幕末恋風記[追加分]

□(元治元年葉月) 05章 - 05.4.2#来ぬ人を…
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 風が騒いでいる気がして、私が見上げた空は蒼く碧く澄んでいて、とても綺麗だった。なのに、どうしてだろう。こんなに綺麗な空なのに、私の心の中は同じように晴れてはくれないままだ。

「葉桜」
 名を呼ばれた気がして、私は俯いて、小さく笑う。その声はここで聞くことなどないものだからだ。おそらく私は風の音か何かと間違えたのだろう。

 もう一度と仰ぐ空に、私は笑みを零す。

「なにか良いことでもあったのか?」
「っ!」
 現実の声に、私は慌てて振り返る。

「あ、いやぁ、笑う門には福来たるっていうじゃないですか」
 そこにいるのが土方と知り、取り繕ったへらへら笑いを見せると、そんな私に土方は露骨に眉を顰める。私はまずいことをいったつもりはないのだが、土方からしたら何かがどうやらまずかったらしい。だが、私も訂正するつもりはない。

 眉間に皺を増やしている土方の顔に、私は自然と手を伸ばす。

「ほらほらぁ、土方もそんな怖い顔してると幸せ逃げちゃうよ〜?」
「やめろ」
 阻む土方の骨張った手が、私の剣蛸と傷だらけの手を握りしめる。まっすぐに見つめてくる土方の強い視線を受け止め、私は緩やかな笑顔を返す。

「何を、待っている」
 私自身そんなつもりはなかったから、言われてどきりとした自分に驚いた。私はやはりまだ待ち続けているのだろうか。とっくに吹っ切れたつもりだったのに。

「……ははっ」
 俯いている自分から先ほどよりも乾いた笑いが零れる。

「ーー来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつーー」
 意味がわかった様子の驚いた土方が、私の視界の端に映る。

「とっくに、やめたつもりだったのに、ね」
 強く腕を引いて、掴まれた手を振り払い、私は土方に背を向ける。

「夕餉までには戻ります」
 普段のように空を見上げるでなく、俯いたままで真っ直ぐに屯所を出て、私はそのままふらふらと京の人波に身を溶けこませる。空気を流れるような私に誰も気が付かない。はず、だった。

 歩いていた私は、唐突にぐいと腕を引かれる。そこにいる土方ではない仲間の姿に、私は純粋に疑問を感じる。

「斎藤……?」
「土方さんから伝言だ。すぐに戻れ、と」
 土方は余計なことをするものだ、と小さく私は笑った。私なんて、捨て置けばいいものをこうして人を遣す。

「わかった、土方にはすぐに行くと伝えておいて」
 そのまま私は屯所とは逆方向に歩き出そうとしたが、斎藤は腕を掴んだまま離してくれない。まさか、土方からそのまま連れて帰ってこいといわれているわけでもあるまい。

「どこへ行く」
「屯所」
 無言の抗議をする斎藤に、私はあっさりと負けを認めた。何も意味なく京の町をさ迷ったわけでもなく、土方の指示に逆らったわけでもない。

「はーいはい、帰る前に掃除させてよ」
「俺がやっておく。おまえは急げ」
「なんで?」
「至急、だそうだ」
 まったく、土方は手回しの良いことだ。斎藤を送ってくる辺り、私の行動をも土方は見通しているのだろう。

「わーったよ。でも、一人で戻るのは却下」
 私は掴まれている腕を持ち直し、斎藤の腕を引く。

「走るぞっ」
 けっこう全力で走ったつもりだったのだが、壬生寺まで来て息をついている私の隣で、斎藤は涼しい顔をしていた。

「はぁっ、さ、斎藤は体力あるなぁ」
「………」
「あのねー、無言で責めるのは止めてよ。これでも体力はある方、」
 ぽん、と斎藤が私の頭に手を置く。そのまま軽く叩かれる。

「もうひとつ、伝言がある」
 なんだと見上げる私を斎藤は柔らかな視線で見下ろす。

「来る気がないようなら、無理に来なくてもいい。だが、戻ったら必ず報告しろと」
 それって至急でもなんでもなかったんじゃ。私の疑問は口にしなくても斎藤に通じたらしい。

「葉桜の腕は信用している。だが、一人で無理をするな、だそうだ」
「無理なんてしないさ。体力もないし、やる気もないし」
 正直、土方や斎藤にほんの少しだけ私は安心した。自分の行動が段々とおかしくなっている自覚はあるし、見る人に不安を与えるであろうコトもわかっている。だが、止められない。明かすことができないと知りながら、無理をしなければ、今の私にはすべてを隠し通せなくなってきているのだ。

 もしもこれから先の未来を変えるとしても、伊東も大石も必要不可欠だろう。なにより、山南の力となる伊東を迎え入れないわけにもいかない。

 だけど、もしも伊東を新選組に迎えないとしたら、どう変わるのか。変化を求めているクセに、私は変化を恐れている自分の中の矛盾を抑えられない。

「本当にやる気がないのだとしたら、葉桜は新選組にいない」
 斎藤はたまに鋭いコトを言うのが困る。

「体力だって、並の隊士に引けは取らないだろう。何より、剣を持つときのおまえに無駄はない」
 私の背中を叩く斎藤の手は、普段よりも温かい気がする。

「言いたいことがあるのなら、どこかに穴でも掘って叫ぶといい」
「……は?」
「才谷さんが言っていた」
 斎藤は言うだけ言って、さっさといなくなってしまって。その姿が完全に去ってから、ようやく私の胸の内から笑いが零れてくる。

「はっ……あはは、っ……な、穴、だって〜?」
 斎藤も才谷も、何を馬鹿なことを言っているのか。何て叫んでも、何も変わらない。どこへ何を叫んでも、何も変わらない。叫ぶだけで変えられるものなど、どこにもありはしないのに。変えたいのならば、自分で動かなければ、何も変えられないのに。

 ひとしきり涙が出る程笑ってから、私は高い青を仰ぐ。いつ見ても果てのない空を見たのは、久しぶりのような気がする。晴れてはいたが、毎日見てもいたが、本当の意味では「見えて」いなかったかもしれない。

 空を見上げたまま、私は深く息を吸い込む。そして、斎藤の去った方、屯所へ向かって思いっきり声を張り上げた。

余計な気を回すな、バーカ!
 叫んだら、私もちょっとだけ気が晴れた気がした。




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