幕末恋風記[追加分]
□文久三年葉月 02章 - 02.3.3#いるはずのない人
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私はいつものようにふらりふらふらと町歩きをしていた。数日続く晴天というだけで私も気分が良いし、町は平和で活気がある。一人で歩いているだけで、その空気に触れているだけでも私はなんだか嬉しくて、笑みがこぼれる。
数年前までは、同じ町ではないけれど、共にそうして歩く人がいた。私にこの町歩きの楽しさを教えてくれたのもその人だ。
「葉桜?」
巡察中らしい永倉率いる二番隊と行きあい、私は軽く手を挙げて返す。
「お勤めご苦労さん」
「おめェはこんなとこでなにしてんだ?」
「んー、散歩?」
じゃあなと別れてからもふらふらと店先で冷やかしたり、小間物屋で綺麗な財布を物色したり。
そんな風にふらふらと歩いていた私は、ふと道ばたで立ち止まり、振り返った。雑踏に覚えのある香りがあった気がしたからだ。
(そんなはずは)
私は自分を否定し、再び歩き出す。しかし、数歩先で自分の意思に反して、私は踵を返してしまった。
夢を求めるように、幻を願うように、微かとなった香りを追いかけて、私は走っていた。
(そんなはずは)
あるはずがない、いるはずもないとわかっているのに確かめずにはいられなくて、私は周囲を見回す。
「なにしちゅう?」
背後から問いかけてくる才谷の声で私は我に返り、拳を握りしめ、唇を強くかんで、何も言わずにその場を逃げ出した。
(そんなはずは)
一目散に屯所へ戻り、布団を被って、私は我が身を強く抱きしめる。
(そんなはずない)
今、私を捕らえていたのは恐怖でなく、逢いたいとただ希う、恋慕の情で。叶うはずのない願いとわかっているのに止められなかった。
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