幕末恋風記[追加分]
□元治元年水無月 04章 - 04.2.2#宛名のない手紙
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私に宛名のない手紙が届いた。書いてあるのが和歌一首で、添えられているのは青々とした松の葉と鮮やかな桔梗の花が一輪だ。内容を考えなければ風流な手紙を一度は手にしたものの、私は開けることもせず、そのまま机に置いた。
「葉桜、いるか?」
丁度その時、私の部屋に顔を出した土方が目聡く、その手紙を見つける。
「……宮家の知り合いでもいるのか?」
「っ!」
なんでそんなことを土方が知っているのかと、思わず私は息を飲んだ。かつて、天皇家が日本を支配していた頃、宮中作法のひとつとしては極当たり前の習慣だったというのが、私に送られてきた手紙の手法である。
「いたかもしれないけど、よく覚えてないなぁ」
「………」
「ほら、私、顔が広いから」
誤魔化そうとしたのだが、どうも土方のこの視線は居心地が悪い。高く結わえた後ろ髪を片手で引き寄せて、土方から目線を反らしつつ、私は仕方なしに本当のコトを返す。
「これ、容保様からですよ」
怪訝そうに眉間に皺を増やす土方の様にドキドキしながら、なんでもないことのように返すよう私は努める。
「ここへ来る前に会津藩邸へ一年ほど滞在していて。その時に、私が和歌を詠めるって知ってから、時々こうして届くんですよ」
こんな手紙、私にとっても最初はただの遊びだった。だが、ここ最近は容保様の趣向がちょっと変わっていて、何も事件が起きない平和なときに送られてくるのは、恋歌、だ。これはどうしたものか、私は非常に困る。下手な答えを返すわけにもいかないので、ものすっごく困る。
「葉桜は和歌が詠めるのか」
土方にはがっしと両肩を抑えて訊ねられ、それはそれで反応に困る。
「あー……才能はないって言われたから、期待しないでください」
「ということは、手習いをしていたことがあるんだな?」
「いやいや、そんなもんじゃないですよ。必要に駆られて、って何言わすんですか」
思わず口走ってしまいそうになる自分の出自を慌てて抑える。私の出身が宇都宮藩ということはともかく、他はまだ知られていないし、知らせる必要のないことだ。
「必要に駆られて……?」
「そんなに興味があるっていうことは、土方は詠めるの?」
追求される前に切り返すと、珍しく土方がかすかにはにかんで微笑む。
「和歌はやらん」
「そ」
じゃあと私は話を終わらせるために土方の隣を抜けて、部屋を出ようとしたが、それは許されなかった。土方に掴まれた手首が痛い。
「だが、俳句を少々、な」
俳句じゃ返歌の役に立つのだろうかと一瞬私の中にも過ぎったが、何度かこちらからも容保様に返歌しているので、すぐに私じゃないとバレるだろうと諦める。
「ーー夏の夜はまだ宵ながら明けぬるをーー」
和歌も知ってんじゃないですかとため息を吐きつつ、私は下の句を返す。
「ーー雲のいづこに月やどるらんーー」
俳句と聞いたから、仕掛けてくる気がしたのは間違っていなかったらしい。百人一首からとって来たのはやはり一番知られているからといったところだろうし、他は土方が知らないのかもしれない。
「どれだけ暗記してるんだ?」
「万葉、古今はなんとか。手、離してください」
「和歌が苦手なら、俳句やってみねぇか」
「イヤです」
私を見る土方の視線に、うっと気持ちが揺らぐ。そんな捨て犬みたいな目でみられたって、私はやりたくないものはやりたくない。
「まあ、気が向いたら言ってくれ」
「絶対あり得ません」
「ふっ、だから気が向いた時で良い」
今日の土方はいつになく駆け引きの上手いやり方をするもんだ。普段、副長として動いているときは有無を言わせないってのに、こんなのはずるい。
手を離されてからもなんとなく私は動けず、かといって土方と目線を合わせることも出来ずに、なんとなく送られてきた手紙に視線を落とす。
容保様からの恋歌、今回はどうやって交わしたものだろうか。
「なあ、葉桜……その……」
歯切れの悪い土方の問いかけに、私は顔を上げる。
「容保様からの和歌というのは、もしかして、恋の歌なのか?」
「え、なんでですか?」
どうしてわかったのかというと、私の反応からと決まり悪げに言われてしまった。
「葉桜は……素直だよな」
「それ、褒めてるんですか? 貶してるんですか?」
「こういうところは捻くれてるけどな」
苦笑して、私の前髪をくしゃりと撫でる土方は、珍しく少年のような笑顔を零していて。
「なんか困ったことがあったら言えよ。相談ぐらいは乗ってやるから」
その空気のくすぐったさに思わず私は笑ってしまった。土方相手に一体、私はなにをしているんだろう。