幕末恋風記[追加分]

□元治元年文月 04章 - 04.5.2#その覚悟
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 しんと静まりかえった道場内で対峙するは滅多に来ない斎藤であるが、私は十日に一度は手合わせしている気がする。

 稽古の時の、というか木刀の時の私の基本の型は正眼だ。それ以外の時は動きの自在な無限の型なのだが、稽古と指導、この二つの時は極力正眼で構えることにしている。

「どうした、葉桜。来ないのならば、こちらから行くぞ」
「どうぞ〜」
 斎藤の打ち込みは新選組内でも沖田と並ぶほどに隙がない。私は一打目を一重で交わし、間合いを取りつつ、機会を伺う。ただそれだけで嬉しくなっている自分がいて、ワクワクしている自分がいて、沖田のことをどうこう言えないなとこんな時ばかりは私も笑ってしまう。

「じゃ、今度はこちらから行くよ」
 言うやいなや立て続けに私が浴びせる斬撃にも動揺することなく、斎藤は鮮やかに防いでみせる。この落ち着いた様子から、私には斎藤の余裕が見てとれるのだ。

(そろそろ来る、かな?)
 普段の無口さに比べれば、こうして剣を交わしているときの斎藤は饒舌だ。空気の変化を察知して、自然と口端が上がる。

「その技、破ってもいい?」
「出来るならな」
 一際高い音が響いた直後、私は一足飛びに斎藤の脇をすり抜けていた。一瞬の後、余裕の笑みを浮かべていた私の方が、目に涙を浮かべて、木刀を降ろすこととなる。

「負けたーっ」
「ふっ」
「見えてるのに、見えてるのにーっ!」
 片手を隠すように押さえて、口惜しげに叫ぶ私を、斎藤は楽しそうに見つめる。

「やはり木刀だと集中力にムラがあるな、葉桜」
「そんなの分かってるよ〜。でも、稽古で真剣使うわけにはいかないっしょ」
 近くにいた隊士に木刀を投げ渡し、私は斎藤らに背を向ける。変わらず手を押さえたまま。

「おつかれさん〜」
 余裕げに歩く葉桜の後を追おうとした斎藤が隊士たちに呼び止められているのを聞きながら、私は小さく笑った。

 斎藤が道場に近づくことは珍しいことなのだ。それでいて、斎藤には指導力もあるのだから、この機を逃すなと、私は常日頃から隊士に言い含めている。

 道場を出た私は一直線に土方の部屋へと向かった。

「土方さん、葉桜です」
「入れ」
 障子の前で名乗り、了承を得てから開けると、土方が相変わらず眉間にシワをよせて、私を見上げてくる。

 何かを言われる前に私が差し出した手を見たとたん、土方は深く息を吐き、共にいた近藤が自分がなっているかのように眉をひそめた。

 道場を後にして、まっすぐに私がここへ来たのはもちろん怪我をしているからだ。土方の部屋には、何かと薬がそろっているので都合が良い。

「痛そう〜」
「痛いですよ」
 慣れた様子で土方の部屋の一角から薬箱を持ち出し、自分の手を手当てする私の後ろから近藤がのぞき込んでくる。土方はいつものことなので、自分の仕事を続けているようだ。

 打ち身の薬を塗り、これで終わりだと私は薬箱の蓋を閉める。

「あれ、それだけ?」
 本当は包帯を巻いたりしておいた方が良いかもしれないのだが。

「いやあ、あんまり大げさにしておくと斎藤が気にしちゃうんで」
 私を捕えようとする腕を、ひらひらりと軽く交わそうとすると、近藤は後ろから私を覆うように手を捕まえてきた。握られた手が痛いし、首に、耳に、近藤の息がかかって、少しだけときめく。

「近藤さん」
「女の子が傷ばっかり作ってちゃいけないよ」
「……近藤さん、邪魔」
 呆れた声で言っても近藤がどけてくれる気配はない。そこに邪な気は感じられないのだが、流石の私だっていくらなんでも家族でもない男にこんな風にされるのは慣れていない。

「俺が包帯巻いてあげようか」
「いりません」
「遠慮しなくていいから」
「遠慮じゃありませんから、どいてください」
「何してんですかい、近藤さん」
 不意に呆れた声が別の方から聞こえてきて、私はそれが誰かわかったから手を振って助けを求める。

