐに才谷にも合点がいったようだ。

「ざんじにいれてきゆう」

 いきなり離れたかと思うと、駆け出していった才谷を見送り、私は軽い頭痛のする頭を押さえて、窓を開けた。

 待ち構えた風が部屋に入り込み、ぐるぐると回って出て行く様子を、青空を見て見送る。
 髪が煽られ、外へと流されるが、それよりも、と眼下を見下ろす。

 近くに祇園があるといっても、ここは旅宿。
 店に入る客は大抵が他藩の者や、芸事をするものたちだ。
 私を見上げた十二、三の娘に手を振ると、かすかに頬を赤らめるのが見える。

「だれか知り合いでもおったか」

 私の前で、窓枠に腰を預けた才谷が香りの良い湯呑みを差し出してくるのを、私は受け取る。

「いないよ」
「じゃー誰に手を降っちょったががかぇ」

 わしが目の前にいるのにと拗ねる才谷を、私はまた笑う。
 才谷といると、私は笑いが絶えない。

 才谷がいれてくれた「てぃー」に私は口をつける。
 口に入るよりも先の甘やかな香りが心地よくて、私は目を閉じる。

「才谷」
「なんなが」

 外から入る風が才谷の縮れた髪と私の真っすぐな髪を揺らす。

「あんまり、鈴花をからかわないでほしい」

 真っすぐな瞳で才谷は私に尋ね返す。

「鈴花が選ぶ道を妨げるなら、たとえ友であっても許さないよ」

 私は強く、才谷を見る。
 飄々としているが、才谷の瞳にはいつもブレがない。
 ゆるぎない信念を持つ者だけが、その瞳を持っているのだという。
 私のような半端者がそんな人間に言うことではないのだろう。

 黙っていた才谷は唐突にがくりとうなだれる。

「はやわしは葉桜さんをいとさんとおもうちょるに、ふれんどとはえずいやかっ」

 わざとらしい才谷の落胆に、私は呆れた息を吐く。
 いとさん、とは才谷の土地の言葉で、愛しい人や恋人という意味だ。
 才谷はどうしてこうも軽々しく、そういうことを口にできるのか、私には理解し難い。

「だから、簡単にそういうことを言うなって」
「はっはっはっ」

 空にかかる雲を吹き飛ばす才谷の笑い声は、聞いていて気持ちがいい。

「葉桜さんは西郷さんを知っちゅうが」

 唐突に問い掛けてきた才谷に、私は収まらぬ笑いを零しながら、首を傾げた。

「いや、知らないよ。
 その人が何、」
「葉桜さんの話をしたら、会ってみたいとゆうちょった」

 西郷という名前の人物に聞き覚えがないだけに、私は腑に落ちない。
 才谷の紹介だけでというなら、私にはますます謎が深まるばかりだ。

「葉桜さんはどこにいても」
「梅さん、一体どんな風に私を紹介したの」

 私の問いに対し、才谷は一言。

「事実しかゆうてやーせんよ」
「だから、なんて」

 かすかにいらつく私を才谷が容易に引き寄せ、耳元で囁く。

「わしのいとさん、と」

 続けられる、わしのものにならんかといういつもの才谷の誘い文句を聞く前に、私は相手を殴り飛ばした。
 派手に襖へ叩きつけられる才谷を横目に、私は部屋の外に足を向ける。

「葉桜さん、いっさん西郷さんと会いやーせんか」

 大して痛くもないくせに寝転んだままの才谷が、私に言う。

「……考えておくよ」

 廊下に出た私の背中を才谷の笑い声が追いかけてきた。



03.2.3# 〆

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