幕末恋風記[本編6-]
□八章# 会話二
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----08.2.1#高所
(8章会話2)
いつも考える前に行動するからこういう目にあうんだろうなぁと、時々は私も実感することがある。
くれぐれも言っておくが、後悔ではなく実感だ。
私は自分の行動を思い返して、反省はするけど後悔をしたことはない。
実際、考えてから行動するほうが後悔した回数も多い。
良順も言ってたが、考えるのは私の性に合わないのだろう。
覚束ない足元で四つんばいに這って屋根を登る私の姿を上からニヤニヤと眺めている輩を、私はキッと睨みつける。
「イイ格好だな、葉桜」
「煩いよ、永倉」
鈴花が屋根の修理の手伝いを頼まれたというので来てみれば、私は手伝いにきたと井上に勘違いされ、足りない釘を上にいる永倉に届けてくれと頼まれてしまった。
しかも、井上には断る隙を与えられずにさっさと逃げられてしまったし、鈴花は鈴花で危うげなく屋根に登っちゃうし。
最終的に、私が届けるしかなくなってしまったわけだ。
「あーもう!」
本当に仕方なく、私は自ら屋根に登っているのだ。
これが長屋の屋根なんかなら別に大丈夫だったかもしれない。
だが、西本願寺の屋根はもっと高くて、広くて、もう瓦がいっぱいだ。
素足にひんやりとした瓦の感触を感じながら、すこしずつ登っている私を見る永倉の視線は、最初の面白そうなものから不安なものへと変わっている。
「ここまで来れるか?」
「やってやるさ!
……と言いたいところだけど、お前が取りに来い」
実際、自分でもいつもの強気な発言の威力をなくしている自覚はあった。
だから、無理せずに留まる方を選んだのだ。
私はその場でゆっくりと注意して体を回転させて、瓦の上に座って、深く息をついた。
下を見ると怖いので、私が意識して上を見たのはある意味必然と言えるだろう。
睦月の空はよく澄んでいて、今日みたいなよく晴れた陽気だと、肌寒さが少しだけ和らいで、日向で昼寝をするのは最適だろう。
普段ならそうしているのに、珍しく気を向けて、鈴花と稽古をしようなんてしたから、余計な用事を頼まれてしまった。
ーーこんなことなら、いつもどおりに町へ出かけるのだった。
そんな風に考え込んでいると、私の真後ろ、それも耳元に温かな吐息がかけられた。
「ふっ、情けねェな」
「うぉあっ」
すっかりと油断していた私はがくんと体の力が抜けて、落ちそうになった。
とっさに、手近にいた落ちかけた原因にしがみつく。
しがみつかれた永倉も釣られて落ちるかと思ったのに、私は意外にもがっしり抱きかかえられてしまったことに驚いた。
「あ、あ、危なー……」
遠く見える地面に、私は安堵の息を漏らす。
永倉も道連れにしようとは思ったが、実際にここから落ちたら洒落にもならないだろう。
しがみついたままの永倉から笑いの振動が響いてきて、私はしがみつく力を強くした。
「笑い事じゃないぞ、永倉」
「だってよォ、葉桜。
オメー、なんて色気ねェ声……」
「色気なんか出してどうすんだよ」
私が顔を上にあげると永倉のにやけた顔が空を遮ってめいっぱい逆さに映った。
青空と風に撫でられる赤髪が妙に合っていて、思わず私も笑いが溢れる。
永倉の顔が陰っているから断言はしきれないが、ほんのりと頬のあたりが赤いようだ。
私みたいな男女相手に、何をしているのやら。
「ほらよ」
「おう」
釘を受け取るために左腕は離れたが、永倉の右腕はしっかりと私を抱きしめたまま緩まない。
「永倉、もう支えてくれなくても大丈夫だぞ」
「そうかよ」
クスクスと聞こえる永倉の笑い声に、私は嫌な予感が背筋をぞわぞわかけてゆくのを感じた。
永倉と私の性質はよく似ているが、まさか、こんなところで何か悪戯でもされたら、私には落ちるしか道がない。
「オメー、意外と」
「何かしたら、ここから飛び降りる」
私の耳元に近づいた囁きに牽制をかけると、永倉の笑いがぴたりと収まった。
「何かって何だよ」
「あ?」
「俺がオメーに何するって?」
くすぐるとか、今みたいに耳元で話すとか、そういった普段ならどうとでも流してしまえることが、今の私にはどうにもできない。
