幕末恋風記[追加分]

□(元治元年霜月) 06章 - 06.1.2#変わらないコト
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 毎日というのは繰り返しで出来ている。それは、新選組も例外ではないから、どれだけの新入隊士が入ろうとどんな任務があろうと、私の毎日も然り。

「変わらないコトなど何もないさ」
 そう言って私の日常を否定したのは誰だったか。そういった相手をぶん殴ろうとした自分がまだ子供だったことを、私は覚えている。だけど、相手は誰だったのか定かじゃない。あの頃の私の廻りにはそういうことを言ってからかう者が多すぎた。

「やあ、葉桜さん」
「っ!」
 道場でぼんやりと虚空を見ていた私は、いきなり声をかけられ、危うく剣を抜いてしまうところだった。

「は、ははっ、服部さんかぁ。おはよう」
 鞘に手をかけたまま苦笑いする私を少し不思議そうに見てから、服部は上座に座っている私のところまでまっすぐに近づいてくる。

「朝が早いとは聞いていたけど、まさか寝ていないのかい?」
 服部がいうのも道理で、私が道場の狭い窓から外を見ても、まだ日は昇ったばかりだ。

「まっさか〜。服部さんこそ、早いですね。朝錬にはまだ時間がありますよ」
 足を止める気配のない服部に内心でドキドキしながら、私は平静に受け答える。私の目の前で立ち止まった服部はかなり大柄だ。相当の使い手と言われるのも頷ける理想的な体躯の持ち主で、私とて羨ましいと目を細めずにはいられない。

「一手お願いしてもいいかい?」
「いいですよ〜。ただし、木刀ね」
 私はカラ笑いを零しながら、壁にかけられた木刀を二つ取り、一本を服部に向かって放り投げる。受け取った服部の表情は、私の位置からはよくわからない。

「私は天然理心流じゃないんで、ご期待にそえるかどうかはわかりませんけど」
 だけど、私は口の両端をつり上げ、にぃぃと笑う。強い相手と戦うのは好きだし、相手をしてくれるというのなら願ってもない。

「俺の考える通りの人なら、十分だよ」
「はははっ、なにそれ」
 からりといつものように笑ってから、私は両手を自分の前におろして、下段に高ヲて向き合う。他の誰もいない、古くからいる試衛館の連中には見せてきた剣も、伊東と共に入ってきた者たちに私は敢えて見せていない。その理由は先のことを考えてという理由が大半を占める。

 服部が構える中段の剣の切先にも、さっきまでより濃く気配が薫る。それは誰とも違う、柔らかで。

「はぁっ!」
 先に打ってきた服部の剣戟を正面から受け、私は自身が苦手とする鍔迫り合いでしっかりとその目を見据える。剣が無くなれば触れそうな距離で、私は服部にそっと囁く。

「聞きたいことがあったんじゃないの?」
 他のものなら怯むそれにも動ぜず、小さく服部は微笑んだ。押し負けるのは目に見えているので、私は剣を引き様に服部の長身を飛び越し、直ぐさま彼に向き直って、連撃を繋げる。

「身軽なんだ」
「ははっ、流石!」
 服部には私の打つ場所がわかっているみたいに全てを防がれて、まるで二人で舞うように攻守を繰り返して、ただそうすることが心地よい。

 流れは完全に私の手の内にあった。それが覆される一瞬を察知し、とっさに私は地を蹴り、服部から距離をとる。私がいた場所を寸前で服部の剣先が通りぬけ、剣を振り抜いた態勢のままで不思議そうな顔をしている服部を私は不敵に笑う。

「ふふっ、強いなぁ、服部さん」
「今のが避けられるのか」
 剣をおろした服部に合わせて、私も高ヲを解いた。

「その技を使える人が他にもいるとは思わなかった。肘は大丈夫?」
「え……」
「まあ、服部さんほどの体格なら心配いらないね。羨ましいなぁ」
 私が投げた木刀が音を立てて壁に当たり、元の位置に納まる。滅多にやらないが、私は新選組でこの狙いを外したことはない。片付けが面倒だから、実家の道場でかつて何度も練習して、習得したのだ。

「おつかれさん〜」
 もう稽古は終わりだとして、道場を出ようとする私の前に木刀が突きつけられる。そして、次に服部が囁く言葉に私は反射的に心を凍りつかせていた。

「どこで、その名を?」
 服部が口にしたのはある人の名前で、私は久々に人からその名を聞いた気がする。私はいろいろな思いを堪えて、両目を閉じる。

「ちょっと面識があるだけさ」
「そう、か」
 私の動揺が服部に届かないでほしいと願う。服部が口にしたのは、私にとって、誰にも触れて欲しくない名前だ。今でも他人からその名前を聞くことが出来るということを、私は喜ぶべきなのかも知れない。だけど、名前を平静に聞くにはまだ、私には時間が足りない。私がその人を偲ぶ想いは決して消えないけれど、あまりに唐突すぎて、余裕も何も振る舞えない。

「知っているのなら、会うことはできないかな。一言、礼を言いたいんだ」
 会えるというのならこちらが会わせて欲しいものだ、と心中で呟く。

「……葉桜さん?」
 何度私が会いたいと願っても、会えない。世界中のどこを探しても、あの人はどこにもいない。私は私の中の絶望を悟られないように笑顔を作り、服部を見上げる。

「私も、会いたいよ」
 その時私は余程情けない顔をしていたに違いない。服部が何かに気づいた顔をする様子から、私は目を逸らす。

「力になれなくて、ごめん。じゃあ、もう行くよ」
 逃げるように道場を後にし、私は立ち止まらずにそのまま屯所を出て、人気の少ない墓所まで駆け抜けた。

「……っ」
 急に走りすぎたせいとは言えない涙が私の瞳から溢れ、声にならない嘆きをこぼす。聞いている者は誰もいないとわかっていても、大声で泣き喚くことも私にはできない。

 あの人の名前を呼んだことは一度もなかった。その名前は私にとって芹沢以上に特別で、世界中で一番大切だった名前だからだ。大切すぎて呼べないから、私はこう呼んでいた。

ーー父様、と。

(どうして、いまさら)
 父様のことは、芹沢のこと以上にふっきれたことだと思っていた。だって、父様は満足して逝ったのだ。最後まで笑っていた顔を私は覚えているし、葬式の時だって、私は周囲が心配するぐらい笑顔で見送った。そのせいで一悶着もおきたぐらいに、私は笑っていたのに。

 父様がどこにもいないのだと、私がはっきり認識したのはどこだっただろう。四十九日も過ぎた頃だったろうか。それとも、もっと後だっただろうか。仕事をしている間は過ぎることもなかったし、父様の話をするのも平気だったのに。

 今更こんなに辛い気持ちが、自分の中でぶり返すとは思わなかった。もう何年も前のことなのに、父様が死んだ時のことを私は引きずっているつもりもなかったのに。

 あまりに唐突で、あまりに意外な人から名前を聞いたから、自分を取り繕うこともできなかった。

 冷静になってきた私はようやく、あの時の服部の様子を思い出す。

「あとで、服部に謝っておかないとな」
 無理矢理に笑顔を作って見上げた空は既に明るく、青がどこまでもどこまでも高く澄んでいた。
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