幕末恋風記[本編11-]
□十四章「墨染」# 本編
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----14.6.1-墨染
(沖田視点)
御陵衛士との事件から葉桜さんは少し変わったような気がする。
いつも遠くを見ている人でその視線の先まで決して探らせない人だけれど、最近は自分の周りの人たちを見ながら寂しそうに笑っていることが多くなった。
近くなったという人もいる。
だけど、僕はやはり遠くなったと思う。
「葉桜さん」
「んー?
苦いから飲みたくないなんて言ってもだめだぞー?」
僕の薬を用意し、僕の身体を起こしながら叩かれる軽口はいつも通りだ。
だけど、どうしてだろう。
極端に優しく感じるような気がする。
渡された薬を口にし、手渡された水で一気に飲み干す。
彼女の言うように、たしかに薬は苦い。
だけど、これも葉桜さんと生きるためと思えば苦ではない。
「なにかあったんですか?」
横になる前にと葉桜さんを振り返って問いかけてみれば、あの寂しそうな笑顔を浮かべて、何もないと答える。
僕がそれでダマされると、本気で考えているのだろうか。
倒そうとする力を利用して、その思う以上に細い腕を引き、あっさりと一緒に倒れてくる体を抱き寄せる。
「総司、冗談はよせ」
動揺のない笑いまでも含んだ声に少しばかり意地になる。
「葉桜さんはいつもそうですね」
「何がだ」
「僕の前ではいつも強がってばかりだ」
わずかな強張りが布団越しでも伝わってくる。
それは、僕の言うことが当たっているということだ。
本当にこの人はいつもこうだ。
たしかに僕よりは歳が上かもしれない。
だけど、僕だって男なんだ。
頼ってほしいこともある。
「これは僕の勝手な思いこみかもしれませんけど、本来の葉桜さんはそんなに強くないと思うんですよ。
本当はいつだって何かに脅えているみたいに見えることがあるんです」
「…て、ない…」
「例えば、気配のひとつひとつに、風の音ひとつひとつに。
振り返る度に、誰かを探していたり」
「総司!」
鋭い声に遮られ、僕は話すのをやめた。
腕の中で葉桜さんは小さく震えている。
まるで、産まれたばかりの仔猫みたいにふるふると耳を押さえて、体を縮めて。
「お願いですから、僕の前でまで無理しないでください。
真実は知らなくても構わない。
僕を一番に好きにならなくてもいいです。
だから、どうか笑っていてください」
空いている手で彼女の頭をゆっくりと撫でる。
しなやかで冷たい感触は手に触れるだけでもとても心地よく、ずっとこうしていられたらと願ってしまう。
でも、それじゃ彼女の笑顔は決して見えない。
手を弛めると、のろのろと起き上がった葉桜さんは僕の枕元にぺたんと座り込んだ。
今にも泣きそうだけれど、さきほどまでとは違って気の抜けた様子だ。
「総司、おまえいつからそんな謙虚になった?」
「もとからですよ」
「あはは、それは初耳だ」
笑い続ける葉桜さんの瞳からほとりほとりと雫が零れ始める。
僕が体を起こしても気がつかない葉桜さんをそっと包み込む。
「ええ、僕もこんな風に思ったのは初めてです。
いつもはあなたに会いたくて、触れたくて仕方ないぐらいだというのに」
「え?」
「何を驚いているんですか?
