「灯籠流し」

□灯籠流し4
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 川面を一層の笹舟が流されてゆく。
 何度も何度も見た光景だ。
 毎年毎年、流されては消えてしまう笹舟を悲しい気持ちで見送っていた。
 だって、いつも目の前でそれは沈んでしまうのだから。

「有栖、たまには別な着物にしない?」

 就寝用の着物と道着だけを着るだけの毎日が一月ほど過ぎたぐらいだろうか。
 突然、おこうが提案してきた。
 どうせ見えないのだから、何を着ても自分には関係ない。

「女の子なんだから、たまには着飾っておでかけしましょ。
 美味しい甘味処を菊さんから教わったの」

 答えないのを肯定と取ったのか、とまどう私は気がついたら着替えさせられていた。

 仕上げとばかりに髪に櫛を通される。
 ゆっくりと梳かれる心地よさについ、うとうとと眠くなる。

「せっかくだから、少しお化粧もしましょうか」

 ………。

「あら、座ったまま眠ってるの?
 今日は良いお天気だものね」

 心地よい温かさは久しぶりだ。
 まだ父も生きていた頃、家族で過ごした休日の午後を思い出す。

 ふっと目を覚ましたときには誰かに寄りかかっていた。

「あ…ごめん、おこう。
 なんだか急に眠くなっちゃって」

 起き上がり、軽く頭を振る。

「それで甘味処に連れて行ってくれる、」

 話ながら、寝ぼけた意識が覚醒する。
 ここにいるのはおこうじゃない。
 この気配は。

「ちょっとちょっとちょっとまって。
 さっきまでおこうがいて、それでなんで辰巳に代わってるの」

 気配はとまどっていて、少しの間をおいてから意を決したように口を開いた。

「一緒にメシ食いに出かけようぜ」

 思考が停止する。
 それから、何の冗談だと眉根を寄せた。

「街道沿いに小さいがメシのうまい店を見つけたんだよ。
 たまには外で食ってみたらどうだ?」

 冗談が過ぎると声から顔を背けようとして、気がつく。
 頭に、いつのまに髪飾りなんてつけられていたのだろう。
 手を頭にやり、それを手にする。
 それから自分の身体を撫でて、その着物の感触から服装を確かめる。

「出かけられない、わ」
「服のことなら気にするな。
 めちゃめちゃ似合ってる」
「だから、嫌だっつってんでしょうがっ」

 住み慣れた部屋から逃げ出そうとしたが、その前に腕をつかまれ引き寄せられる。
 男臭い彼の顔は記憶が思い浮かべさせる。
 だけど、今どんな顔をしているかなんて、思い出したくない。

「辰巳とは歩きたくないっ」

 顔に吐息がかかる。

「同情も、傷の舐め合いもごめんだって言った…っ」

 重ねられる深い口づけに抵抗し、その胸を強く叩き続ける。
 それでも本気で抵抗しきれないのは、いや、その理由は考えたくない。

「同情でも、傷の舐め合いでもねぇよっ」
「聞きたくないっ」
「聞けっ」
「聞きたくないっ。
 おまえなんか、嫌いだぁっ!」
「俺は有栖がっ」
「貴様なんか嫌いだーっ!」

 勢いで殴り倒し、そのまま方向も定めずに駆け出す。
 今度こそ本当に逃げて、外塀にぶつかってそのまま膝を落とした。

「辰巳の馬鹿野郎ぅっ」

 似ているから、惹かれるから、似すぎているから、優しすぎるから、近づきたくなかった。
 一人で生きると決めたのだ。
 一生、独りと決めたのだ。
 誰にも頼らず、誰の手も借りず、生きるのだと決めたのだ。
 だからこそ、帰る道さえ見えない振りをしてきた。

 ひとしきり泣いてから、壁伝いに花柳館の門を出る。
 そのまま壁伝いに進み、導かれるように街道を進む。

「有栖さんではないか」

 急に腕を取られ、だが声で気がつく。

「…中村さん?」
「一人でここまで来たのか?
 どこまで行くんだ?」

 花柳館を出入りする薩摩の男は何の気もなく声をかけてきたように思えない。
 だけど、今は優しくされたくなかった。

「どこでもいいでしょうっ」

 不機嫌な私の声にひとつ頷くと、腕を放し、手を掴む。

「近くにうまい団子を出している茶屋がある。
 少し付き合ってはもらえぬか」

 それは拒否を受け入れてもらえるような様子ではなく。
 とりあえず、辰巳ではないので黙ってついて行くことにした。

 少し道を戻って、その茶屋で椅子に座らされ、隣に座った中村が二人分の茶と団子を注文したところで気がつく。

「私、財布をおいてきてしまって」
「ああ、誘ったのは俺なのだからおごらせてほしい」

 いいねと有無を言わせぬ様子にどうしてか反発ではなく安心してしまう。

 店員の持ってきたお茶を中村から受け取り、一口を飲む。

「…おいしい」

 次に差し出された串を受け取り、団子を口に入れると甘さがいっぱいにひろがった。
 それはまるでここにきてからうけた優しさのようで、それはまるでかつてうけた温かさのようで、渇いた心を潤わせてゆく。

 頭に載せられる手が目から雫をこぼさせる。

「何があったか知らぬが、自棄になるな。
 皆も心配する」

 受け入れられなかった言葉が次々と降り注いで、私を癒す。

「ーーーっ」

 声を出して泣くような泣き方なんて忘れてしまった。
 だから、声も上げずに泣き続ける私の頭を中村が引き寄せ、あやすように背中を叩く。
 遠慮も気遣いも忘れ、私は視力を失って初めて泣き続けたのだった。



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