幕末恋風記[追加分]

□(元治二年睦月) 06章 - 06.3.2#隠し事
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 部屋の前の縁側に座り、高い高い空を見上げていると、最近の私は頓に酷くなる脳裏の赤と青の幻影に、心が締め付けられる。不安を振り払うように、私は笑みを深くする。

「いー天気だなぁ」
 今日の私は非番なので、常の男姿としている袴を身につけてはいないものの、女装というわけでもない。ただの薄藍の着流しに、いつも着ている濃い瑠璃色の羽織を肩にかけているだけだ。

 普通の女性よりは少し高めの身長と乱雑な言葉遣い、それに不可思議な気配。どれが要因かわからないが、この格好の時の私は女性に見られることも男性に見られることもある。大抵は優男風に見られるが、見る者によってはやはり女性にしか見えないらしい。

 晴れた空に目を細めている私にかけられた声で振り返ると、縁側の暗がりに誰かが立っている。

「ずいぶん顔色が悪いですね、土方さん」
「……誰のせいだと思ってやがる」
「さぁ?」
 その場から動かない私の隣に土方が立ち、彼は私と同じ空を見上げた。が、少しも経たないうちに、私の隣で舌打ちが聞こえる。

「なんですか?」
「……山南さんはどうしてる?」
 土方の次の問いに、私はしばらく間を置いて、先ほどと同じように「さぁ?」と返した。山南のことについて、私は土方と何かを言い合うつもりはない。だったら、たとえ問われても何も言わない方がいいだろうという判断からの返答だ。

 土方も私と何かを言い合うつもりはないのか、質問を変えてきた。

「試衛館のことをどこで知った?」
「あの辺に行けばけっこう有名でしょ。農家の三男坊が道場主をやってるって」
 近藤のことは、本当に私が調べるまでもなかった。江戸で近藤のことを訊ねて、すぐに私は試衛館に辿り着いたのだが、まさか近藤の奥方にまで会うとは思わなかった。

「立ち寄っただけ、か?」
「つねさんって、良妻賢母って感じですよね。ああいう女性は好きだな。憧れる」
 答え方で土方には、私が試衛館に立ち寄ったことがわかったのだろう。私の視界の端で土方が眉間の皺を増やす。

「目的はなんだ?」
「守るべき人がいるってトコが、強さの元なんですかねぇ」
「何から」
「さぁ?」
 私は素直に答えても良いのだが、これまでの経験からして咳き込んで声が出なくなるのが関の山だ。だから、私は明確には答えず、のらりくらりと返す。

 隣に土方が腰を下ろしたことに気が付き、私は顔を向ける。土方は私の目の前で、両手を枕に仰向けになってしまった。それは近藤ならともかく、土方らしくもない珍しい行動で、私は軽く目を見開く。

 やはり土方には、私の異変を気がつかれているのだろうか。考えてみれば山南どころか、山崎や沖田、永倉に気づかれているようなのだ。人の気持ちに敏感な土方が気づかないはずがない。

「疑ってるのはわかりますけど、言いたくても言えない身になってください」
「そりゃわかってるが、な」
 私は近藤と土方には例の依頼人から渡された二枚の紙を見せたが、二人とも何も見えないと言っていた。それにも関わらず信じてくれるというコトの方が、私には信じられない。近藤は元々人が良いからいいとして、土方が私にそれほどの信頼を置く理由がわからない。

「どうしてそんなに信用してくれるんですか?」
 クスクスと笑いながら、私は土方に問いかける。こんなワケの分からない依頼を信じて受けてる自分も、こうして信用してくれる土方達のことも、私には本当にわからないことだらけだ。

「おまえじゃなけりゃ、とっくに叩っ斬ってるところだ」
 返された苦々しい声を、私はまた笑う。土方は時々、私には理解できない。

「いや、だから、それがどうしてって聞いてるんですけど?」
「さぁな」
 土方からさっきまでの私と同じように返されて、どうしようもなく笑いがこみ上げてくる。

「素直に、近藤さんがそうしろって言ったからって言っていいのに」
 土方もだが他の者も不思議なぐらいに近藤に従うことを、私は知っている。近藤が言うなら、無条件と言っていい。それほどに近藤が信頼されているというのはわかるが、だからといってあの人の良さを考えたら、信用しすぎるのも問題があるように私は思う。

