幕末恋風記[本編11-]
□十四章# イベント(A)
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(近藤視点)
葉桜君の女姿というのは何度も見たことがある。
そのほとんどが烝の手によって仕上げられた姿だったけれど、それでもかなりのものだった。
それが、本職の彼女らの手にかかるとここまでになるとは。
普段の男姿とはあまりに違いすぎる。
女の子ってのは着飾るほどに変わるモノだけど、葉桜君のそれは変わりすぎだ。
「近藤さん。
似合わないのはわかっているんで、これ以上見ないでください」
化粧で白く染められた肌が恥じらうほどに赤く色づく様も、震えてふせられている睫も、その下から時折除く縋るような瞳も、とても普段の葉桜君とは似つかない。
なのに、どうしてだろう。
俺はこの目を知っている気がする。
少し動くだけで、彼女の結い上げられた髪に挿された簪が煌びやかな音を立てる。
慣れていないその仕草がとても新鮮だ。
「葉桜様、一緒に舞でもなさいませんか?」
「できませんっ。
もーホント、これ以上無理言わないで」
「うふふ、もうバテましたの?」
「うん、もうダメ。
だから、かえして」
どうしたっていうんだろう。
葉桜君の女姿には最近見慣れてきたっていうのに、今さら動揺している俺がいる。
「近藤さんからも頼んでください〜。
このままじゃ、私帰れません」
「え、なに?」
きいてなかったんですか、とぷりぷり頬を膨らませても、いつもほどの威厳はない。
ただ、愛しい。
その肌に触れてみたいという衝動をあと一歩で堪える。
「だーかーらぁ、これは一人じゃ着替えられない上に深雪ちゃんに着物を抑えられてるから、帰るに帰れないって言ってるんです」
やばい、かも。
葉桜君がとてもかわいらしく見えてしまって。
今の言葉はまるで、帰れないから脱がせてくれって言ってるように聞こえる。
「聞いてますか、近藤さん?」
葉桜君から視線を外し、深雪太夫の両肩に手を置いて、小さく囁く。
「これ、なんのゴーモン?」
でも、彼女は楽しそうに笑うばかりで。
「近藤様もそろそろ観念してくださいまし」
「え?」
「葉桜様がお好きなのでしょう?」
色を込めて囁かれる言葉に、心臓が止まりかけるほど激しく動揺した。
「深雪ちゃん」
それを遮る、強い声。
「どうなさいました、葉桜様」
普段通りの葉桜君の声だとわかるのに、その姿でより一層強く輝いて見える。
「近藤さんに妙なことを吹き込まないで」
「…妙なことですか?」
「私は、近藤さんにとってただの仲間よ。
男と女という関係にはなりえないわ」
強調してはっきり「仲間」と言い切られ、すこしばかり心が痛んだ。
葉桜君ならば、そう言うとわかりきっているのに。
「葉桜様がいくらそう思っても、近藤様はいかがかしら?」
見上げてくる深雪太夫の瞳が寂しそうなことに、俺はやっと気がついた。
今日はずっとその瞳を見ていたはずなのに、葉桜君にばかり気を取られてしまっていた。
「そんなことないですよね、近藤さん?」
こんな風に葉桜君から強い拒絶を受けたのも初めてだ。
いつも彼女の中に隠れている暗い淵が顔をのぞかせ、縋りついてくるのがよくわかる。
葉桜君は、恋や愛といった関わりを本能的に恐れている。
深雪太夫が俺の手を取り、軽く頬をすり寄せる。
その手をそっと葉桜君へと伸ばさせる。
「来てくださいまし、葉桜様」
「…深雪ちゃん」
俺の背を押し、葉桜君に近づけて、手を取らせる。
「私、お二人がとても大好きですの」
開いた花は静かに露に濡れている。
「だから、これ以上意地を張らないでくださいましね」
握った手は酷く冷たい。
俺の背後から、深雪太夫が囁く。
「葉桜様は気がついておられないだけです。
どうか、勇気をお出しになって?」
そうして、俺と葉桜君を二人だけ残して出て行ってしまった。
俺は握った手を離すことも出来ず、葉桜君は閉まってしまった襖から視線を外すことも出来ず。
葉桜君の震えがその手を通して伝わってくる。
「…聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「どうして、こんなことに…」
「私に聞かれても、困ります」
「…だよね」
深雪太夫の真意が読めない。
どうして、ここで俺と葉桜君を残していってしまうのか。
俺はただ、綺麗な女の子達と遊びたかっただけなのに。
「葉桜君」
「…対象外」
「え?」
「仕事相手は対象外ですよ。
そうでしょう、近藤さん?」
こちらを向いた強い瞳には誤魔化しが一つもない。
ただ真っ直ぐに、そうならないでと願っている。
俺も、言われるまではそうだと思っていたのに。
どうして深雪太夫はこんなことをするのだろう。
「このままでは帰れないです、ね」
「だね」