僕だって葉桜さんを好きな一人の男ですよ」
葉桜さんの生きる世界を守りたいと願う、一人の人間だ。
腕の中で気配に気がついた葉桜さんの空気が変わる。
いつもの強い人のそれに。
「総司」
「ふふ、こういう時でなければ押し倒してしまいたいところです。
無粋な人たちだ」
「冗談言ってないで逃げるぞ」
立ち上がろうとする体を強く押さえ込む。
「…久しぶりだし、楽しませてもらいましょうか」
「なっ、馬鹿なことを言うなっ。
総司はまだダメだ!」
「うーんでも、この人数、強さ…葉桜さん一人では厳しいですよ」
「一緒に裏口から逃げるんだ」
見上げてくる必死な様子に、そんな場合ではないのに心が躍る。
葉桜さんの瞳はいつみても吸い込まれそうにキレイだ。
「だから、ここは僕が」
「総司!!」
「はぁ、仕方ないですねぇ」
安堵しかけた彼女に持ちかける。
「葉桜さんが僕に口づけてくれたら、大人しく逃げましょう」
怒られるだろうかと面白そうに見ていたら、即座に唇に柔らかな感触が触れて、さっと離れた。
怒ってもいなければ、戸惑い一つ無い。
「逃げるぞ!」
腕から抜け出し、僕の腕を引く葉桜さんについて部屋を移動しながら、自分の唇に触れる。
冗談、だったのに。
まさか、本当にしてくれるなんて。
嬉しいような、それとも意識されていないというような寂しさが募る。
裏口から抜け出したところで、二人とも気配を潜める。
と、屋内から声が聞こえる。
「いないぞ!
どこへ行った!」
「あっ!
裏口があるぞ!」
「追えっ!
沖田を始末しろ!」
明らかに僕を探しに来た人たちに葉桜さんが歯噛みする。
「総司、伏見の奉行所まで走れるか?」
全神経を襲撃者に集中している葉桜さんに今、何を言ってもだめだろう。
何より、すぐそこに敵は迫っている。
「こうなっては走るしかないでしょう。
できる限りやってみますよ」
よし、と頷いて葉桜さんが僕の手を引いて走り出す。
行く道はまさに一本道で、民家が在れば、その中を平然と通り抜けてゆく。
そうして、屯所にたどり着くと、迷い無く葉桜さんは近藤さんの部屋へ向かっていく。
「葉桜さん」
「ここならもう大丈夫だ。
今日は近藤さんも土方さんもいるはずだから」
真っ直ぐに進んでゆく葉桜さんの手に逆らい、足を止める。
彼女が一番頼りにしている人たちが誰なのかなんてわかってはいたことだけれど、それでも少し胸が苦しい。
「総司?
どうしたんだ?」
見上げてくる葉桜さんを抱き寄せ、今度は僕から口づける。
触れるだけの優しいものじゃなくて、記憶に残りそうなほどに濃厚なものを。
どれだけそうしても葉桜さんの奥には近づけないと分かっていても。
「…な、」
「僕は本当に葉桜さんが好きなんです」
堪えきれずに零れる甘い吐息も全部、今は僕だけのもの。
「…総…」
「僕だけを見てくれなんて言いません。
今の僕を頼ってくれとも、言いません」
力が抜けてもたれ掛かってくる体を大切に抱きしめる。
「僕を、置いていかないでください」
最近の葉桜さんは以前の明るさを取り戻したかに見えて、その実はとても危なっかしい。
これが最後だとでも言うように無理して笑顔を絶やさぬようにしている姿を見かける度に、そのうちに彼女がどこかへ消えてしまうような予感さえしてくる。
そう、この予感こそが不安を奥深くからえぐり出し、掻き出している。
彼女は「約束」してくれたのに、それでもいなくなってしまう予感は日増しに強くなっている。
だから、僕の力で留めておきたいと願ってしまう。
僕を見つめる彼女の瞳は潤んでいたけれど、やはり雫は零れなくて。
「そんなこと言って、私を置いていこうとするのは総司の方だろう?」
ただいつものようにふわりと笑った。
寂しそうなその笑顔の先に重ねているのは、彼女の父上だろうか。
彼女を置いていったその人は、今なお深く彼女に根付いて離さない。
僕の胸に頭を当てて、囁く。
「誰も総司を置いていったりしないから」
自分が、と葉桜さんは言わなかった。
だけど、この時の僕は気がつかなかった。
気がつかないで、ただ葉桜さんが愛しくて、彼女を抱きしめた。
互いに置いていかないことを願いながら。
* * *