幕末恋風記[本編11-]

□十四章「墨染」# 本編
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(葉桜視点)


 日はまだ高く、辺りは冬らしい寒々とした風景で囲まれている。
 枯れたススキが風に身体を倒しながらもなお生き長らえている中を一頭の馬が一直線に蹴散らしながら駆けてゆく。
 乗っているのは全身を真っ白い布で覆っている葉桜だ。
 馬にしがみつくようにして駆けてゆく。
 普段は自力でのんびりと移動してばかりだから、あまり馬の操作は慣れていないのだ。
 だけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。
 間に合わなければ、近藤の身が危ない。

 時間的にはそろそろ近藤も二条城から戻る頃だ。
 その前に、間に割り込めれば私の勝ち。

(間に合ってーー!)

 まさに風のごとく通り過ぎてゆく風景に恐怖しながら、それ以上に怖いのはあの人の心を少なからず折ってしまう怪我のこと。
 剣士にとってどれだけ剣を振れることが幸せか、剣士にとってどれだけ剣を振れることが大切か、よくわかっているつもりだ。
 私自身はそんなことになることはないのだけれど、それでももしも剣を振るう腕が無くなってしまったら、動く足が無くなってしまったらと思うともう生きることさえ考えられない。
 誰も助けることが出来ない自分なんて自分じゃない。

 近藤だって、いつだって余裕で飄々として底抜けに明るくて、どんな心配だってどんな恐怖だって吹き飛ばせるあの笑顔じゃなきゃ。
 私は私を許せない。

 紙に書かれたのはたったの一文。



「近藤さんが二条城からの帰路で狙撃される」



 死ぬとは書いていなかった。
 だけど、簡単に書かれたそれを見たときから決めていた。
 絶対に阻止すると。
 たとえ、自分の身体を犠牲にしてでも、止めてみせると。

 そのためにいろいろとやってきた。
 御陵衛士たちと闘ったあの夜からも何度も連絡を取ろうとした。
 だけど、当然ながら篠原は頑固で、彼の仲間たちも同じで。
 いくら薩摩に操られていただけだと話しても聞き入れてはくれなかった。
 結局は伊東さんらを殺してしまったのは新選組だから。

 何を言ったって言い訳にしかならないことはわかってる。
 守ると言いながら、伊東を守れなかったのは私だから。
 あの時少なくとも一人で来なければ伊東は死ななかったかもしれないのに、私が「信じてほしい」なんて余計なことを言ったから。

 私ならいくら責められたって構わない。
 だけど、篠原達はまったく取り合わなかった。
 彼らの話を盗み聞いて、襲撃の計画を知ったけれど、それは誰にも話すことができなくて。
 あげく、焦燥を沖田に見抜かれてしまった。

 強くならなきゃ誰も守れないのに、弱い自分を見抜かれて、支えられて。
 そうして私は生きてきたから。
 支えてくれた人たちに哀しい想いをさせたくない。
 絶望を、報せたくない。

 必死にしがみついている葉桜の耳には風に混じっての話し声が聞こえる。
 二つの、音。
 まずい、もう時が無い。
 馬が暴走するのも覚悟して、葉桜は馬の腹を蹴りつけた。
 一度高く嘶き、先ほど以上に馬が暴れ出す。
 まずい、これに気づいて近藤さんが立ち止まるのもいけない。

「こ、近藤さーん!!」

 遠くから急いで駆けてくる二つの蹄の音に合わせ、わずかに身体を起こして確認する。
 こちらへ向かってくる馬上には、遠目でも似合わない裃を着た近藤と島田の姿が見える。
 すれ違うときが勝負だ。
 風の音に声が混じって、段々と鮮明に聞こえてくる。
 きっと篠原たちのこの時を狙うはずだ。

 近藤の差し出す腕に飛び込む寸前に、声を限りに叫ぶ。



「やめろ、篠原!
 撃つなー!!」



 間に合えと、強く願った。
 その願いは届き、熱い痛みがこの身に残る。
 背中に熱い熱が残る。
 近藤の腕は届かず、私は草むらに転がり落ちた。
 衝撃で息が詰まりそうになるけど、そんな状況で、もう一つの音を聞いた。

 絶望を放つ音は、まっしぐらにあの人へと伸びてゆく。
 そして、近藤の呻きと、島田の焦る声。

「あ、ああ…っ」
「葉桜さんっ、先に行きます!」

 情報では銃は一丁だったはず。
 何故、どこでそれを手に入れていたのか。
 馬にしがみついている近藤に必死に声をかけている島田の姿が見える。
 その手綱を手に、駆け去ってゆく。
 安堵して、馬の走り去る音を聞きながら、苦しい身体を起こして、同じく草むらから姿を現した篠原と対峙する。
 あちらは鉄砲。
 こちらは、たった一本の懐剣を握るのがやっとだ。
 だけど、それが何だ。

 島田には一言だけ、言ってある。
 二条城からの帰り道、何があっても立ち止まるなと。
 だから、あとは大丈夫だ。
 近藤は彼に託しておけばいい。

「近藤さんを殺したいなら、先に私が相手になってやる!
 私を殺してから行け!!」

 篠原らはしばらくこちらに銃を構えていたが、小さく舌打ちして走っていった。

 いなくなったのを見届けてから、そのまま身体の力を抜くと、簡単に地面に打ち付けられる。
 体中が熱くて痛くて、もう背中の痛みなのかどうかもわからない。
 閉じた世界は真っ暗闇で、こんな人気のない道端で差し伸べられる手なんてあるわけもなくて、ただ痛みに耐えることしかできない。

「…っ…はっ…、」

 近藤は、大丈夫なのだろうか。
 まだ近藤は死ぬ運命に無いけれど、懐から紙を取り出してみる。
 事象の書かれているそれの文字は近藤が撃たれたこと、それから、これから戦線を離脱して療養することしか書かれていない。
 生きているのは、確かだ。

 私は、死ねない。
 死ぬほどの痛みがあっても、死ねない。
 幕府がなくならない限り、死ねない。

「ーーとう、さま…」

 父様が死んでから、死にたいと何度も願った。
 芹沢を殺してからも、何度逃げてしまいたいと思ったことか。
 だけど、何があっても私は諦めることも逃げることも許されない。
 呪いのためだけじゃなく、父様と最期に交わした「約束」のためにも。
 ーー父様の分以上に幸せに生き抜くことを、諦めちゃいけない。

 心臓のあたりを抑えて堪えていると、熱い痛みが頬を伝わり落ちてゆく。
 目の前が暗くて、誰もそばにいない。
 だけど、確かに感じる温かな気配が、それを拭う。

「葉桜ちゃん、しっかりするのよ!!」

 山崎のせっぱ詰まった声。
 泣いているようだ。

「美人が、台無し…よ?」

 目を開けると、歪んだ色が滲む。
 虹色がぐちゃぐちゃに混ざって、まるで芸姑たちの晴れやかな踊りでも見ているみたいな気になってくる。

「それどころじゃないわよっ、もう、いつかやると思ってたけどっっ」

 山崎は笑ってるほうが好きだ。
 男くさい新選組における華だって、本気で私は思ってる。
 私よりずっとキレイで可愛い。

「莫迦なこと言ってないで!
 すぐにお医者様にみせてあげるからね!?
 しっかりするのよ!!」

 包み込まれる優しさが、温かさが体中に染みこんでくる。
 こういうものを守りたいから、私は生きるんだ。

「…ちょっと、葉桜ちゃん!?」

 焦る山崎の声を聞きながら、微笑みながら葉桜は意識を手放した。
 時が、終わらないことを感じて、また涙していた。



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