「永倉ー、この人どうにかしてよ」
 しかし何を思ったのか、永倉はずかずかとこちらまでやってきて、私の正面へ回った。

「……意外にちっせェ……」
「聞こえてるぞ、バカ倉」
 何がだと睨みつけると冗談だと笑いながら、永倉は無造作に私を担ぎ上げた。

「ぅわっ! た、高い! やばい! ぶつかる!!」
 騒いでいる私を廊下まで連れて行き、永倉が顔を合わせてにやりと笑う。

「探したぜ、葉桜」
 永倉の言い様に、私は露骨に眉を潜めた。こういう言い方をする永倉に良いことなどないと、私は経験上知っているからだ。

 だが弱味と気取られるのも癪なので、私は永倉ににやりと笑ってみせる。

「絶対イヤ」
「そう言わずに、ちっとぐらい付き合ってくれよ」
「……何の話?」
 私を拝み倒して見せる永倉を不思議そうに、だが楽しそうに笑いながら訊ねてくる近藤を私は睨みつける。

「どうせ、また金がないから、一緒に飲みに行こうとかそんなトコでしょ」
 最後まで言い終わらないうちに、永倉に叩かれた。痛いと抗議の視線を向けるが、永倉は私を見ないようにして避けている。

「まあ、そういうコトでさ。近藤さん、土方さん、葉桜は借りてくぜ」
 屯所の外まで引きずられるように歩いた後で、示し合わせたわけでもないのに私たちは互いに離れる。

「おめェ、人が折角助けてやったってのになんてェ言い草だ」
「え、違うの? じゃあなんで助けてくれたのさ」
 憮然とした永倉は答えない。だが、理由はともあれ助かったわけだし、と私は永倉の肩に軽く腕を回した。

「鴨川沿いに上手い団子屋があるんだ。どうせ出たんだし、行かないか? もちろん、看板娘は可愛いよ」
「ほぉ〜、そいつは期待しとくかな」
 すぐに機嫌を治した永倉と並び、私も並んで歩き出す。こうして、二人でつるむようになったのはここ最近の話だが、そう頻繁というわけでもない。

 元々気が合うのもあるが、何よりも私が考える以上に言いたいことをわかってくれるというのは楽でいい。互いに気兼ねなく自然体でいやすいというのもある。

 二人で茶を飲んだ後で、どうでもいい世間話に花を咲かせながら、河原を歩いていると、ふいに永倉が言った。

「礼金貰ってねェのはいいとして、いつもこんなことしてんのか?」
 永倉がこんなことと言ったのは、目の前で私が茶屋の娘からの頼まれ事を済ませていたからだ。私的には元々していた「相談屋」としての仕事を無償でしているだけなのだが。

「やっぱまずいかなぁ」
「どう考えてもヤバイだろ。土方さんに知れたら」
 やばいやばいと言いながらも黙っていれば、永倉だって同罪だ。

「ふっ、別に言ってもいいよ。土方の処断なら甘んじて受けるさ」
 その決断が切腹だとしてもと私が言うと、永倉はまた不機嫌に眉を寄せて、足を止めた。

「そういうわけにゃいかねェよ」
「どうして」
「葉桜は仲間だからな」
 そんなことを言われたら、いくら私が世辞とわかっていてもにやけてしまうじゃないか。

「少なくともオメーに何かあるのはわかってんだ。敵にならねェ限り、俺は味方でいてやるよ」
 芹沢さんのこともあるしな、と永倉に続けられ、私は渋面する。永倉はわかっていて、私にこういうことを言う。

「そうだ、またあの時みたいな稽古しねぇか?」
「無理だよ」
「屯所じゃ拙いし、ここでいいか」
 勝手に進めようとする永倉が剣を抜く前に私は動き、その柄頭を押さえる。とん、と軽く身体がぶつかる。

「駄目だ、永倉」
「一本ぐらいイイじゃねェか」
「あの剣はもう使えない」
 震える私の肩を永倉が押さえたのは、そうしなければ私がそのまま崩れてしまいそうに見えたのかもしれない。

「そうじゃねェ、俺は真剣なオメーとやってみたいだけだ。もう一度、真面目にオメーの剣を受けてみたいと思っただけだ」
 顔を上げると永倉は珍しく柔らかな目で私を見つめていて、吐息がふれあいそうなほどの距離に、私は思わず息を止める。

