若葉の候

□私と道場破り
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 空を見上げるのがクセになったのはいつからだっただろうか。
 最初は父様の真似をしていただけだった。
 付き人だった男が「涙がこぼれないように」と言ったこともあった。

 だけど、どれだけの理由をつけても間違いなく自分はこの空を見るのが好きなのだと思う。

「ただいまーっ」

 初めて来たとき変わらず城住まいの葉桜だったが、それでも月日が流れる間に変化も多かった。
 駕籠で来ることが無くなり、付き人もいなくなり、一人で往来を歩くようになり、巫女装束を着なくなり。
 そして、腰には一振りの小太刀を携えていることが多くなった。

「おかえりなさい、葉桜」

 出迎えてくれる母様はいつも穏やかな笑顔を浮かべている人で、私はこの人が取り乱すのを見たことがない。

「道場が騒がしいようだけど、道場破りでも来てるのか?」
「ええ、そうみたい。
 おまんじゅう食べてからにする?
 先に行ってくる?」
「父様は食べたのか?」
「まだよ」
「じゃあ、持っていく」
「お客様にお茶も出してちょうだい。
 今日は近づくなって言われてるの」
「ふ〜ん、じゃあ強いのだな」

 にやりと微笑む私をただ黙って母様は見つめる。
 その優しい眼差しに幾度救われてきただろうか。

 用意されたお茶とお茶菓子を手に、軽い足取りで道場へ向かう。
 そして、中の様子が緊迫しているのに気が付きながら、勢いよく扉を開け放つ。

 そこにいる男の気配に心がざわめく。
 存在の大きさは父様に敵わないにしても、それなりだ。
 だが、葉桜が何よりも気になったのは、その影。

 刀を差している者なら誰しもひとつやふたつのそれを持っているだろう。
 だけど、彼の場合は違っていた。
 今にも取り憑き殺そうと隙を伺っている闇が一つや二つではない。

「誰だ」

 注意深く足を踏み出す。
 闇に足を取られないように近づく葉桜を彼は露骨に訝しんでいる。

「葉桜、止めておけ」

 もう少しというところで後ろから肩を引かれ、大きな腕に包まれていた。
 父様は普通の人間だけど、勘がよい。
 だから、わかっているのだろう。

「お茶を出すだけだ、父様」
「いいから、おまえは近づくな」
「ほぅ、貴様の娘か。
 似てないな」

 ぴくりと父様と同時に眉を顰める。
 ここでそういうことを言う者の方が少ない。
 むしろ、本当の親子と思っている者の方が多いぐらいだ。
 血の繋がりは多少あるが、やはり他人という事実は変わらない。

「それとも、小姓にそう呼ばせているだけ、か。
 どちらにしても酔狂な」

 投げた小刀が男の頬をかすめて、向こう側の壁に刺さった。
 普通は狼狽えるものだが、男は逆に興味深げに私を見る。

「違うのか?」
「当たり前だ!」
「なら、丁度良い」

 どかどかと目の前に歩いてくる男が真っ直ぐに父様と向かい合うのをじっと見上げる。

「こいつを俺にくれ」
「やだ」

 父様が答える前に言い、ぎゅっと頼れる体にしがみつく。
 父様はただ、笑って。

 私を差し出した。

「ああ、いいぜ」
「え、や、やだぁっ」

 じたばたする私を猫の子のようにつまみ上げる男は口の両端をつり上げて笑う。

「はっはっはっ、冗談だ。
 そこまで女に不自由してねぇよ」
「!」

 ほいと放り投げられ、体を回転させて、着地する。
 いつもならすぐに立ち上がれるのに。
 急に突き放されたことでうまくバランスが取れない。
 不格好に崩れ落ちたまま、父様を見上げる。

「なんだ、あんたなら構わねぇと思ったんだがな」

 どうしてと疑問と絶望が頭の中をぐるぐると回る私を、父様が軽々と抱き上げる。
 その頭をきゅっと抱きしめると、まだぎゅっと抱きしめ返してくれる。
 だけど、絶望が消えない。

「葉桜は外を知らねぇ。
 しばらくいるなら構ってやってくれ」

 そんなのいらないのに。
 父様さえいてくれれば、私は他の何もどうでもいいのに。

 ぎゅっとしがみつく葉桜の背をいつものように優しく叩いてくれる。

「さて、いつものいくか?」
「………」
「真剣勝負だ。
 何を使っても構わねぇぜ。
 やるか?」

 頷いて顔を上げる。
 大きな父様の手が頬を引っ張る。

「俺が悪かった。
 機嫌直して、相手してくれ」
「父様の馬鹿……っ」
「あーわかったわかった。
 あんたも茶ぁ飲んでいけや」
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