幕末恋風記[追加分]

□元治元年葉月 05章 - 05.5.1#真夜中の訪問者
1ページ/3ページ

(才谷視点)



 闇の中でも葉桜さんという女性は、眩く思えるほどに光り輝いているように見えた。新選組という場所にこれほど馴染む女性も少なければ、これだけ馴染んでいるのに我を見失わないというのも珍しい。

 隊務とはいえ、男であっても人斬りを重ねることで我を失うものだっているのに、葉桜さんはいつも変わらない笑顔のままだ。

 鈴花さんもその珍しい部類に入るが、こうしてみるとやはり葉桜さんというのは別格だと、鈴花さんの部屋を出たわしは思った。今までも思ってはいたが、葉桜さんのいる辺りだけ空気が違う。葉桜さんの周囲はあらゆる穢れを許さない清浄な空気が辺りを包み込み、かといって、まったく拒絶をするわけでもなく、人を招く魅力がある。

「葉桜さん、起きちょるか?」
 答えがないから眠っているのかと思って、わしはそっと障子を開ける。しかし、目の前の布団に葉桜さんはいなかった。

 抜け出たばかりに見える布団に手をのせると、まだほのかな温もりをわしに教える。ついさっきまではいたのだと、わしに知らせる。

 首を傾げていると、わしは後ろから強かに蹴られ、誰かに鮮やかな手並みで馬乗りになって抑えつけられていた。わしの喉元には抜き身の懐剣が突きつけられている。

「こんな夜中になんのようだ。何度来ても、帰る気はないと」
 堅い葉桜さんの声に、わしは安堵して声をかける。

「葉桜さん、わしじゃ! 才谷梅太郎ぜよっ」
「才谷……?」
 葉桜さんは怪訝そうに呟き、それからハッとしたようにわしの縛めを解いた。

「うわ、悪いっ。間違えた……!」
 わしは慌てて抱き起こされ、珍しくペタペタと心配そうに触れてくる葉桜さんがおかしくて、思わず嬉しくなってしまう。こんな風に慌てることがない人と知っているのもあるが、間違いとはいえ案じてくれるなんて、それだけで喜びも一塩だ。

「う、梅さんっ?」
「ああ、わしは丈夫だけが取り柄やき」
 ぎゅっと葉桜さんを抱きしめ、ついでにその頬に顔をすり寄せる。

「調子に乗るなっ」
 ぐぐぐっと腕を突っぱねて必死に逃れようとする可愛い葉桜さんの力を受け流し、わしは自然と組み敷く。同じようにした鈴花さんはさっき動揺を見せていたが、さすがに葉桜さんだ。そんな様子の微塵も見せないどころか、余裕そのものだ。

「襲ってくれるのは嬉しいが、ワシは葉桜さんを襲いに来たがやき」
 床に散らばる葉桜さんの髪が怪しく月光を煌めかせ、白く輝く肌は妖しさと女らしい艶を見せる。そして、葉桜さんは不意にくすりとわしを笑った。

「私が笑っている間にどけた方が身のためだぞ」
 くすくすと笑う葉桜さんの視線が常とは違う鋭さを帯びるのを見て、わしの背中がゾクゾクと感じる。

「ほう、どけなかったらどうなるがかぇ?」
「どうしてほしい?」
 闇に沈む葉桜さんの瞳が、その鋭さを増してゆく。わしは気の強い女が好きだ。しかも、葉桜さんは今まででわしが出会った人の中でも特別強い意思を持っていて、その上決して人に流されることのない強さを持っている。

「わしに一目惚れしなかった女はおまんが初めてぜよ。何が何でもわしのもんに」
「却下」
「……しまいまで言わせてくれ」
「鈴花ちゃんと同じ口説き文句で私がオトせるとでも?」
 何故知っているのかとわしが驚いている間に、葉桜さんがのろのろと起き上がり、わしと距離をとる。

「女好きはよーく知ってるけど、私は範囲外だと思ってたな」
「ほがなこと、葉桜さんはわしが出会った中じゃー最高の女ちや」
 わしがそれに気が付いたのは、偶然だった。ただ話しているだけなのに、葉桜さんの長い髪がゆらりと揺れる。風もないのに、彼女は動いていないはずなのに。

「私が出会った中じゃ、梅さんはかなりの変人だよ。とても、ね」
 葉桜さんは普段通りに話をしているように見えるのに、わしが強い強い瞳のずっと奥を覗き込めば、そこには小さな女の子がいる。必死に虚勢を張っている裏側で、葉桜さんは膝を抱えて震えているように見える。

