幕末恋風記[追加分]

□慶応二年長月 08章 - 08.4.1#花火
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 暗い夜空をぼーっと見上げていると、きらきらと星が瞬いた。あれを死んだ人の魂という人もいるが、それじゃあ余りに可哀相だと泣いたのは小さな自分だ。死んでからも浄化されないままというのは哀しいと泣いたのはとてもとても小さな自分で、慰めてくれたのは生きていた頃の母上だった。

 小さな私を抱きしめて、夜空を見上げながら柔らかな声で歌ってくれた。

「あれ、葉桜さんは行かないんですか?」
「みんな行ったら屯所がガラ空きでしょ。私はここで充分」
「そんなこと言わないで行きましょうよー」
 鈴花と山崎の誘いに、私は静かに首を振る。いつもとは違う私の様子に感づき、二人は無理を言わないでくれた。

 今夜は近くで祭りがあり、花火が上がるのだとも言っていた。新選組の者たちで、非番ではない者らも見廻りついでに祭りを楽しんで来るみたいだ。そういうコトが好きそうな私が動く様子もないので遠慮しているようだったが、私は永倉と原田たちに頼んで、ほとんどの対しを連れ出してもらった。ーー知り合いに掛けあって、屋形船も用意しておいたから、しばらくは誰も屯所に戻らないだろう。

 すべて、この屯所から人を遠ざけるため、私が一人静かに夏の夜を過ごすための準備だ。

「何を企んでいる」
「人聞きの悪い。私はただ一人で遠くの祭りの空気を感じるのが好きなんですー」
 庭から現れた土方に私は軽く返した。だが、土方の鋭い視線の奥には、私への心配が見え隠れしている。鬼の副長なんて呼ばれている割に、土方はかなりの世話好きなのだ。

 近寄ってきて、私の手を掴む土方の手は硬くて冷たい。微動だにしない私に気が付き、土方は眉間に皺を寄せたままで、私の隣に腰を下ろした。

「土方さんは行かないんですか?」
「屯所を開けるわけにはいかねえだろ。それに、花火ならここでも十分だ」
 土方の手にある煙管を目にした私は、思わずそれに手を伸ばす。それを見咎めた土方に直ぐに逃げられてしまったが。

「なんだ?」
「貸してください」
 土方は少しばかり考えてから私の手にそれをポンとのせてくれた。私は煙管をそっと手にし、夜空に翳すように持ち上げる。

「流石に煙草はやらねぇだろ」
「はい、良ちゃん……えーと、良順センセイに止められてます」
「良ちゃん……」
「あはは、流しといてくださいー」
 目を細めて眺めてから、私は煙管を土方に返した。それから、縁側の下に隠すように置いておいた風呂敷包みを取り出し、包みを解いて、徳利と杯を一組取り出す。

「一杯どうですか?」
「酒まで用意してたのか」
「ふふふ、いただきものですけどね」
 他のやつにはもったいない奴です、と私が囁くと、素直に土方は手を出してきた。私は土方の手に杯を載せて、酒を注ぐ。一気に煽る土方は私に杯を返して、徳利を奪って注いでくれる。

 しばらくの間、そんな感じで土方と二人、会話もせずに夜空を見ながら、酒を飲む。どちらも旨いともなんとも言わず、ただ静かにゆるりと時を過ごす。

 静寂を破るのは遠くで聞こえる花火の音だった。

「ここじゃよくみえねぇな」
 そんなことは土方だってわかっていたし、私だって勿論知っていた。わかっていて、二人ともここにいるのだ。

「そうですねー」
 私はゆっくりと酒を飲み干し、杯を置いた。

「でも、これが私の夏、かな」
 問わない土方をくすりと笑い、私は言葉を続ける。

「花火の音って、昔は嫌いだったんですよ。ひゅーって昇っていく音も、ぱーんと弾ける音も。全部、嫌いでした」
 精一杯昇りきって、自ら花開いて消えてゆくそれが、私にはどうしようもなく哀しかった。

「夜も、花火も、夜の花火全部が嫌いでした。儚く散ってしまうモノのすべてが、私は嫌だったんです」
 母上も、父様も、他にも沢山、その散ってゆく様を私は見続けてきた。いつから、それに慣れたのだろう。いや、慣れないからこんなことを続けているのかもしれない。

