幕末恋風記[追加分]

□文久三年水無月 01章 - 01.2.2#酒の妙薬
1ページ/3ページ


 壬生浪士組という場所は私にとって妙に居心地が良くて、慣れるのに一日もいらなかった。その理由の半分の半分は近藤のおかげかも知れないし、その更に半分は認めたくない人の存在で、残りの半分の半分は今一緒にいる居心地の良い者達のおかげだ。

「よくあんな店知ってんなァ」
 満腹の笑顔で半歩前を歩く永倉が腹を叩く。

「旨かろうよ」
「へへ、おごってもらって悪いな」
 並び歩く苦笑いの原田に、私も苦笑いを返す。

「土方さんらには内緒だよ?」
 会津藩お抱えと聞いていたが、どうやら禄もない浪士の寄せ集めらしい彼らに、おごりを買って出たのは私のほうだった。もちろん状況の把握のためとかそういった理由もあるにはあるが、一番の理由はこの二人が特に気が合うからだ。おかげで彼らが江戸に出てくるまでの顛末を聞かせてもらえたことは、私にとってかなりの収穫となった。

「で、葉桜はあといくら持ってんだ?」
 にやりと人の悪い笑顔で問いかけてくる二人には悪いが、これ以上おごるつもりはない。

「ないよ」
「そんなわけねぇだろ」
 支払いの時にちらっと私の財布が見えたらしい二人は、食い下がってくる。

「ちーっとだけ貸してくんねぇ?」
「ははは、駄目だよ。これはーー」
 軽い足取りで二人から距離を取りつつ振り返った私の隣を二、三人の子供が何かを手にしながら笑い声を上げて、駆け抜けて行く。微笑ましく見送ってすぐ、子供らの手にしていたものを目にした私は思わず足を止め、呆然としていた。

「もーらいっ」
「どした?」
 原田に空の財布を奪われたまま、まだ明るい道を遠ざかってゆく子供らの後姿に私は目を細める。あんな風に無邪気にしていられたのはいつだったかと考えかけ、頭を振る。

「葉桜?」
「ち、カラか」
 人の財布を逆さに振って文句を言う原田からそれを奪い返し、懐へしまいながら私は歩き出す。後をついてくる二人の訝しげな視線を感じるけれど、いくら気が合うといったってまだ話せることではない。

「おい、どうしたってんだよ」
「懐かしいなぁ、って思ってさ」
 ずっと昔のことのように思える子供の時分、何も知らずにいられた心愉しい時間を思い出し、私は自然と笑みを浮かべる。

「実家の道場に、絵の上手な食客が泊まっていた時分のことを思い出してね」
「へー、書生かなんかか?」
「いいや、剣客さ」
 目線を上にあげると同じ時間を思い出す。

「おまえ、絵が上手いな」
 道場で父が門下生の稽古をつけている間、私は暇だったのでよく「彼」の部屋に出入りしていた。「彼」は面倒がってなかなか外で遊んでくれなくて、昼の穏やかな光差し込む部屋の中で、私によく絵を描いてくれた。

「葉桜は下手だな」
「そんなことないだろ」
 対抗してべたべたと私も描いたが、彼の言うようにどうも思うように描けない。だけど、それを認めるのは悔しくて、部屋中を埋め尽くさんばかりに私は絵を描いた。

「どうだっ」
「あー上手い上手い」
「ちゃんと見ろっ」
「見てるぜ、ちゃんと」
「うそだ、おまえ目を瞑っているではないかっ」
「……うっせぇガキだな」
 そういっていつも寝たフリをして逃げられたことを思い出し、自然と口角が下がる。

「なに一人で百面相してやがる」
 いきなり後ろ頭を叩かれ、私は永倉に抗議の目を向けた。永倉は何故か私を優しく笑っている。

「葉桜はイケる口だよな」
「へ?」
「聞いてやるから、今夜俺らの部屋に来い」
 実は若衆だけで飲むんだと聞いて、私は少し瞬きをしたあとで軽く笑った。

「土方さんや芹沢さんに見つかったらやばいんじゃないか?」
 前者は説教込みで取り上げられ、後者は酒の匂いで取り上げられる。私がそう言うと二人の男はにやりと笑った。

「心配すんなって。そんなことより来るのか来ねぇのか、どっちだ?」
 さて、と私は少しばかり思案のフリをする。

「むさ苦しい男に囲まれての酒盛りはつまらんなぁ」
「そういうなって」
 肩を組んでこようとする原田の手を跳ね除ける。純粋に仲間として誘っているのはわかるが、他のものにどうこう言われるのも困る。

「実はな、ちっとオメーに尋ねたいことがあってよ」
「なんだ?」
「こんなところで言う話じゃねェから、夜に俺らの部屋まで来いっつってんだよ。いーか、土方さんや山南さんらには絶対言うなよ」
 なんだろうと首を傾げつつも私はこくりと頷いた。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