幕末恋風記[追加分]

□文久三年葉月 02章 - 02.3.2#剣先の相手
1ページ/3ページ


 私が上げた視線の蒼天上を、ゆっくりと真っ白い雲が流れてゆく。のんびりとした雲の流れは、過ぎゆく時間の流れを忘れさせてくれるから、私は好きだ。遠き日と同じ夕影に心を任せて、庭木に紛れて座り、両腕をだらりと落としたままで、私はぼんやりと天を仰ぐ。

「昼間から飲むのも、たまには、いいですね」
 私が近寄ってきた相手を見ないでいると、隣にどかりと座る気配がした。普段よりも落ち着かない気を漂わせながら私の手に重ねる沖田の手からは暖かさが流れ込む。沖田がほろ酔いというほど軽い酔い方でないのは、先ほどまで芹沢の部屋で鈴花と一緒に、芹沢の酒の相手をしていたからだろう。

「たまにだったら、な」
 沖田が呑むに対して、私が別段とやかくいうほどの事でもないし、なにかあっても芹沢の一声でおさまるのもまた事実だ。

「たまには、一緒にいかがですか?」
 沖田の妙な切り返しに、私は小さく息を吐く。

「……沖田、仕事は」
「お酒を飲んで仕事なんかしたら、土方さんや斎藤さんに怒られますよ」
 近藤は入らないんだな、と私の中をどうでもいいことが通り過ぎる。

「そういう葉桜さんは」
「今日は非番だったから、な」
 相変わらず私の目の前の空を流れる雲はゆっくりだが、吹いてくる風はそれよりも強めだ。ふわりと風に流される自分の髪が前に落ちるのを、私は空いた手で避ける。

「葉桜さんはいつからここにおられたのですか」
 手が冷たいですよと沖田に笑われて、私はようやく視線を空から地面へと落とした。

 私は非番の日は普段なら散歩に出て、京都市中をぶらついて過ごすのだが、今日は妙にそんな気が起きなかった。胸騒ぎがしたとかではなく、なんとなく出る気がなくて、誰とも会話をしたくない日だったんだ。私にだって、ひとりになりたくなることだって、ある。

「昼餉を食べたら眠くなって、用事を言いつけられるのも面倒で。まあ、まさか屯所内の庭で寝てるとは思わないだろうから」
「誰かから隠れていたんですか。それとも、芹沢さんを監視するためですか」
 私の言葉途中での沖田の陳腐な問いかけに、私は短い笑いを零す。

「監視してどうにかなるか、あれが」
 自分でも思いもよらないほど、吐き捨てるように私の口から言葉が出てきた。芹沢を憎んでいるつもりも、本心から嫌悪しているわけでもないのに。

 私が自分の発言を誤魔化すべきか否か迷う間に、小さな沖田の笑いが耳に届く。

「てっきり葉桜さんも来ると思っていましたよ」
 沖田がどうしてそう言うのかは、言われなくとも分かっていた。沖田と鈴花が芹沢の部屋へ行く前、私はここで鈴花が芹沢に意見しているのを見ていたのだ。以前にも私が見ていないときに同じようなことがあったというが、今だって、いざという時には鈴花を守る準備が私にはあった。

 ただ、極力出て行きたくなかったのも事実なので、沖田の助け船に甘えて放置した。私では今、芹沢に対して、冷静に対処できる自信がないから。

「沖田が行けば充分だろう」
「葉桜さんは最初から見ていたんでしょう?」
 ここの位置なら一部始終が見えていたはずと指摘され、私が答えずにいると沖田に強く手を握られた。

「痛いよ、沖田」
「何故ですか」
「手を離してくれ」
 沖田が強める力に抵抗せず、私は瞳を閉じる。

「葉桜さんが芹沢さんにだけ、何も言わないのは何故ですか? 彼は葉桜さんの志ーー誠からすれば、」
「言うな、沖田」
 続けようとする沖田から手を振り払い、私は立ち上がる。何でもない風を装い、私が袴の埃を叩いて落としていると、同じく立った沖田が腕を引いた。落ちる陽に染まる沖田の真っ直ぐな眼差しはひどく眩しくて、私は風の強さに気圧されたフリで目を細める。

「芹沢さんは葉桜さんにとって、何なのですか?」
 沖田からの問いかけを自問しても答えは出ない。否、私は出すつもりもない。

「上役だ。沖田にとっても同じだろう」
「今は、そうですね」
 今、を強める沖田を私は軽く笑い、乱雑に腕を振り払った。

「沖田は正直でうらやましいな」
「ありがとうございます」
 歩き出す私の後をついてくる沖田は離れる気配がない。そして、近寄ってきたときと同じく落ち着かない沖田の空気に心当たりもあるので、私はしかたなく立ち止まった。

 沖田は確かに鈴花を助けてくれたのだから、私からも礼をしなければならないだろう。

「道場に行くか、沖田?」
 私が背中で沖田の満面の笑顔を感じ取ったときには、軽く走り出した沖田に手を取られていた。

「早く行きましょうっ。葉桜さんの気が変わらないうちにっ」
 芹沢の部屋から漏れてきた気配からも、その後の庭での鈴花との会話からも、沖田が抑えきれない闘争を抑えていることに、私は気づいていたが、それにしたって沖田は喜びすぎだ。

「おい、流石に自分から誘っておいてそれはないぞ」
「あったじゃないですか」
「そうだったか?」
 私は手を引かれながら橙の夕空を見上げる。天高く流れる雲が悠々と泳ぐ空は遠き日と同じで、自分も沖田のような時分があったなと思い返す。立場違えど、過去と同じ光景を思い出した私は、沖田に手を引かれながら、また小さく笑った。



.
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