 それをわからない人ではないと思っているのは、私の土方に対する買いかぶりだろうか。

「そんなんじゃねぇよ」
 どこかふて腐れた子供のように呟く土方は、いつもの機嫌の悪さがなりを潜めていて、私から見てもなんだか可愛い。そんなことを口にしたら、いくら私でもそれこそ叩っ斬られることだろうが。

「葉桜」
 考え事をしていた私の耳のすぐそばで、突然土方の声が聞こえて、顧みる。私と吐息が触れあいそうな距離に、土方の整った顔がある。いつのまにこんなに近づいていたのかと硬直している私から離れずに、土方が囁く。

「あのとき、なんだと言ったんだ?」
 あの時とはどの時か問い返す前に、私はすぐに思い当たった。おそらく江戸から戻って、伊東らの入隊祝いをした時だろう。私は気負っていたのが土方にバレてしまって、その上みっともない醜態をさらしてしまった。

 別れ際に自分が何を言ったのか、私はわかっている。だけど、土方にはわからないフリをするために笑った。

「あのとき?」
「江戸から戻った日に、」
「ああ! 忘れました」
 土方の腕が私の首に回され、更に顔が近づく。

「俺にそれが通用すると?」
「ふふ、そんなこと言われましてもー」
 額が合わせられても目線を合わせて嘘をつき通すのは困難で、私は笑っているフリをして目を細める。だけど、土方には私のそんな小細工のすべてを見破られてしまうのはどういうわけだ。

「葉桜に隠し事があるのはわかっている。だがな、あれ以外は」
「誰だって隠し事のひとつやふたつやみっつやよっつ、あるものですよ」
 私は肩を押して、土方の身を離す。これ以上詮索されるのはいただけないし、怖くはないが、どうも土方の誘導尋問は巧妙で隠し通すことは困難だ。

「そんなにあるのか」
「ないない、ありません。あれ以上の隠し事なんてできませんよ。精々、また原田が振られたとか、斎藤さんにご贔屓が出来そうだとか、永倉に夢中になってるお嬢さんがいるだとか、伊東さんに熱心な芸者がいるだとかぐらいしか」
 私がぺろりと隊士たちの最新情報を吐くと、土方は深くため息をついた。

「なんで、おまえはそういう他人の色事に詳しいんだ。そんなことをしている時間があるなら……っ」
 そこまで言って、土方が口を噤む。上手く誤魔化したつもりの私は、はぁと息を吐く。土方がこれぐらいで誤魔化されてくれる人ならば、私も苦労などしない。

「頷くか首を振るか、どちらかでいい。答えてくれ」
 土方が私から離れ、視線も外して空を見ながら神妙に言うから、私も空を見た。そこにはただ平和な空が広がっている。

「俺たちの中で最初にいなくなるのは、山南さんだな?」
 どくりと、私の心臓が高く啼く。首を振ることはできなかったけれど、頷くなんて、私には絶対にできなかった。私が諦めるわけには、いかないから。

「……けほっ」
 大丈夫だと言いたくても、私は口に出来ない。それぐらい言わせてくれたって良いのに、一体誰がどうして私を縛り、山南の命を奪うのか。山南のように、あんなに良い人をどうして連れて行ってしまうのか、どうして私のそばに残してくれないのか。

 世界はいつだって不条理だ。私が生きていてほしいと願う人を残してくれない。

 隣に座る土方が、咳き込む私の背中をさすってくれる。そうかともなんとも私に言わないのは、すべてを察しているからだろうか。

 咳き込んだフリして、私は涙をこぼす。私は今の自分に出来ることがわからない。山南が誰かに斬られるというのなら、私は自分が楯になってでも止めてみせる。だけど、自らの意志で死なれてしまっては、私には何も出来ない。生きる意思のない者を活かす方法など、私は知らない。

「無理をするな」
「けほっ……こほっ…… む……っ」
 私はごほごほと咳が止まらないし、涙も止まらない。土方は何もかもわかっている風だけど、どうか私のこれが咳が出ているせいの涙と信じてくれればいい。

「無理をするな」
 土方の深い声は、何故か私の心に響いて、心地よかった。




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