幕末恋風記[追加分]

□元治元年六月十日以降 03章 - 03.7.1#明保野
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 唄が聞こえる。闇夜の中に閃光を煌めかせ、ひとつひとつ命を消してゆく哀しい唄だ。

 どこでどう間違ったのか、誰が何を間違えたのか。それともそれらはすべて只の結果であり、変えることの出来ないことであったのか。

 元治元年六月十日、幕府の命により池田屋事件の残党捕縛に当たっていた新選組はひとつの事件に遭遇した。後の明保野亭事件と呼ばれる出来事である。東山の料亭に長州藩士が潜伏しているとの情報を得た武田は、新選組隊士十五名と前日より応援に来ていた会津藩士のうち五名を連れて、現場へ向かった。その現場で会津藩家中の柴司が、座敷にいた武士を制止しようとしたところ相手が逃げ出したため、取り押えようと追跡のうえ槍で傷を負わせてしまう。直後に相手が浪士ではなく土佐藩士の麻田と判明したため、その場で解放した。

 当初、柴の行為に問題無しとして念のため会津藩から医師と謝罪の使者を送り、これに対し土佐藩側も最初に名乗らなかった麻田にも落ち度があると理解を示していた。が、翌日に麻田が「士道不覚悟」として藩により切腹させられてしまったことにより若手土佐藩士たちが「片手落ち」だと激昂し、会津藩と土佐藩の外交関係に亀裂が入りかねない事態へと発展してしまっていた。さらに翌日、柴司自らが望んで謝罪の意で切腹をし、事件は有耶無耶のウチに幕を閉じた形となった。

 昼間、山南が鈴花とその話をしたあとで久しぶりに塾を開いたと、私は床に座った状態で見舞いに来た鈴花から聞いた。

「山南さんは、柴さんや土佐藩士の死に、自分を重ねているんです。死ななければならないこと。殺さなければならないこと。池田屋の件で、これからもっと新選組は剣を振るうことになるでしょう。その力を増大させていくでしょう」
 悩みに悩んで相談に来た鈴花に、私は何を言うべきか迷った。

「そんな中で、山南さんの苦悩は理解してもらえるんでしょうか。誰よりも真剣に考える、山南さんがとても痛々しくて。多分、もう新選組は、責任を果たす能力があろうとなかろうと、剣を振るわざるを得ないでしょうから」
 だから、と鈴花は毅然とした顔で言った。

「せめて、私だけでも山南さんの苦悩を知っていよう、思いを知っていようと思います。それが私にできるただひとつのことだから」
 鈴花は強くて、優しい女の子だ。こうして人の心に触れられるから、山南の心まで感じ取ってしまったのだろう。新選組にいれば、誰しも遭遇してしまう、この世の理不尽さや幕府の在り方の問題というものに、気が付いてしまう。

 鈴花がいなくなり、しばらくは私はまた横になっていた。夕餉の薫りが漂ってきた頃、夕闇で薄暗い部屋の障子を少し開け、ゆっくりと移動して寄りかかる。今朝からずっと聞こえてくる唄は、どこから聞こえてくるのだろうか。私の心の内から聞こえているのだろうか。

「ーー」
 私は口を小さく開き、喉を鳴らして静かに唱う。唄に合わせ、思いつくままに言葉を並べ、音を並べ、ただ紡ぐ。

 時はまだ来ない。けれど、近づいてくるのを私は確かに感じる。

 山南との別れの時は誰よりも早くて、共にいられる時間は短いと最初からわかっていた。

 私の仕事は基本的にずっと誰かと居続けると言うことがない。依頼されればどこへだっていくし、どこでだって仕事する。いつだって出会があって別れがあった。

 だけど、今回はなにかが違うのだ。理由はわからなけれど、違う、ということだけがはっきりとわかる。今までだって短期間で気の合う人はいたけれど、こんなのは初めてだ。

 私は口を閉じているのに唄は消えない。ただ静かに世界へ広がり、水面に波紋が揺れるように、ただゆっくりと静かに広がってゆくのを感じる。

「葉桜さん」
 わずかに唄が遮られ、私はいつのまにか閉じていた瞳を開いた。少し離れた場所にぼんやりと才谷が立っているのが見える。

「何しちゅう」
 私は小さく笑って、縁側からゆっくりと降りようとして、躓いた体を才谷に柔らかく抱き留められていた。

「ありがと」
「えずい怪我だと聞いちゅうよ。大人しくしちょき」
「はっ、大丈夫だ。梅さんがいてくれるだろう?」
 無理せずに、私は才谷の胸に顔を埋める。

「葉桜さん?」
 才谷にはここに来る前にも会った。だけど、彼もまたいつかはいなくなるのだろう。置いていかれなくても、私が置いていくのだろう。いつか離れていくものに踏み込みすぎてはいけないとわかっているのだが。

「山南さんを助けたいんだ」
 弱気な言葉が零れた。

「だけど、どうしたらいいのかわからなくて、何をしたらいいのか、わからなくて。山南さんの心はどうしたら救える?」
 鈴花はその苦悩を、思いを知っていようと言った。ならば、私には何が出来るだろう。

 知っているだけじゃ救えないと、そうわかっているのにどうしたらいいのかわからない。山南の生きる道はどうすれば切り開けるのだろう。

「葉桜さんは優しいから、考えすぎちゅう」
 頭を軽く叩かれ、顔を上げると才谷は柔らかく笑んでいた。

「その半分でもわしに向けてくれるといいがやき」
 少し拗ねたように言われて、私は笑った。

「何を言っているんだ。梅さんは自分の道をしっかりと歩んでいるだろう? それこそ、誰の意見も関係なく、自分の進みたい道を進んでいるじゃないか」
「ああ、そうちや。はははっ、やっぱり葉桜さんは笑顔が一番いい」
 ぐりぐりと私の頭を撫でてから、おもむろに才谷は私を抱え上げて屯所へと上がり込む。

「おーい、土足だぞ」
「はっはっはっ」
 才谷は全然意に介さず、私をそっと布団に横たえた。そして、目を閉じない私の目蓋にそっと自分の手を翳して、囁く。

「山南さんのことは心配しやーせき、今はゆっくり養生していや」
 そういうわけにはいかない。が、ゆっくりと微睡みが広がってゆく。

「山南さんだけじゃ、ないんだ」
 眠りの間際に訪れる不安が、私の口をつく。

「私は誰にもいなくなってほしくない、から。そのためならどんなことでもできる、けど。私が何をしても変えられないことがあって、」
「葉桜さんはだれちゅうちや」
 遮るのは柔らかだが、その先を強く止める声だ。

「ここにいてあげるから、ゆっくりねちょき」
 誘われるままに私は深く深く眠りの淵へ落ちていった。だから、才谷がどんな風に自分を見つめているかなんて気づきもしなかった。

「葉桜さんは優しすぎる」
 才谷はゆっくりと繰り返した。



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