幕末恋風記[追加分]

□元治元年如月 03章 - 03.2.1#恋文
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 習字の紙に大きく書かれた拙い文字たちを前に、私はにやにやとした笑いを零していた。何度眺めても見飽きないそれは、私が山南塾の子供らからもらった恋文だ。子供らしく、大きな文字で「好き」だとか「愛」だとか書いてあるのだが、もちろん山南がこんなこっ恥ずかしいことをするとは私にも思えない。つまりは、共に手伝う鈴花の差し金だろうと、私には推測できる。

 鈴花も変わったことをするものだ。言外に元気を出してくださいと笑ってくれる少女の姿を思い浮かべるだけで、私も元気になれるような気がする。

 実際、私は身体的にはいたって健康で、心配されるようなことは何もない。何もないのだが、心配されるというのはそれだけ私の内面が健康に見えないということだろう。

「まいったなぁ〜」
 芹沢を殺した直後に比べれば、私はかなり回復したつもりだ。まだ半月程度しか過ぎていないが、元の私に戻ることもできないけれど、せめてもう少し周囲に回復したと見せかける余裕ぐらい、私にはあるつもりだった。

 でも、子供たちから見ても鈴花から見ても、私はまだまだだということがこの文字たちから伝わってくる。

「よぉ、葉桜君」
 庭の木々の向こうから羽織を引っ掛けながら近づいてきた近藤に私は片手をあげて返す。

「おかえりなさい、近藤さん」
「っと」
 藪に引っかかった羽織を落としかけながら、ようやく近づいてきた近藤は、私のそばに散らかっている紙を手に取る。

「良い子たちだねぇ」
「ええ、本当に」
 深く頷く私と恋文をじっと見比べ、おもむろに近藤は大きな手を私の頭に乗せた。ぽんぽん、と軽く叩いて、さらりと私の髪を撫でる。

「近藤さん?」
 しゃがみ込んだ近藤がまっすぐに私を見上げる。

「どうする?」
「どうって、何がですか?」
「最初に言ったように、葉桜君は除隊することが出来る。ここにいるのが辛いなら、出て行ってもいいよ」
 真剣だけれど、普段は変わらない近藤の瞳が幽かに揺らいでいるのが見えて、私はくすりと笑った。

「それ、本気で言ってるんですか?」
 近藤から、答えは返ってこない。でも、それがたとえ本気だとしても、私は是と頷くわけにはいかない。

 手を伸ばして、今度は私が近藤の頭を撫でる。

「余計なお世話です」
「葉桜君」
「この程度のことで何を言い出すんですか。ただ人が一人死んだだけですよ」
 目の前で揺れる近藤の瞳を真っ直ぐに見つめて、私は大丈夫だと微笑んだ。芹沢とは一度別れ、もう二度と逢わないのだと私は勝手に思っていた。芹沢と再会しても、以前のような関係には戻れないと、私には覚悟だって出来ていた。実際、私と芹沢が新選組で再会してから、まともに会話した事なんてただの一度だってなかった。

「遅かれ早かれこうなっていたんです。だいたい、どうして私がたったそれだけのことで逃げ出すなんて思うんですか?」
 私は悟られないように振る舞うのなんて慣れてる。

「わ、葉桜君っ!」
 ぐぐっと近藤の頭を抑えつけるように、私は力を込めた。

「私はこーんなに心許してるのに、わかってもらえないのは心外ですねぇ」
 近藤には力でそれを押し返されて、互いに押しているのにいつの間にか私の方が押し倒される体勢になっていた。

「大丈夫ならそれでいいんだ。俺らも葉桜君といるのは楽しいから、できれば残っていて欲しい」
 普通なら、いや鈴花ならこういう状況で暴れるかもしれない。だけど、不思議と私は焦りを感じなかった。近藤の対応はどちらかというと父親が子供にするようなものだったから。

「ああもうイヤになるなぁ。ここ、すっごい居心地いいんだもん」
「嬉しいけど、この体勢で言う台詞じゃないね」
「どこにいるより安心しちゃう」
「聞いてないでしょ、葉桜君」
 笑い出している近藤の手を借りて、私は起き上がる。目の前に広がる朱色に染まる空、薄橙の雲、朱い翳りを見せる緑の庭が眩しくて、私は目を細める。

「それでどうする、葉桜君?」
 もう一度聞いてくる近藤に、私は笑って返す。

「ふざけんなって、言ってほしいんですか?」
「なんとなく、言うだけで終わらなそうなんだけど」
「ふふふ」
 ほら、ね。誰かといれば、何かをしていれば、私はもうなんともない。

「私、平気ですよ」
 私は笑っているのに、近藤の笑顔が消える。大丈夫だって、私が言ってるのに。

「一人でいたって時間は進んでいくし、何も変わらない。だったら、心許せる仲間といられる方が何倍も平気です」
「言ってることは一々嬉しいんだけど、全然大丈夫には聞こえないなぁ」
 小さな子供にそうするように、近藤は私の頭をくるりと撫でて、自分の胸に引き寄せた。それでも、私に焦りは生まれず、ただ安心が広がる。

「私、大丈夫ですよ」
「しーっ」
「?」
「少し黙って、じっとしておいで」
 私が言われるとおりにしていて、一番大きく聞こえてくるのは近藤の鼓動だ。早くなく、遅くなく、規則正しいその音は近藤が生きている証。私が守るべき音、だ。

「近藤さん」
「ん、なんだい?」
「いつもこんなことしてるんですか?」
「え?」
「お願いですから、鈴花ちゃんにはこういうことしないでくださいね」
 私は顔を上げて、真剣に言ったのに、近藤に笑われるのは心外だ。

「あはは、なにそれ。妬いてるの?」
「 誰が、誰に」
「……そこまで強く言わなくても……」
 近藤から体を離して、私はもう一度強く言う。

「鈴花ちゃんに手を出したら、相応の覚悟をしておいてくださいね。他の人ならともかく、近藤さんは奥さんがいるんですから。軽い気持ちで鈴花を弄ばないでください」
 近藤は気まずそうな顔で頬を掻いてから、私をちらりと盗み見た。

「軽い気持ちじゃなければいいのかな?」
「ダメです」
「それは、葉桜君も?」
「当然です」
 ふいと私が顔を背けると、肩に腕を回され、近藤へと私は引き寄せられた。私の耳に近藤の吐息がかかり、ぞわぞわする感覚を抑えて私は息を吐き出す。

「近藤さん」
「うん? 葉桜君にはこうしても構わないんでしょ?」
「覚悟があれば、と言ったハズです」
「ああ、あるよ」
 私が仕掛けようとしたら、もう一度耳元で近藤に囁かれる。

「葉桜君を守る自信と覚悟ぐらいはあるさ」
 もしも私がただの女なら、きっと嬉しいと言うべきなのだろう。だけど、私は近藤たちを護るために来ているのであって、決して守られるためにいるわけじゃない。

「私よりも前に守るべきものがあるでしょう」
 私は返答を待たずに立ち上がるが、もう近藤は私を止めなかった。



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