「そうだな、とりあえず腕離さないか、永倉?」
もう大丈夫だからと私が繰り返すと、今度は素直に永倉が腕を離してくれた。
私は大人しく離してもらえたコトに安堵し、永倉を振り返る。
一応は助けてくれたのだから、礼ぐらいは言ってやらなければならないだろう。
「で?」
「支えてくれて助かったよ、永倉。
ありがとう」
「……おぅ」
「じゃ」
これで話は終わりだと、元の登ってきた瓦の上を、そろそろと私は降り始めた。
その私の肩にもう一度、永倉の手がかかる。
が、今度はただ置かれるだけの極軽いものだ。
「待て、葉桜、すぐ終わるからここにいろ」
「ひとりで降りられるよ」
「高いところダメなんだろ?」
永倉の指の差す方に視線を辿り、私は遠い地面にごくりと唾を飲み込む。
いやでもここまで登れたんだし、登れたってコトは降りられるってことだ。
「いいな、絶対待ってろよ」
永倉の念を押す声は聞こえていたけど、そういわれると私はもう意地でも一人で降りなきゃいけない気分になってくる。
誰か下にいれば、踏み台にできるのになぁ。
そろり、と足を下へ進める。
少しずつ、少しずつ、とゆっくり進める。
「……何してんだー、葉桜」
そんな時に下から聞こえてきた原田の声に、私はほっと安堵した。
「原田、丁度良いところに」
「あぁ?」
近づいてくる原田を見ながら、私は今の位置から飛び降りるのに丁度良さそうな場所へと原田を誘導する。
「ちょっとこっちに来い。
……あ、その辺にいてくれ」
訝しげながら指示通りにしてくれる男がイイ位置に移動してくれるのを確認し、私は瓦からそっと立ち上がった。
足元の瓦が揺れて、ガタガタと音を立てる。
「おい、葉桜何やって」
「行くぞ、原田っ」
「あっ?」
足元の瓦が崩れないうちに、私は一気に屋根から飛び降りた。
狙い過たずに私は原田の腕へと落ちたが、その勢いで抱えられたままごろごろと地面を二人で転がる。
転がるのが止まったところで、私がそろりと顔をあげると、原田からものすっごく不機嫌に睨まれた。
「馬鹿かお前はっ!」
至近距離で原田に叫ばれて、私は耳を押さえる。
「あんなところから飛び降りるか、フツー」
「ゆっくり降りるの怖くて」
「だからって飛び降りるのは平気って、どうゆう神経してやがんだっ。
俺が受け止めなかったら、お前ぜってぇ死んでたぞっ?」
なんと返したものかわからない私は、結局笑って誤魔化すことにした。
「まあ生きてるんだから良かったってコトで」
「良くねェだろ」
後ろから永倉の声が聞こえたと思ったら、私は強引に抱き起こされ、次いで、肩口に顔を埋めて深く息をつかれてしまった。
「怪我はねェのかよ」
「ああ、私は。
原田はどうだ?」
自力で立ちあがり、着物の汚れを払う原田に私が目を向けると、不機嫌なままに答えが返される。
「体はあちこちいてーけど、まあ平気だな」
私は永倉にしっかりと捕まってしまっているせいで、伸びてきた原田の腕を避けることも出来なくて、反射的に目を閉じて首を縮こまらせた。
原田には軽く一発頭を叩かれるだけで済んだから、いいのだが。
「巻き込んですまん、原田」
「二度とすんな」
「ああ、もうこりごりだ」
私が目線で後ろのヤツをどうにかしてくれと訴えると、原田には苦笑を返されて置いて行かれてしまった。
大人しく永倉に怒られろってことかよ。
くっ、なんて薄情な奴だっ。
「永倉も、心配かけてすまなかった」
私の肩を抱えている永倉の腕を、私は安心させるように叩く。
これぐらいで緩むはずもない、か。
「待ってろって、いっただろ?」
「悪い。
永倉の言うようにあんまり高い場所は得意じゃないんだ」
これは、やはり理由を話さないままでは、永倉は私を開放してくれないだろう。
こういうとき思い返す私の想い出に、どうしていつもあの人はいるのだろう。
一緒にいた時間は短かったのに、あの人との想い出はとても色濃く、脳裏に映し出されてくる。
「もともとは高いところに登るのは得意だったんだけど、ある人と屋根に登っていたときに事故で落ちて……大怪我をした」
空に若かりし頃の芹沢の影が映り、私は目を細めた。
それはもう遠い遠い過去の話だ。