「オメーの覚悟ってやつを知りてェんだ」
 本能が勝手に私を操り、後ろへ飛び退き様、逆手で私に剣を抜かせる。そこへ高い金属音が響いた。打ち込んできたのは永倉で、受け流した私は問いかける。

「覚悟って、何?」
「源さんから聞いてるぜ、葉桜っ」
 昨日の一件、井上が土方に報告していないと思ったら、永倉に話していたのか。それもきっと、井上は永倉が私とこうしてつるんでいるのを知っているからだろう。推測だが、おそらく井上にはそれとなく探ってほしいと言われたのだろうが、永倉がそんな回りくどいことをするはずがない。合点がいってしまえばこの行動も永倉らしくて、私はつい笑いが零れた。

「余裕だなァ、葉桜。それで何を守るって?」
「フッ、人に覚悟を見せろというのなら、おまえも相応のものをみせてくれないとな」
「モチロンだぜ」
 私と永倉は互いに間を取り、機をうかがう。

 永倉との仕合は、芹沢のことを除いても私にとってかなり楽しい類いだ。自分に似た剣を使うというのもあるが、何よりも均衡するその心の強さや真っ直ぐな感情が、とても眩しくて。

 つい口元が緩んでしまうじゃないか。

 甲高い音を立てて飛ばされた己の剣の軌跡を見守ることなく、私は即座に振り下ろされる永倉の刀から、身体を逸らす。

「さァどうする?」
「こうするっ」
 永倉の腹部へ向けて、蹴りを放ち、避けたところですかさず、私は彼の刀を蹴り飛ばす。

「ほら、これで互角」
「そういや、オメーはそれがあったな」
「まだやる?」
「トーゼンだぜッ」
 そのまま子供のように喧嘩して(互いの顔を殴らないのは後で土方にバレると怒られるから)、二人共が疲れ切って、仰向けに空を見上げる頃には夕闇が降りてきて、私も永倉も朱に染められていた。

「イチチ、やっぱ葉桜は女じゃねェな」
「永倉だって、手加減しなかったじゃないか」
「するわけねぇだろ」
 そこまでの余裕なんかねェよと呟く永倉を笑ったら、私も身体中のどこもかしこも痛かった。痛いけど、楽しさが上回っていて、今はどうでもいいと思える。

「強いヤツと戦いたいっていうのは本当なんだ。ただ、永倉たちが勘ぐるように、私がここへ来た理由はもう一つある」
 こちらを見ているであろう永倉の顔を想いながら、私は静かに話す。

「あんたたちが強いことはここに来てよくわかった。だけど、力だけじゃどうにもならないことが世の中にはあるから、私はそれから守るのが役目だと思ってるよ」
 まだまだ分からないことばかりだけど、私にもひとつだけはっきりとわかっているコトがある。

「お前たちは生きたいように生きろ。その道を阻む者があって、もしもどうにもできないようなら、全部私が引き受けてやる。だから、存分に生きろ」
 私は起き上がって、永倉を見下ろして笑う。そうできるかどうかじゃない、そうすると決めているから、私は笑うのだ。その顔をどこか不満そうに見ている永倉が手を伸ばし、私の片手を引く。

「うわっ」
 ごろりと転がされ、目を開ければ、覆い被さるように永倉が私を見下ろしていた。

「本心か?」
「ああ」
「んじゃ、俺がもしここで葉桜を抱きたいっつったら」
 本心じゃないクセに、よく言う。クスリと笑い、私は目の前の男の頬に手を伸ばした。そして、おもむろに引っ張る。

「私を相手にしなきゃならんほど、永倉は女に不自由してないだろ?」
「ひででで……っ」
「不自由していたとしても、永倉は私に手を出さない。そうだろう?」
「あんで、そう……いでででっ」
「これでもかなり信頼してるんだからさ、失望させないでよ」
 痛さに涙目を閉じている永倉の目蓋へそっと口付け、彼が我に返る前に私は起き上がる。見下ろす永倉の顔は夕陽以上に朱く見える気がする。

「報告はご自由にどうぞ?」
「……て、テメー……っ」
「はっはっはっ、これぐらい永倉は慣れてるだろ」
 屯所へ戻ると、私と永倉はすぐに近藤の部屋へ呼ばれた。永倉の報告を聞きながら、隣で居眠りした私が怒られたのは言うまでもない。

 結局、最後まで永倉は私がしていることを報告することはなかった。




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