 わしも、まさか、と思った。葉桜さんには怖いことなど何一つなさそうなのに。

「わしはせんばんと、たいみんぐ、良く来たようじゃ」
 ここへ来たときにわしを襲ってきた理由が原因なのだろうか。葉桜さんは奇襲さえも慣れていそうだったのに、相手の何を恐れていたのか。わしが伸ばす腕の先、葉桜さんがはね除ける。

「今夜はもう遅い。早く帰れ」
 それでもわしが二度目に伸ばし、かすかに触れた指先に、びくりと葉桜さんの肩が震える。だが、それだけで葉桜さんがわしを見る視線が強く鋭いものに変わる。強く引かれた一線がはっきりと見てとれるからこそ、わしは余計に葉桜さんの深い闇に気づいた。

 葉桜さんは触れるなと強く拒絶する。近づいてくるなとわしとの間に幕を掛けて、すべてを覆い隠してしまう。いいや、覆い隠すのではなく。

「それは聞けない相談じゃ」
 これこそが普段の笑顔の仮面の裏側にある、本来の葉桜さんの姿ではないだろうか。だったら、わしはすべてを受け入れるだけだ。

 葉桜さんに近づこうとしたわしの喉元に、抜き身の刀が突きつけられる。構わず進もうとすれば、それを容易に引っ込めることをわしは知っている。

「死にたいのか、あんた」
「ほがなはずはない。わしにゃまだやりたいことがこちやとある」
「じゃあ、さっさと帰れ。今は、構っている余裕がない」
 差し出された抜き身の刃にわしが手を添えると、葉桜さんの瞳が大きく見開かれる。

「葉桜さん、わしは夜這いに来たきす」
「……それは、鈴花ちゃんの、でしょう」
「いいや」
 刃に沿うように手を滑らせ、わしは葉桜さんの強張る体を柔らかく抱きしめる。堅く閉ざされている心に温かさが届くように願う。

「斬り殺されたいのか? だったら、私のいないトコでやってくれ」
 わしが何かを言おうとする前に背中へ手がかかり、気が付けば葉桜さんの背中へ転がされていた。そして、鈍い鉄が打ち合わされる音で、葉桜さんの剣が何かを抑えていることに気づく。

「いるなら、私は守らなきゃならない」
 真っ黒い影のような者の刃を懐刀で受け止め、どちらへともなく葉桜さんが言葉を放つ。

「この私の目の前で、彼を殺せると思うなっ」
 気合いと共に葉桜さんが影を吹き飛ばそうとするも、相手が先んじて後方へ下がった。同時に葉桜さんも立ち上がり、両腕をだらりと下げたままの気合いを放つ。ほんのちょっとの時間が一刻にも思えるほどの時間を経て、それが姿を消してしまってから漸く葉桜さんも刀を収めた。

「……葉桜さん、今のは」
「さっさと帰って。一人にして」
 立ったまんま振り返らない葉桜さんに、わしは手を差し伸べることも出来なかった。その強い拒絶はわしが考えていたよりも強くて、背筋を凍り付かせるほどに冷たい。冴え渡る冬の弓月を思わせる姿は、普段の葉桜さんとはかけ離れていて、声をかけることもできない。

 わしは見たこともない闇を見た気がした。

 少しの間を置いて、葉桜さんが息を吐き、唐突に警戒を解く。そして、やっと笑った。いつもの柔らかで温かな微笑を浮かべて、わしを見る。

「間の悪いときに来る人だよ、才谷は」
 助けおこそうと手を差し伸べてくれる葉桜さんの手を引き、わしは思わず強く抱きしめる。

「葉桜さんっ」
「わっ、な、何? なんだ?」
 ぎゅううと強く強く腕の中で戸惑う気配を抱きしめて、わしはやっと実感する。

「葉桜さんはぬくいやき」
 決して冷たいだけの人じゃない。あれが葉桜さんの一部でも、次はきっと受け止めると心に誓い、わしはさらに力を込めた。当然、後で葉桜さんには殴り飛ばされたが。

「わしは強うて可愛い女が好きやき。落とすまでは絶対に諦めんから覚悟しちょき」
「あぁ?」
「ほんならまたっ」
 また殴られる前に、わしは今度こそ新選組の屯所を逃げ出す。それから、屯所を少し離れた場所で足を止め、ふと見上げた空にはさっきの葉桜さんのように頼りない細い月が浮かんでいた。

 ああ、と思う。葉桜さんは強いけれど、それだけじゃない。だから、わしは目が離せないのだ。

 納得してしまったら妙に嬉しくて、部屋で石川が待ちかまえているのも忘れて、わしは浮かれて帰ってしまった。小煩い石川のお小言を聞き流しながら、今夜の葉桜さんを反芻する。それだけで、わしはにやにやが止まらなかった。



.
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