「葉桜?」
 クスリと笑う私を心配げに土方が見つめる。

「人の儚さを受け入れること、これが一番難しかったなー」
 自分が弱いことが、力があるのに扱えない幼い自分が嫌だった。すぐに終わってしまうことが怖かった。でも、残されることが、一人になることが、なによりも怖かった。父様と何度もみた花火は、また一人になったら見られなくなった。

 変わったのは、新選組に入ってからだ。ここでは私をひとりにさせてくれないおせっかいばかりで、どんなときも私は誰かと一緒にいた。だから、またこうして落ち着いて花火を見られるようになった。

「今は好きですよ。ここにいれば、一人じゃないってわかるから」
 夜空に弾けるこの音は、失った者達の励ましの声と似ている気がする。諦めるなと力強く、囁いてくれるのは父様と昔のあの人だ。

 夜空に弾ける大輪の鮮やかな華がはじけては消えてゆく。それをぼんやりと見ながら、私は過去に思いを馳せる。

「……ただ、今日だけは特別なんです。大勢で見るより、こんな風に一人で見るほうがいい。そのほうが」
 彼らに逢える気がするから。

 土方が隣で動揺したかと思うと、急に腕を掴まれた。女性の扱いに慣れている土方とは思えない加減の無さに、私は隣にいる土方を不思議に見つめた。

「なんですか、土方さん?」
 痛いですと表情を変えずに抗議すると、掴む腕が緩んだ。

「すまねぇ。葉桜が消えちまいそうで、な」
「ははは、消える?私が?」
「笑い事じゃねぇぞ」
「はー、心配しなくても、消えやしませんて。やることもまだまだありますからねー」
 土方の手を振り払い、私は庭に降りる。ゆっくりと歩いて、くるりと振り返ると、土方も庭に出てきたところだ。

「とりあえず、もっと良い場所に移動しましょうか」
「屋根は許可できねぇからな」
 近づいてきた土方は私の前で眉間の皺を増やす。

「あれ、なんでわかったんですか?」
「………」
「ちょっとぐらいなら大丈夫ですよー」
 屋根から飛び降りた事件なんて半年以上前のことだから、土方はとっくに忘れていると思ったのに、何故覚えているのだろう。

 私が首をかしげていると、背後で、高く花火の昇る音がして、ドンという音とともに私は土方の胸に引き寄せられた。続く花火の音にかき消されないように耳元で土方が囁く言葉を聞きながら、私は目を見開く。

「新八から聞いている。だから、それ以上無理なんてするな。危なっかしいんだよ、葉桜は」
「っ!」
 私が勢いをつけて、土方の胸を押すと、直ぐに離れてくれた。

「土方、さんは、私を誤解してる。私は心配されるに値しない人間だ。それぐらい、自分でわかってる。私は……、私は私のために新選組にいるだけなんだよ」
 急に私の心に踏み込んでこようとする土方に、私は怯えていた。ただでさえ、ここには私が頼りたくなるような者が多いのだ。距離を保とうとしても、皆勝手に私の中を引っ掻き回していく。守らなければならない者たちに、守られたくなってしまう。

 土方が近づいてくる様から、私はすぐに後ずさって距離を取る。視線は真っ直ぐに、土方を見据えたまま、外すことが出来ない。

 どん、とまた花火が上がる音がして。花火に照らされた土方は、何故か聞き分けの無い子供を見るような優しい目で私を見ている。

「葉桜」
 私を呼ぶ土方の低い声が、私の心に手を伸ばしてくる。優しくなんてしないで欲しいのに、甘えたくなってしまう弱い自分が手を伸ばそうとするのを、私は意志の力で捻じ伏せ、土方に強く微笑んでみせた。

 花火の音に併せて、私も口を開く。伝わらなくていい言葉だけを、音に紛れさせる。

「なんだって?」
「さて、ね。じゃ、私は皆が帰る前に、風呂で花火見物でもしながら飲んでますんでー」
 逃げるように立ち去った私は、土方のため息を聞かなかった。聞きたくなかった。

 湯船に浸かり、手酌で飲みながら、私は小さな窓から空を見る。そこからは花火は見えず。ただ星だけが瞬いているばかりだ。音だけが、花火を伝えてくれる。

「ーーおもしろうてやがて寂しき花火かな、か。ふふっ」
 湯面をちゃぷんと揺らし、私は心を隠して小さく笑った。





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