幕末恋風記[追加分]

□元治元年水無月 04章 - 04.1.2#ご褒美は島原
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(永倉視点)



 ちん、とん、しゃん、と女たちが踊る。普段であれば芸姑らに見惚れるだけの俺も落ち着かず、彼女らも落ち着かない。ちらりちらりと送られる芸姑らの視線がどこに向かっているか何て探らなくても丸わかりで、俺は小さく嘆息した。

 そこでは勧められるままに酒を飲んでいた葉桜がいる。若いヤツらのことだから、葉桜を酔わせてどうこうする腹があったのかもしれねぇが、今はそこまで骨のあるようなのは残っていねェ。辺りに酔いつぶれさせた隊士を囲ったまま、葉桜は一人手酌で飲み続けている。

「情けない」
「……オメーも大人気ねェよな……」
「んなことないでしょ、永倉。誘ったのはこいつらの方なんだからさ」
 立ち上がり、葉桜が一足飛びに俺へと近寄る。こういうとき、葉桜は普通じゃないと俺は思う。葉桜のいた位置から俺のトコへ来るには、少なくとも一間の転がっている隊士を越えなければならない。多少の大きな音はして当然のハズなのだが、葉桜は衣擦れの音と極軽い着地音だけしかたてない。一瞬天の羽衣でも着けているんじゃないかと見まごうほどに、葉桜は軽やかに飛んでくる。元は舞をやっていたといっても、そんな芸当が出来るような女を俺は初めて見た。

 俺の前で胡座を掻き、葉桜はもう一杯と銚子を傾ける。

「鈴花ちゃんはもう無事に屯所に着いたかな?」
「ああ、まあ大丈夫だろ。最近腕も上がってるし、油断さえしなけりゃ心配ねェよ」
「そうだなぁ。確かに最近は腕も上がってきたし、油断、してるかもなぁ」
 口では心配しながら、葉桜は楽しげに酒を煽る。一体何本空けたのか、まあ、酒代は葉桜が自分から持つって言ってたし、俺が心配することじゃあねェ。そんなことよりも、今は別に気にすべきことがある。

「いい加減、オメーも酔ったんじゃねェのか?」
「ふふ、まぁ、ホロ酔い加減で良い感じかな」
 俺の目の前で潰れている隊士は一人や二人じゃない。ゆうに八人はいるというのに、それらを酔いつぶれさせた上でまだほろ酔いってなァ、どんだけ葉桜は酒に強いのか。

「酒ですべてを忘れられるワケじゃないから、たぶん私は酔えないんだ」
 寂しそうに呟いて、すっと葉桜が立ち上がる。足取りもしっかりしているけれど、その言葉はいつもとは真逆に弱気で、かすかに見える葉桜の横顔は寂しげに微笑んでいた。

「気分が良いから、今日は舞を披露しちゃおっかな〜」
「おい、葉桜、」
「ねぇー、扇子を一つ貸してくれないかな?」
 葉桜の伸ばす手に芸姑の一人が、鮮やかな朱色に金銀の粉をちりばめた扇子を投げ渡す。それを宙でぱっと受けたまま、ゆっくりと葉桜は舞いだした。

 木の葉が揺れるように、ゆるりとその袖が動く。腕が動く。体が動く。見たことのない舞型は即興なのか、葉桜の流派なのか、とても不思議な感覚を俺に与えてくる。周囲の騒々しさも遠ざけて、風呂で微睡んでいいるような、ゆったりとした安心を広げてゆく。

 りん、とどこかで音が鳴る。それが葉桜の持つ扇子の房飾りから聞こえるのだと気が付くのに俺は少し時間がかかった。手首を返す度、意識的に何度も控えめに鳴らされる鈴の音と葉桜の舞だけで、部屋の中は静まりかえる。

 神事の舞を見るようだと、俺は漠然と感じていた。こんな小汚い揚屋でみるような、そんなものではなく、神社の舞台で見るような清廉な舞だと。

 どれぐらい俺は葉桜の舞をみていたのだろう。糸が切れるように、ぱたりと葉桜の腕が唐突に降りて、舞が止む。俯いたままの顔は誰にも見せずに葉桜は小さく謝罪して、隣の部屋へ姿を消してしまった。

