「灯籠流し」

□灯籠流し1
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 時々どうしようもなく自分が嫌いになるときがある。
 そういうのは大抵最悪のタイミングでやってきて、最悪のタイミングで私の気持ちを否応なく連れ去るのだ。

 逃げるのが嫌いで、負けるのが嫌いで、弱さを見せるのが嫌いな私はいつの間にかそっちの世界に足をつっこんでいたに違いない。

「有栖、こっちこっち」
「あー?」
「ほらぁ、そんな顔しないで」

 見た目二十代後半の母が呼ぶのにしかたなく歩き出す。
 ダメージジーンズと重ね着した二枚のキャミソールの上から薄手のスウェットパーカーを羽織っただけの自分を追い越す人々はそれぞれに浴衣を着て、それぞれに灯籠を手にしていて、哀しそうな寂しそうな、楽しそうな顔をしている。

 今日はあの人がいなくなって、丁度十年目を迎える日だ。
 あれからずっと放っておいた長い髪が背中で波打つ。

「今年は間に合わないかと思ったわ」
「ふーん、さっさと行ってきたら」
「ね、良くできたと思わない?」
「今年は沈まないといいね」

 苦笑いをしながら歩いていく母の背中を見送り、道の端によってポケットから取り出した煙草に火を点ける。
 あの人は知らないことだ。
 知らなくていいことだ。

「おー未成年」

 口をつけたばかりの煙草を取り上げられ、相手を睨みつける。
 こいつは城野達海といって、近所の悪い兄貴分だ。
 私よりも六つぐらい年上と聞いたこともあるけど、昔からお小言が多い。

「こんなもん吸ってちゃ補導されるぞ」

 普通は吸うなとかやめろとかいうもんだろうに、こいつは言ったことがない。
 ただ、取り上げるだけだ。

「おふくろさんは?」
「行ったよ」

 どうせもう一本を点けても取り上げられるだけなので諦め、人の流れをじっと見つめる。

 一定方向へと流れる人達を見ているとなんだか川の流れを見ているような気分になることがある。
 それを見ているときにいつも思うのは疎外感。

「今年も笹舟か?」
「うん」

 私が小学校に上がったばかりの夏だった。
 溺れている人を助けようとして飛び込んだ父が死んだのは。
 天性のお人好しとはいえ、自分が泳げないことぐらい知っていた欲しかった。

 人の流れの中でさ迷う視線の前を大きな手が遮る。

「今日はまっすぐ帰れや、有栖」
「からまれなきゃいつもまっすぐ帰ってるよ」
「…いや、それはわかってんだけどな」

 歯切れの悪い言葉はいつものことだ、邪魔な手をはね除ける。

「達海兄ィがあの人守ってくれるんなら、私もほうっておけるんだけどね」
「それがマジなら苦労しねぇよ。
 今度はどことやりあったって?」
「知らない」
「知っとけ。
 中坊がコーコーセーなんか相手にしてんじゃねぇよ」

 喧嘩相手がどこだとか知った事じゃない。

「機嫌の悪い時に、私の目の前で喧嘩する奴が悪い」
「だいたい丸腰の一人相手に数人で得物使ってる奴なんざ、たたきのめしてやった方がいいに決まってんでしょうがっ」

 どうせ詳細は知っているだろうから、隠す必要なんてないだろう。

「またおまえはそーゆー」

 達海は何をやってるのか知らないけど顔が広い。
 裏の世界の人とかいろいろ聞くけど、昔から知っている有栖としては、単なる頼れる兄貴分だ。
 同じ歳ぐらいの妹がいたとかでいつも構ってくれる気の良い兄ちゃんだが、私は知っている。

「私のことより、彼女はどうしたのよ彼女は」
「ああ、さっき振られた」
「またぁ?」
「お前見かけたから声かけていいかって聞いたらな、なんか勝手に怒っていっちまった。
 あのパターンは駄目だな」

 人が良い、気前が良い、男らしいという点では完璧なんだが、どうにもこいつは女の子に対して間違っていると見える言動、行動が多すぎる。

「デートの最中にそりゃないよ、達海兄ィ」
「んなこといわれても妹分のお前が淋しそうにしてるのは放っておけねぇだろーが」

 ほら、こうやって余計な気を回すから。
 誤解される。
 でも、そんなことは言ってあげない。

「そらどーも。
 で、これで何回目?」
「数えてねぇ」

 達海のふかす紫煙が人の流れにかき消える。

「ね、達海兄ぃ。
 私がなってあげよっか」
「あぁ?」
「カノジョ」

 少しの間の後、前髪の辺りを抑えるようにぐしゃぐしゃと撫でられる。

「ははっ、いっちょ前に慰めてくれてんのか」

 もちろん冗談だ。
 この人は本当の兄のようで安心する。
 昔はよく父もこうやってくれた。
 前髪をくしゃっとやって、それからぐしゃぐしゃにして。
 乱暴だけど、強く優しさを感じるそれが私は好きだった。

 人混みから誰かが達海を呼ぶ。
 じゃあなと遠ざかる背中に一度だけ呼びかけた。
 自分でも何を望んでいたのかわからないで、いつものように片手をあげて彼が振り返った瞬間、頭に強い衝撃があった。

 何も考えられなくて、ただ暗くなっていく視界の中でひどく慌てて駆け寄ってくる達海の姿が滑稽だった。



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