幕末恋風記[追加分]

□元治元年卯月 03章 - 03.3.1#鬼ごっこ
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 あの人がいないということを、私がこんなにも強く気にかけるようになるなんて思ってもいなかった。芹沢のコトなんて、私はまったく気にしていないつもりだったのに。そういう風にどれだけ振る舞っていても、結局は山南の言うとおりに私は芹沢を頼りにしていたのかもしれない。

 どれだけ明るく振る舞っていても、私は一人になるとつい考えてしまう。もう帰ってこないとわかっている人に会いたいと、私は願ってしまう。それがどれだけ無駄な望みと私自身がわかっているのにも関わらず、だ。

(我ながら、愚かしいな)
 私は壬生寺の境内裏手に座って、からりとした笑いを誰にともなく零す。

 表に行くと空が見えてしまうから、その空に流れる雲間に探してしまいそうな気がするから、私は空の見えないそこでよく踞っていた。誰にも気がつかれない場所で、一人の時を私は過ごしていた。

 思い出ははいつだって騒々しくて、あいつはいつだって自信に満ちていて、私はいつまでも負けっ放しだ。私が勝ったのはあの時が最初で最後で、あれだって譲られた勝ちだった。

 芹沢は最期まで私に甘いままだった。

「あ、やっぱり葉桜さんだ」
 ふいにかけられた声に驚いて、私は顔を上げる。そこにはにこにこと機嫌の良さそうな笑顔を湛えた沖田が立っている。気配を絶った状態でここにいて誰かに見つかったコトなんて初めてだったから、私は本当に吃驚した。

「こんなところでまたサボってんですか? 土方さんに怒られますよ」
「今日は、非番。……てか、沖田こそここで何を?」
「今、みんなで鬼ごっこをしてたんです。よかったら葉桜さんもやりませんか? 楽しいですよ」
 沖田の差し伸べる手に、私は少し戸惑う。沖田は私の状態をわかっていて、言っているのだろうか。それとも、ただの天然なのだろうか。その姿が、私の過去に重なる。

「葉桜、鬼ごっこしようぜ」
「やだ」
「俺、鬼な。じゃ、始めるぜ」
「やーりーまーせーんーっ」
「いーち、にーい、さーん……」
「わ、早い早いっ! それじゃ逃げる時間ないよっ」
「……ごー、ろーく、しーち……」
 そう簡単には掴まってあげなかったけど、なんでか芹沢も父様も私を捕まえるのが好きだった。私も、捕まえられるのは楽しかった。

「葉桜さん?」
 ふと、沖田の声で私は我に返る。一人でいるときならいざ知らず、誰かがいるときにこんなことを考えていてはいけない。この心を悟られちゃいけないのに。

「ああ、いいよ」
 私は沖田の手を取らずに先に歩く。

「じゃあ、私が鬼で」
 腕を頭の後ろで組んで、私は大きく伸びをする。

「鬼ごっこは久々だな〜」
 私は言いながら、気配がついてこないのに気がついて振り返ると、丁度沖田が駆け寄ってきたところだった。

「それじゃ、お願いしますね」
 私に触れることなく、そのまま駆け抜けてゆく元気な姿を微笑ましく見送り、私は社に寄りかかって両目を閉じる。

「いーち……にーい……さーん……」
 想い出よりも私はゆっくりと数を数える。

「わーい、お姉ちゃんが鬼だー」
「キャーッ」
 闇の中に子供たちの笑い声が聞こえて、それだけで私はなんだか嬉しい気持ちになってしまって。

「おーい、桜庭さーん!」
 数え終わる前に沖田が鈴花にかける声が聞こえて、私は一瞬目を開けようか躊躇した。どうやら鈴花を鬼ごっこに誘っているようだとわかり、私はさらにゆっくりと数える。

