幕末恋風記[本編6-]

□八章# 会話二
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----08.2.2#稽古と風呂

(藤堂「時の流れ」[裏])




 稽古場に響く木刀の打ち合う音は、なんとも心地よいものだ。
 季節はもう冬を過ぎ、春の盛りも過ぎた初夏の陽気で。
 涼やかな風に穏やかな日差しは、私のもっとも好むところである。

「ほらほら、足元が留守になってるよっ」

 言いながらも相手の足元めがけて私が木刀を打ち込むと、平隊士はあっさりと体勢を崩して、尻餅をついた。
 すかさず、私は彼の真上に木刀を振り下ろし。

「ひっ」

 思わず目をつむった平隊士の頭に軽く当てる。

「死ぬ気か、馬鹿。
 もっと足掻けよ」
「っ、は、はひっ」

 ガクガクと震えながら頷く平隊士に、私が柔らかく笑いかけると、その顔に瞬時に朱がはしる。
 わかっててやっているので、私は口端を軽く上げて、微笑んでみせた。

「腹筋百回、素振り百回、今日中な。
 終わったら、私のところまで報告にくること」
「……えっ」

 今度は顔を青ざめた平隊士に、目線を強くして笑いかける。
 これでもかなり甘いほうなのだが、この平隊士にはわからないらしい。
 鈴花が相手であれば、私は更に走りこみを要求する。

「返事は?」
「はいっ」
「よろしい。
 次!」

 返事を聞いてすぐに私は次の稽古相手を求めた。

 そんなことを昼食も取らずに続けていたのは、ただ純粋に腹が減らなかったからだ。
 どれだけ稽古しても足りないと、心の欲するままに剣を振り続けていた。
 今日の相手は先日入隊したものばかりで、最初は皆が皆私を女と舐めてかかっていた。
 だが、半刻もあれば変えることなど容易いものだ。
 これでも元は一道場の主であったし、実践経験の場数など、並の男に引けを取ることはないだろう。

 休憩は順次取れと言っておいたので、昼過ぎの道場内に残るものはかなり少ない。

「葉桜先生、メシは?」
「あー……」

 残っている隊士に問われて、私は道場内をぐるりと見回す。
 どれも疲労が色濃く出ているようだ。
 それでも残っているのは、上にいる私が残っている故の遠慮なのだろうか。

 私は少し考えた末に、ひとつ頷いた。

「用を思い出した。
 おまえらはしっかりメシ食って休めよ」

 木刀を放り投げ、私が道場を出ると、背後で本気の安堵が聞こえてきて、私は思わず笑ってしまった。

 汗もかいたが、今は風呂に入る気分じゃない。
 だったら、と私は井戸に足を向けていた。
 屯所内の気配は疎らだし、見つからなければ水浴びしたっていいだろう。
 誰かに見つかる前に、さっさと水を浴びて、部屋に戻って着替えるか。

 弾んだ足取りで井戸まで辿り着いた私は、音を奏でるように井戸から桶を引き上げていく。

「ふんふんふふーん」

 しかし、鼻歌まで歌い出したところで、彼は現れた。

「……斎藤、おかえりー……」

 私がこの場で水浴びするには巡察帰りの斎藤を追い返さなければならないようだ。
 がっくりと井戸の端にしゃがみこむ私の隣に斎藤が屈んで、顔を覗きこんでくる。

「どうした、葉桜?」
「なんでもないよ」

 流石に私もこんだけ汗をかいたままではいられない。
 水でないのは残念だが、風呂を使うしかないだろう。

「……風呂、空いてるかなぁ」

 良順が訪問して、山崎や鈴花の指導が入って以来、風呂に入る隊士が増えた。
 それまでは自由にのんびりと利用していた私としては、少しばかり複雑な心境にならざるをえない。

 そりゃあ、隊士たちが清潔にするというのは様々な利点も多い。
 京の町民にも花街の姐さん方にも評判はいいし、何より血の匂いが薄らいだことが一番いい。
 良いのだが、私としては好きなときに好きなだけ風呂に入れたという何よりも至福の時間が減ったわけで。
 しかも、以前よりも更に厳しく湯帷子の着用を命じられてしまった。
 それが嫌なら、京の町で湯屋に行けばいいのかもしれないが、自分のような刀傷の多い女なんて、一緒の湯を使うことさえ嫌がる者が多いのも事実。

「葉桜は風呂に行くのか」
「そのつもりだけど、空いてなければ、また稽古でもつけてくるかな」

 斎藤はぽんと私の肩に手を置き、ぐいとそのまま背中を押した。
 私は斎藤に促されるままに歩き出す。

「なに、斎藤?」

 斎藤はずっと無言のままに歩いているが、その道行が風呂場と気づいた私は困惑に眉をひそめた。

「ちょっと、斎藤」

 無言で脱衣所の前まで来た斎藤は、そこでちょっと待っていろと目で訴えて、脱衣所の中へ入ってゆく。
 私は仕方なくその場にしゃがみこんで、様子を見ることにした。

 しばらくして、中からがやがやと騒々しい声がして。

「な、葉桜先生!?」
「ぉあっ」
「な、え、あ……っ!」

 出てきたのは先程まで稽古をつけていた平隊士たちだ。
 汗を流してから出かけるつもりだったのだろう。
 それぞれに驚いた反応を見せる者たちに、私はしゃがんだままでひらひらと手を振ってやり。
 彼らが礼をしていなくなった最後に出てきた斎藤を前に、立ち上がる。
 彼はちゃっかりと湯を使った後のようだ。