 葉桜がいなくなってから、芸妓の一人の瞳からほろりと透明な雫が落ちた。

「え、あれ?」
「あんた、どうしたん? ……って、あれ?」
 彼女に声をかけた芸妓もまた涙を零し。

「わかれへん。けれど、葉桜様の舞を見とったら、なんでか急に」
 芸妓たちは皆が一様に目に涙を浮かべて、何かを感じてか思い出してかいるようで。

 彼女らを帰らせてから、俺は葉桜の消えた隣室の襖を開いた。そこには本来組の布団が置かれて、気に入った芸姑なんかと男女の営みをするような部屋となっているのだが、今はそれらがすべて一カ所へとかき集められて、その中心でぐるりと丸まるように葉桜がいる。

 円を描く布団の中心で、猫のように丸まり、葉桜は震えていて。だから、俺はそうして顔を隠している葉桜のそばへ一歩足を踏み出した。

「来るな、永倉」
 葉桜は普段、人を拒絶することがない。それが敵でも味方でもどんなものでも、とにかく向き合おうとするやつだ。葉桜の制止を無視して、また俺は一歩を踏み出す。

「今は、一人に……してよ……」
 常ならば毅然として、笑っている葉桜が、弱々しく震える声で俺に願う。ただの女よりもか弱い声で言うから、そんなことを口にするヤツが仲間だろうが女だろうが、放っておくなんて俺には出来なかった。

 あと二、三歩も歩みを進めれば、その顔に手が届く。

「また芹沢さん絡みか?」
 進む前に俺が声をかけると、びくりと葉桜の体が震えた。なんてわかりやすいやつだ。葉桜はこんなにわかりやすいやつだったかと思ったが、俺の記憶の限りにはない。

「ホント、オメーはなぁ」
「違、う」
「何がだ」
「私、とんでもない、こと……」
「だから」
 震えている葉桜に構わず、俺はそばまで行って、葉桜の細い顎に手をかけて、顔を上げさせる。部屋には灯篭の薄明かりしかないのに、葉桜の涙に濡れた顔だけははっきりと見えて、泣きそうなのがはっきりと見て取れて。普段の男勝りの影を潜めた葉桜は、誰よりも女だった。

「だから、なにがだ」
 震える葉桜の大きな瞳から、大きな滴が溢れる。

「……酔っては、いけなかった。舞っては、いけなかった」
「なんでだ? すっげぇ綺麗だったぜ」
 ふるふると腕の中で葉桜が首を振る。

「そーゆー問題じゃ、ない」
 ふらりと起き上がりそうになる葉桜を今度はしっかりと俺が捕えると、強くしがみつかれる。どこか夢現に見えるのに、葉桜の力は強い。

「私ですべて終わらせるはずだったのに、伝えてしまった」
 普段の葉桜はあれだけ強気なのに、今との格差はあまりに激しい。だが、俺はしっかりと受け止めた葉桜を強く抱く。

「だいじょうぶだ、あんな一瞬、誰も覚えてねぇよ」
「一瞬じゃない、だろう? 永倉も、見たのだろう?」
 ゆらりと葉桜の瞳が淡く揺らめき、幽かに危険な光を煌めかせている。

「あれで姿も女だったら文句なかったけどな」
 俺には何がどうしてということはなにもわからないけれど、とにかく今はここから葉桜を出しちゃならねェことだけはわかっていた。だから、強く、守るように抱きしめる。

「すがた?」
「次はちゃんと女のカッコで見せてくれよ」
 俺との会話はかみ合わないまま、葉桜が小さく呟く。

「そう、か。まだ揃えていない。……まだ、大丈夫」
「一緒にいてやるから、ちっと寝ておけ」
「ん」
 素直に腕の中から聞こえる葉桜の寝息に安堵し、俺は腕を弛める。そこには聞いている歳よりも、普段の強気な様子からも垣間見ることの出来ないぐらい、ずいぶんと幼い寝顔で眠っている葉桜がいた。