「しーち……、はーち……、きゅーう……、じゅう!」
 数え終えた私はぱちりと目を開き、沖田と鈴花がまだ話し中なのを確かめて、気配を忍ばせて近寄る。

「はい、やりま」
 そして、私は鈴花が最後まで言い終わらないうちに。

「つっかまーえたっ」
 鈴花の背後から抱きついた。

「ひゃぁ!? あ、え、葉桜さん!?」
「じゃあ、次は桜庭さんが鬼ですね」
 鈴花が次の言葉を発する前に沖田がたたみ掛ける。上手いぞ、流石だと私は頷く。

「ええっ?」
「よーし、みんな逃げろーっ」
 子供たちに混じって、私も社まで走り抜ける。私の隣にすぐに沖田は追いついてくる。

「葉桜さん、鬼ごっこも久しぶりにやると楽しいでしょう?」
 子供たちの様子を嬉しそうに見守りながら、沖田が私に話しかけてくる。

「ああ、そうだな」
 私の口からは素直に言葉は出てきた。それは、私の本心だということの証でもある。

「何も考えずにただ走り回るだけで、結構頭がすっきりするんです」
 え、と思わず私は隣にたつ男を見るが、沖田の笑顔からは何も読み取れない。もしかして、沖田は私の様子がおかしいと気がついていたのだろうか。だから、私に声をかけたのだろうか。

「沖田、」
「はい」
 しかし、私がその問いを口にする前に、沖田へ子供が一人突進する。

「総司兄ちゃん、つかまえたーっ」
「あっ」
 いつのまにか鬼が鈴花から別な子供に交代していたことに、私も沖田も気付いていなかったらしい。

「やられたなぁ」
 しまったというよりも嬉しそうな顔で、沖田が言う。こういうところはちゃんと大人な対応が出来るんだなぁと、私は素直に感心した。

「ふふっ、油断大敵だな」
「ええ、なかなか侮れません」
 私と沖田が二人で笑い合っているところへ、鈴花が駆け寄ってくる。

「葉桜さん、沖田さん、そろそろ屯所へ戻る時間ですよ?」
 私はほんの少し駆け回っただけなのに、たしかに沖田が言ったように頭はすっきりした気がする。

「ああ、そうでしたね」
 集まってきた子供たちが、沖田に言う。

「じゃっ、次は総司兄ちゃんの鬼からだからねっ」
「ああ、約束だよ。それじゃあ、またね」
 子供たちと別れて、私たちも帰路につく。その帰り道、私は鈴花に少しだけ勤務態度についての注意をされてしまったのだが、笑ってかわして、その上で鈴花をからかっていたら、彼女は怒って先に帰ってしまった。

「やりすぎたかな?」
「あはは、葉桜さんは楽しい人ですねー」
 私は沖田と二人で並んで歩きながら、話す。

「ところで、さっき何か言いかけてませんでした?」
 何食わぬ顔で聞いてくる沖田だったけど、なんとなく私はもう聞けなくて、首を振った。

「いや、なんでもないよ」
「そういわれると気になりますね」
「大したことじゃないから気にするなって。それより、」
 私は隣を歩く男の顔を見る。自分と同じぐらいの目線にある沖田の目に曇りはない。沖田が人を斬ったこともないような顔をしていても、その剣が恐ろしいと知っていても、私は沖田の剣は綺麗だと思う。

「今日は有難う」
「なんですか、急にお礼を言うなんて」
「ははは、まあ気分だ、気分」
 不思議そうに私を見る沖田の肩を私は叩く。

「なんとなく言いたくなっただけだよ。さ、屯所まで競争しようっ」
 そのまま私は地を蹴り、走り出す。さっき以上に何も考えず、ただ全力で。

「あははははは」
 顔に当たる風、耳元を通り抜ける風、深く吸い込む風、その全てが、私の何もかもを吹き飛ばしてくれる気がして。私はただ前だけを見つめて、屯所まで走り抜けた。

 沖田は笑いながら、途中であっさりと私を追い抜かしていきやがった。



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