幕末恋風記[追加分]

□(元治元年葉月) 05章 - 05.3.1#消えた傷
1ページ/3ページ

(近藤視点)



 方々から聞こえてくる歓喜の声を聞きながら、葉桜君は自室の縁側の柱に寄り添い、目を閉じていた。老中から感謝状なんて珍しいことがそうそうあるわけもなく、今回のことは葉桜君だって功労者の一人なのだから、仲間と共に喜んでも良さそうなものなのだが、葉桜君は変わらない。いつものように居眠りをしているだけだ。

 俺が踏みしめた床が立てる低い音を聞いても、葉桜君は目を開かない。だが、気が付いてはいるはずだ。

「こんなとこにいないで、部屋の中で寝たらいいのに」
 近くまで寄って、俺は葉桜君の少し日焼けた頬にそっと手を伸ばす。俺の手に先んじた風が葉桜君の髪を揺らし、彼女の頬をくすぐってゆく。葉桜君は特別美人というほどじゃないし、特別可愛いわけでもない。だけど、何故か葉桜君には惹かれるものがあって、俺も放っておけない気分にさせられる。俺の指が葉桜君の肌に触れる寸前、彼女の大きな瞳がぱちりと開く。微かに赤茶の光彩が混じる葉桜君の黒い瞳は、大きく開かれた後で一度閉じられ、また直ぐに今度は半分ばかり開かれた。

「……近藤、さん……?」
 ぼんやりと寝ぼけている葉桜君を笑い、俺はその頭に手を置く。

「ただいま。今日は非番?」
「……今日は……死番、だったかな?」
 俺の質問を聞き間違えて答えつつ、葉桜君がフルフルと頭を振る。

「ああ、えと、近藤さん? いつ、戻ったんですか?」
「今戻ったばかりさ。葉桜君はよーく眠っていたねぇ」
 まだ眠気が覚めないのか、目元をこすっている葉桜君の手を俺は取る。案の定、葉桜君には煩そうに振り払われた。

「うん、昨夜は一仕事あったかふぁ」
 葉桜君は寝たりないのか、大きな口を開けて、欠伸をする。掃討戦以来調子が悪いのか、葉桜君がこうしてのんびりして姿を俺が目にする機会が増えた気がする。安心しきって、今日のように縁側で眠っていることなどよくあることだ。

「大捕物なんてあったっけ」
 俺が聞き返すと、葉桜君が吃驚したように顔を上げて、それからしまったという顔をした。

「あー……ごめん、間違いです」
「間違いって、何と?」
 気まずそうに顔を反らす葉桜君の顎を取り、無理矢理に俺へ向ける。動揺が見えるかもしれないと考えたが、葉桜はただにっこりと俺に微笑んだだけだった。

「賞状、いただいてきたんでしょう? 見せてくださいよ」
「あ」
 俺も思い出して、葉桜君から手を離す。それを見せてあげようかと思って、葉桜君に近づいたんだった。

 俺が賞状を取り出そうとしている間に風が動く。それが葉桜君の起こす風と気づいて、俺はとっさに手を伸ばしていた。

「っ!」
「どこに行くの」
 ただ掴んだだけなのに、その場に葉桜君は力を落として、へたり込んだ。今まで気が付かなかったけれど、さっきから面倒で動かしていないだけなのかと思ったけど。

「腕、怪我してたのか」
「っ」
 葉桜君は違うと首を振っているが、俺の前で涙を滲ませて、肩を押さえながらやっても説得力はない。手を掴んだまま、俺は葉桜君の袖を捲る。

「な、に……これ?」
 葉桜君の腕に無数の切り傷があることは俺も知っていた。見た目の年齢と実力や性別から考えてもそれは無理からぬことだから、今更驚きはしない。

 俺が目を見張ったのは、葉桜君の手首よりも少し下から二の腕の半ばまでにかけて、どす黒く彩られた禍々しい文様が彩られていたからだ。そこへ俺が触れようとすると、葉桜君は慌てて腕を引いて隠してしまう。

「ええと、刺青? ほ、ほら、原田の真似!!」
 確かに原田君は胸元に目立つ入れ墨を入れているが、葉桜君のそれは明らかに嘘とわかる言い訳だ。俺にはそれがどう見ても刺青に見えない。

「葉桜君」
 俺は強く、葉桜君の名を呼ぶ。

「う……っ」
「理由はともかく、その腕で仕事するつもりだった?」
「実は、もう原田に代わってもらってます」
「そう。それなら、」
 一瞬安堵の表情を浮かべる葉桜君を、俺は両腕で抱え上げる。葉桜君は普通の女性よりは多少重いが、その身長や見た目に反して軽い。

「ちょっとおいで」
「私に拒否権はないんですか」
「あはは、あたりまえじゃない」
 俺の部屋に連れて行き、葉桜君をそっと俺の布団へ横たわらせる。そのまま待つように言い置いて、一度部屋を出てからすぐさま俺は戻る。すると、案の定葉桜君は起き上がっている。

「今、医者を呼ぶから待ってなさいって」
「医者にどうにか出来るならいいですけどね」
「葉桜君ー」
「はいはいはーい、わかってますよ」
 大人しくしてますという葉桜君を信じて、俺は今度こそ部屋を出た。だが、医者と共に戻ってみると、葉桜君の腕には何の影も残っていなかった。ただ代わりにある痛々しい傷跡に、医者は目を見張るばかりだ。

「あれー?」
「古傷ばかりですね。私に出来ることはないようだ」
「御足労かけて申し訳ありません。どうにも出来ない怪我なら、まっさきに先生のトコへ行くんで、そのときはまたよろしくお願いしますよ」
 医者を帰らせてから俺が聞いてみても、葉桜君はいつもどおりにはぐらかすばっかりで。

「医者にどうにかできないなら、自分でどうにかするしかないんですよ」
「だから、どうやって」
 俺の前でカラカラと笑う葉桜君は、もういつも通りで。

「ほらぁ、古来からあるでしょ。傷口に酒をかけてってヤツ」
「それでどうにかなるようなもんじゃないでしょ〜。第一、それは消毒」
「あれ、そうでしたっけ? あははっ、まあ治ったんだからいいじゃないですか」
 俺が思いっきり誤魔化されているのはわかったけど、葉桜君は追求の隙をまったく与えてくれなかった。なにかあるはずと俺の勘が告げているのに、葉桜君はもうその手を掴んでも軽く振り払ってしまう。

「さてせっかく休みになったし、昼寝の続きしてきます」
 悠々と出て行く葉桜君を俺は止められなかった。

 部屋に一人残された俺は、頭を抱える。考えても仕方がないことだが、一体葉桜君は何者なのだろう。

「聞いても素直に教えてくれるワケないしねぇ」
 俺が吐いたため息は空気に溶けて、ゆるりと消えていった。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