幕末恋風記[本編11-]

□十四章「墨染」# 本編
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 ひらりと舞い落ちてくる何かを感じて、ゆっくりと目を開く。
 ひらりひらりと薄紅の欠片が踊るように揺らぎながら、自分の上に落ちてくる。
 季節外れの桜の花が狂い咲いているのだろうか。
 起き上がると、周囲で桜の花片が散らばり落ちる。

 そこは見渡す限り一面の薄紅に埋もれていた。
 様々な土地に行ったけれど、こんな場所は見たことがない。
 救う花片のいくつかはふわりと逃れて落ちるが、半分以上が留まっている。
 それらを一気に空に放り投げると、花片がいくつもいくつも降り注いでくる。

「どこだろ、ここ?」

 桜はキレイだから好きだ。
 昔はこんな一斉に咲き誇るような桜はなかったらしいけれど、近年になって江戸の染井村の職人達によって育成された。
 最初に咲いた一枝を、父様と見にいったことがあったっけ。
 それ以来、毎年のように二人で見に行って、父様がいなくなってからも一人で見に行った。
 もちろん、あそこの人たちは葉桜の身分や役目のことなんて全然知らない。
 ただ、桜の花咲く季節になるとふらりと訪れる浪人程度に思っている。
 でも、行く度に良くしてくれる。
 何者かもわからない葉桜に宿を貸し、花見に混ぜてくれる。

 ぐるりと見回すと自分の真後ろに大きな桜の木を一本見つけた。
 とても大きなその木はまさに満開で、葉桜は起き上がって、木に駆け寄る。
 幹に触れようと伸ばした手が、直前でパチリと白い光が弾けた。
 目の前で起こった出来事が信じられなくて、目を瞬かせる。

「何、今の」

 もう一度手を伸ばしてみる。

「っ!」

 今度は指先から白い光に包み込まれてゆく。
 身体だけじゃない。
 思考までもがその光に包み込まれて、何も考えられなくなる。

ーー……。

 そんな中なのに、誰かの声を聞いた。
 葉桜、と私を呼ぶ優しくて、くすぐったい声。
 どこかで聞いたことがある気がする。
 だけど、物心ついてから会ったことがある人にはない声だ。

「なんで葉桜なんだ!?
 なんでこいつ一人が傷つかなきゃなんねーんだ!!」

 次に聞こえたのは父様の激昂する声で、そんな声を初めて聞いた。
 父様がこんな風に怒鳴るのなんて初めてだった。

「一人の人間が業とやらを昇華して行かなきゃならねぇ世界なんざ、滅びちまえばいい!」
「おい、飲み過ぎだ。
 葉桜が起きる」
「どうして…葉桜なんだよ…。
 こいつが何したってんだ…っ」

 悲痛な声をただ布団の上で黙って聞いていた。
 いつも笑って守ってくれていたから、気がつかなかった。
 こんなにも私自身のことで父様が傷ついていたなんて、知らなかった。
 あれから、私はいつも笑っているようになったんだ。

「運命なんてもんはな」

 また違う声だ。
 これは若い時分の芹沢の声。
 生気と自信だけに充ち満ちていた頃の、葉桜の好きな声だ。

「運命なんてもんは変えようと思えばいくらだって変えられるもんなんだよ」

 撫でる手の重さを今でも覚えてる。
 意地悪で優しかった彼の言葉の全てを、覚えてる。
 そう、運命は自分の手で変えられると教えてくれたのは芹沢だった。
 だからこそ、ここまで一人で走り続けてきたのだ。
 今更戻るコトなんて考えてない。
 始めてしまったのは私だから、終わらせるのも私だ。

 白い光の中に願う。
 居るべき場所へ戻れるようにと、願う。
 私の居るべき場所はーー。



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