屋根の上で私と芹沢の二人共が扇子を構え、それを打ち鳴らしての稽古をするのはよくあることだった。
芹沢との稽古は道場ですることのほうが少なかった。
返す返す繰り返される、扇子同士のぱちぱちと打合う音を、私と芹沢の二人で笑いながら立てていた。
「やっ!はっ!」
「はっ、まだまだだな。
葉桜」
「そんなことないっ」
その日は朝から屋根の上が一箇所修理中になっていることを母様から聞いていたし、それを踏まえての稽古だったはずだった。
だが、私が打ち込んだ端から、芹沢に軽々避けられてしまうことに夢中になっていたせいで、私はそれを失念してしまっていて。
「葉桜っ」
「うわあぁぁっ」
私はあの時も確か良順にこっぴどく怒られたんだ。
芹沢と私の二人で、良順と父様に怒られた。
それから数日後、見舞いに来た芹沢に草餅をもらったんだけど、父様に全部食べられてしまった。
甘いのは苦手だったけど、せっかく芹沢が珍しくもってきた見舞いの草餅だから、ひとつぐらい食べたかった。
「ふふっ」
「笑い事じゃねぇだろ、それ」
私と永倉は場所を移動して、縁側に並んで座って話していた。
だが、私が思い出し笑いをしたとたんに、永倉に頬を引っ張られるとかなんでだ。
これが現実で、こっちが現在だというのは間違えようもないのに。
過去にそんなことがあっても、私は死ななかった。
死ねなかった。
「永倉もあのとき聞いていたように、私は影巫女だ」
あの時というのは、山南に自分の正体を明かした夜のことを指す。
隣の部屋でこっそり聞いていたのだから、彼らにはもう隠す理由もない。
そもそも隠していたのは説明するのが面倒だったからだ。
特別隠さなければならないほどの理由があると、私自身は思っていない。
ーーただ今よりも怪しまれることぐらいは覚悟していたが、それさえもなかった。
だからこそ、もう隠さなくていいと思っている。
私がぐっと右腕を伸ばすと、袖から傷だらけの肌が露わになる。
私は永倉の視線がそこにあるのを気にせずに続ける。
「どれだけの怪我をしようが、影巫女というのは代替わりを果たすまで死ぬことは出来ない。
そういう呪いをされてる」
「もしも私が死ぬとすれば、それは幕府が倒れたときだと思うよ。
確証はないけどな」
確証がないと私が言ったのは、これまで幕府が続いてきたからだ。
この江戸幕府が興る以前の巫女がどうだったかという記録も伝承も残されてない。
私はそこまで言ってから、努めて隣の男に微笑んでやった。
永倉は苦い薬でも飲まされたような顔をして、がしがしと頭を掻いて、私を睨みつける。
「なんで俺にその話をするんだよ」
何故永倉だったのかと問われると、あまり私なんかの心配するなと言いたいだけだった。
ただそれ以外にも、なんとなく永倉になら話してもいいだろうと思っただけだ。
「永倉が一番笑い飛ばしてくれそうだから、だよ。
確証のないことにマジになられても困るだろ」
私がにこにこ笑っていたら、永倉に額を叩かれた。
気持ちはわからなくもないので、私も大人しく受けておく。
「あんまり自分が死んだらとか言うんじゃねェ。
近藤さんらも心配するぞ」
「わかってる」
「俺だって、心配になんだろ」
「……ごめん」
私がまた笑ったまま謝ると、永倉に頭を抱き込まれ、俯いた私の心に涙が溢れてきた。
私を心配してくれる人たちはいつも優しい人ばかりで、その人たちを助けたいから無理も無茶もしてきた。
だけど、それこそがやはり心配させる要因で、そうさせることしかできない自分が情けないと思ってしまう。
「葉桜は考えすぎなんだよ。
俺たちは心配したいからしてんだ。
オメーがそれを気にするコトはねェ」
「オメーだって勝手してんだからよ、俺らも勝手に心配させとけ」
いつもいつもこうして私は周りに助けられてばかりだ。
新選組のために何も出来ていないのに、もしかするとこれから自分がいるせいで巻き込まれることもあるかもしれない。
それなのに、どうしてこの人たちはこんなに優しいんだろう。
出来ることはないから、私が小さく「有難う」と呟くと、永倉に更に強く頭を抱かれた。
08.2.1# 〆
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