 俺は葉桜を起こさないように両腕で抱え上げて、ぐしゃぐしゃの布団の一つを足で軽く整え、そこへ横たわらせる。その後で葉桜が寒いだろうと掛け布団を取りに行こうとしたのだが。

「おいおい……どこのガキだよ」
 袖を引っ張られて、しかたなく俺も葉桜の隣に横になり、丸まっている葉桜を胸の中に抱きかかえるようにした。

 これが綺麗な芸姑ならと考えかけて腕の中の女に視線を落とす。この位置からだと、緩んだ襟の隙間から胸の谷間が見える。だが、色気は不思議なほどに感じない。仲間だという認識のせいなのか、それとも単に葉桜が本当に子供だからなのか。理由はわからないけれど、この時の俺は葉桜に女は感じなかった。ただ、幼い子供のようにしか見えなかった。

「子守は範囲外だぜ、葉桜」
 葉桜は最初から妙に俺と気の合う女だった。だが、それは俺が見ている葉桜のほんの一面でしかなく、いつでもこいつは爆弾みたいなものを抱えているのかもしれない。

 しばらくして起きてからの葉桜は別に俺がどうこうしたなどと勘ぐることもなく、他の隊士たちもたたき起こして、店を後にした。信頼されているのか眼中にないのかよくわからないが、俺も同じようなもんだし、今はどうでもいいことだ。

「なぁ、葉桜」
「なんだぁ、永倉?」
 俺の隣を歩く葉桜は少し前までの余裕のなさを微塵も感じさせることなく、悠々と鼻唄でも歌い出しそうな様子だ。

「そのうち女の着物着たところも見せてくんねーか?」
「ははは、そのうちなー」
 起きてからの葉桜は舞のことを一言も口にしなかった。本当に酔って、覚えていなかったのかもしれねェし、それともとぼけているだけなのかもしれねェ。少なくとも葉桜が本当に酔ったとき、それは葉桜自身をただの女に変えてしまうのかもしれない。俺は今日、そんな秘密を知ってしまった気がする。

「マジ? 俺、ずーっと謎だったんだよな。オメーが女のカッコした時の外見ってよ」
「謎って何だよ、もう」
「スゲー見たかったんだ。約束だからな? 絶対見せろよ」
「そこまで見たいかぁ?」
 やけに楽しげな葉桜はいつも通りで、やっぱり葉桜はこのままが良いと俺は心底思った。あんなただの女になった葉桜なんてのは、他の男にはもったいなくて見せられねェ。

「めちゃくちゃ見てェよ。ついでに着物の中身も見せてくれたら、もっといい、」
 俺は強く脇腹を肘で突かれ、一瞬息が詰まった。そうだった。普段の葉桜は、ただの女じゃねェんだ。

「痛ェッ!?」
「結局それか。もうっ、見せてあげようかなんて思って損した!」
「悪ィ悪ィ。でも、もう約束済みだからなッ」
 何か言いたげな目で俺を見つめる葉桜だったが、それ以上に俺の楽しげなのが腑に落ちないようで、少し考えた後で小さく息を吐いて笑った。

「調子いいなぁ」
 いつも通りの馬鹿話をしながら屯所まで戻ったところで、葉桜が聞いてくる。

「それにしても永倉、こんなコトしててよく金がもつな?」
「いや、もたねーぜ。給金前はぴーぴーよォ」
 だから、今回の酒代は助かったぜと礼を言うと、葉桜はいいってことよと楽しそうに笑った。こいつもよく平隊士たちを島原に連れて行ったりしているのは知っている。だが、俺と同じように連れて行っていても、何故か葉桜の金が尽きることはない。何か理由があるんだろうけど、烝も何も知らねェみたいだし、葉桜自身も何も言わない。

 用事があるという葉桜と、屯所に向かう道とは別の角で別れた。

「また、頼むぜ」
「気が向いたらなー」
 俺が別れ際に言うと、葉桜は振り返らずに片手だけを上げて返してきて。そのまま一度も振り返らなかったから、葉桜が誰にも見せない厳しい顔で何を考えていたのか、俺は気が付かなかった。



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