こんな姿を他の連中に見せるわけにはいかない。
だけど、脱がせるのは。
「近藤さん、手伝ってください」
俺が躊躇う間に、葉桜君がこちらに背を向ける。
「へ?」
「脱がせ慣れてるでしょ?」
仲間だと、葉桜君は言い切った。
だから、こんな行動にでるのだろうか。
だとしたら、他の男でもそんなことをするのだろうか。
…して、いるのだろうか。
目の前で葉桜君がひとつひとつ簪を丁寧に取り除いていく。
一筋、二筋と白い肌に交わる黒い髪はゆるく波打つ。
解放される毎に、ふわりと花の甘い香りが振りまかれてゆく。
「うわ、さすがに良い香使ってますね〜深雪ちゃん」
これほどに女の色香を持っているのに、どうして葉桜君はこうも無防備になれるのか。
それは仲間だと認めてくれているからだとわかっていても、問わずにはいられない。
「近藤さん、」
「う、うん。
本当にいいの?」
「いいも何も、こんな格好で帰るわけにはいかないでしょう」
こちらを振り返る、葉桜君の着物を後ろから一枚一枚丁寧に外してゆく。
五枚も外せば、それは見える。
「…やられた」
「気がついていない、か」
そう、重さでわからなくはなっていたが、葉桜は着物を脱いではいない。
ただ上から幾重にも着物を重ねられていただけだった。
深雪太夫の罠に安堵は半分で、落胆している自分は隠しようもなくて。
後ろから抱きしめる葉桜君からは、強く甘い香りが誘っている。
「重いです、近藤さん」
「……」
「馬鹿やってないで、帰りますよ。
そろそろ総司に薬を届けな」
笑いながら振り返る、葉桜君の頬を捕らえ、口を吸う。
体勢を崩した葉桜君をしっかりと腕に抱く。
「〜〜〜〜〜!」
叩いて押し返そうとする腕が次第に弱くなり、抵抗も無くなってから口を離す。
よりいっそう朱を増す白い肌がキラキラと眩しい。
濡れて乱れた小さな口元が、ひどく艶めかしい。
俺が、乱れさせた。
「こ、近藤さん…」
「…ごめん」
「な、謝るぐらいなら、こういうことはしないでください」
手の甲で乱暴に口を拭って、ふらりと立ち上がる葉桜君は、風に吹かれる枝垂れ桜のようにゆらりと揺れながら二、三歩進んで崩れ落ちる。
そう簡単に動けるわけない。
俺は、本気だったから。
謝罪は口づけたことに対してじゃない。
俺は、葉桜君に惹かれていると気がついていなかったから。
ただ娘のようだと思っていたから。
葉桜君は嫌がるだろうけど、好きになってゴメン。
俺はもうこの気持ちを止められそうにない。
揚屋を出てから抱え上げた身体は、以前よりもずいぶんと軽くなっている気がする。
それはきっと彼女がひとりで苦しんできている証だ。
「自分で歩けます」
「気にしなくて良いよ。
俺がこうしたいだけなんだ」
このまま、葉桜君を攫ってしまえたらいいのに。
腕の重みを感じながら歩く夜道は、いつもよりほんの少し明るいような気がする。
腕の中からまっすぐに向けられている恥ずかしそうな葉桜君の顔を見る度に、彼女は視線を逸らしてしまう。
もう一度、口づけたいけれど。
「…もう、降ろしてください」
屯所の裏口前でようやくその身体を降ろす。
すぐにでも離れたそうな葉桜君を抱きしめて引き止めてしまいたいのを堪え、その額に口づける。
「こ、近藤さん…っ」
「これ以上は、何もしない」
葉桜君の身体が跳ね上がる。
その瞳が大きく揺れている。
月を映すキレイな目だ。
「これ以上触れたら、葉桜君は消えてしまいそうだ」
君を無くしたくないと、思ってしまったから。
だから、これ以上は進めない。
大切だから。
ツネにはすまないと思うけれど、同じぐらいに大切、だから。
「消えません、よ?」
葉桜君は優しいから、そうやって、今も目の前で無意識に俺を誘惑する。
そんな葉桜君だから、俺は気がつかなかった。
仲間以上に大切な存在だということに。
そっと頬を撫でると、かすかに身じろぎし、しかし、そんな己を抑え込むように俺の手を自らとって、肌を寄せてくる。
「そばにいたいから、仲間、でいさせてください」
やわらかな肌が掌に吸い付いてくるみたいで、そのまま衝動に身をまかせてしまいそうで身体を離す。
「…総司を、頼む」
「はい」
葉桜君がいなくなってしまった後で、俺の部屋と彼女の部屋の境の廊下に腰を下ろす。
今夜はしばらく帰らないだろうけど、それでも少しでも彼女に関わるものの側にいたい気分だ。
ずっと大切な「仲間」なのだと思っていた。
ただ葉桜君が女の子だってだけで、その他は何も変わらないのだと。
だけど、深雪太夫はそれを壊してしまった。
決壊した想いをもう留めることは出来ないけれど、葉桜君が望むなら、俺は変わらず仲間でいよう。
俺は、決して君と一緒にはなれないから。
目を閉じるだけで葉桜君のいろんな姿が表情が、色を変える視線が思い浮かべられる。
それだけで、なんだか幸せな夜だった。
14.5.1# 〆