「そこまでしなくてもよかったのに」
「ついでだ」

 斎藤も巡察から戻って、汚れを落としたかったらしい。
 それにしたって、普段の斎藤なら報告を済ませてから、湯を使うところだろう。
 つまり、湯を浴びたい私に考慮してくれたらしい。

「ありがとう、斎藤」

 私は素直に笑顔で斎藤に礼を述べ、風呂をいただくことにした。

 のんびりと湯に浸かった後で私が脱衣所へ行くと、卸したてみたいな新品の浴衣が置いてあった。
 疑問に思いつつも、袖を通してみると、普通の女性よりも背が高い私にはぴったりのシロモノだ。
 男物、と考えもしたがその柄はどうみても違う気がする。
 淡青に濃紺の菖蒲が咲いた、艶やかな柄物だ。
 近藤でもなければ、なかなか着ることはないだろう。

「お、斎藤?」

 脱衣所を出た私は、座っていたらしい斎藤を見つけて、目を見張る。
 まさか、待たれているとは思わなかった。

「土方に報告に行ったんじゃ」
「もう済んだ」

 それより、と腕を捕まれ、またどこかへ連れて行こうとする斎藤に、私は首を傾げる。
 もとより抵抗する気もないし、こんな風に斎藤がしているのは珍しい。

 連れてこられたのは、斎藤の部屋、だと思う。
 無駄なもののない寝起きのためだけのような部屋は自分とどこか似ている気がして、苦笑いが浮かんできてしまう。

「髪を拭け」

 手渡された手拭を見て、それから斎藤を見て、そうかと私は納得する。
 おそらく、土方にでも聞いたのだろう。

「気にしなくていいのに」

 私が一向に髪を拭こうとしないのを見ていた斎藤は、ひとつため息をつくと私に渡した手拭をとって、後ろに回ってきた。
 そのままガシガシと無遠慮に髪を拭く手付きは慣れたものではないが、これはこれで心地良い。

「んっ、もう、ちょっと……優しく……」

 一瞬だけ斎藤の手が止まり、それから更に乱暴に髪を拭かれる。

「ぉあぁぁぁああー、痛気持ちいー……」
「紛らわし声を出すのはやめろ」
「んふー」

 私が目を細めていると、ぽんと頭に手を置かれた。

「後は自分でやれ」
「はーい」

 返事をしたものの、私はさっきよりも緩く髪を撫でるだけに留めた。

「葉桜」
「斎藤ー、これどうしたの?」

 見咎めた斎藤が私を呼ぶのを遮り、これ、と私が指したのは自分が着ている浴衣だ。
 当てずっぽうで言ったものの、斎藤からは珍しくわかりやすい動揺が返された。

「……もらった」
「へー、誰に」
「……余計な詮索はするな」

 私がからかうように言うと、斎藤から鋭く睨まれてしまった。
 でも、どうみても斎藤のは照れ隠しで、珍しいから私はニヤニヤと見てしまう。

 しばらくそうしていると、ぽつりと斎藤が言った。

「総司が」
「ん?」
「悩んでいる」

 ぽつり、ぽつりと迷いながら話している斎藤の声を頷きながら聞く。

「何故、葉桜はあれを放っておける」

 咎めるような斎藤の目を真っ向から受け止めて、私はゆるく笑った。

「人は悩んで迷って、大きくなるんだよ、斎藤」
「今の沖田に誰かが答えを教えては意味が無い。
 沖田は自分でそれに気づかなきゃいけないんだ」

 そうだろう、と微笑む私を見る斎藤の視線は鋭く、私の中の何かを見極めようとしているようだ。

「だから、私は時間の許す限り沖田の答えを待つよ」

 沖田に残された時間が短いことを知っているから、私はただその時までに気づいてもらえたらいいと願っている。

「……総司が答えを出したら、葉桜はどうするつもりだ?」

 斎藤が、まるで沖田の答えを知っているような口ぶりでいうから、私は目を瞬いてしまった。

「どうって、どうもしないよ。
 私は私で、沖田とは別の人間だ」
「ただ、今の沖田が成長したらいいと願っているよ」

 育てるのも年長者の勤めだろう、と言うと、少しの間の後で斎藤に軽く頭を叩かれた。

「年長者というなら、きちんとした振る舞いをしろ」
「してるじゃないか。
 今日なんて、ずーっと平隊士に稽古をつけてやってたんだぞ。
 エライだろう」

 私が無い胸を張ると、また頭を叩かれた。

「そんなのは当たり前だ」

 お前は強いんだからという斎藤を、私は叩かれた頭を抑えて睨みつける。

「その当たり前をしてない斎藤に、文句を言われるのはムカつくなー」

 稽古嫌いで有名な斎藤に言い返すと、少しだけ罰が悪そうにしている。

「以前よりはしている」
「今は隊士の数も増えてるんだから、ちゃんと指導しないとだめだよー、斎藤先生?」

 からかうように口にしてから、私はようやく腰を上げた。
 うーと両腕を上に上げて、体をほぐす。

「そんじゃ、午後の稽古は斎藤に任せて、私はなんか食べてくるわー」

 ちらりと盗み見た斎藤は露骨に眉を顰めている。

「メシはちゃんと食え」
「はいはいはーい」

 不満気な斎藤に適当に返事を返し、私は斎藤の部屋を後にした。

「……土方さんの言う通りだったか……」

 そんな風に斎藤がつぶやいていたことなど、全然知らないままに。



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