幕末恋風記[公開順]

□(文久三年水無月) 01章 - 01.1.1#見た目と中身
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「我々、壬生浪士の名をかたり金策を企てた不逞浪士の輩を斬ったそうだな。皆、その調子で頑張ってくれ。商売敵が増えては我らへの献金が減って困るからな」
 風に乗って流れてくる嫌いな男の耳障りな高笑いに、私は顔を顰めた。

「なにあれ」
「え、あぁ。葉桜さん、おかえり」
 私が呟きながら屯所へ戻った際、私を見つけた井上が苦笑する。芹沢はいつもあんな感じで、こんなことが日常茶飯事となりつつあるというのは、とても問題だと思う。一体ここに何しにきたのか、あの人は本分を忘れているのではないだろうか。

 先日の大阪のことだってそうだ。大阪市中見廻りにいったっていうのに、幹部のほとんどと鈴花を連れて、舟涼みに行ってしまったと土方が眉間の皺を深くしていた。土方の皺が深くなろうが知ったことではないが、大事な鈴花をそんな風に勝手に連れていかれるのは気にくわない。

「あの、葉桜さん?」
「なんですか?」
 極上の笑顔で振り向くと、井上は怖い顔をしていると笑われる。井上源三郎ーー芹沢と近い年齢ながら、この人はこの人で山南とは別の意味で、そばにいて和ませてくれる人だ。顔を洗ってきますと、井上の側を離れて私は井戸へ向かう。

 汲み上げた冷たい水を両手で掬い、顔につける。それを数回繰り返し、私は頭を振った。

「……っ」
「あ、ごめん」
 後ろにいた誰かに髪の毛が当たったらしいと気がつき、振り返ると、斎藤が顔面を左手で押さえている。

「斎藤、さんか。ごめん、気づいてなかった」
 斎藤一は寡黙な男だ。だが、口にはしなくても気配や瞳で彼は雄弁に語る。

 私に対して斎藤は何を言わず、懐から手ぬぐいを取り出し、差し出してきた。よくわからないけれど、とりあえず私は受け取っておく。

「拭け」
「え?」
 私の疑問に応えることなく、そのまま歩き去ろうとする斎藤の袂を、私はとっさに掴んでいた。怪訝そうに振り返る斎藤に、もう一度問う。

「確認するけど、手ぬぐいを渡すためにそこにいたの?」
「違う」
 即答し、結局そのまま逃げられた。意味が分からない。おそらく、顔を拭けと言ったのだろうけど、手ぬぐいならちゃんと自分のを持っている。胸元のこれが見えなかったのだろうか。

 少し考えて、私は斎藤には見えなかったのかもしれないと思い直した。斎藤は右目側の髪を少し長めに伸ばしているからほとんど見えないはずだし、左側は私の髪が当たったみたいだし。

 せっかくの好意を無にするのもなんだし、と私はそれを使うことにする。

 井戸端に座って、顔を拭きながら、私はふと空を見上げた。実家の道場を出てきたときと同じ真っ青な青空に目を細める。

 時々こうして思い返す。弟はどうしているだろうかとか、母は元気だろうかとか、通ってきていた子供達はどうしているだろうか、とか。それでも帰りたいとは思わない。あそこは自分がいなくても大丈夫だと知っているから。殿様は少し頼りない藩だけど、それでも蔑ろにはされない場所だ。そうそう窮地に落ちることもない。

 かといって、ここに思い入れが深いわけでもない。まだ来たばかりで何もわからない。懐から、ここにくる原因となった紙を取り出し、開いてみる。

ーー文久三年、葉月。新選組誕生。

 もう少しでその月が来る。なにがあってそうなるのかも書いてある。ただ、話せないだけ。その名を呟くこともできない。

「しっ……けほっ……ははっ、またご大層な名前」
「なにがだい?」
 空に翳しながら見ていた私は声をかけられて、そのままのけぞりそうになった。腕を引かれて間一髪、誰かの腕に収まり助かる。また頭ぶつけるところだった。

「あっぶなーい……」
「本当に、気をつけないといけないよ」
 声をかけたのも助けてくれたのも同じ人物、山南だ。見た目は華奢な感じなのに、こうして腕の中にいると意外とがっしりとした体つきをしているのがわかる。見た目は学士だが、やはりこの人も剣士だ。この壬生浪士組の総長なのだし、小野派一刀流の免許皆伝を持ち、北辰一刀流の使い手でもあるのだから当然とも言える。

 しかし、普段との格差が大きくて私は少し動揺した。

「あの、葉桜君?」
「はい」
「そろそろ、離してくれないかな」
 体つきを確かめるためとはいえ、私はついしっかりと抱きついていた自分にやっと気がついた。初日に会ったときの山南は平静で崩れなかったが、今はもしかすると相手もかなり動揺しているのかも。そう思うと楽しくなってしまって。

「イヤですっ」
 もう一度強く腕に力を込める。女の力じゃどうにも敵わないので結局引っぺがされたけど、赤面する山南さんをいう貴重なものを見れたから、私は満足だ。可愛いと言ったら、からかうんじゃないと怒られてしまった。

 どうしてだろう。今日みたいな綺麗な青空と山南を合わせてみると、ひどく切ない気持ちになる。それは、未来を知っている故の痛みだと原因をわかっていても、問わずには居られない。助けられなくても、彼のためには何かをしてあげたいと思っている。

 一覧の最後に、できるなら、と、小さく書かれた名前。震える筆跡がどうしようもないのだと諦めていた。どうしようもないことをどうにかするのが、自分の役目。だから、自分はここにいる。

「山南さ」
「おい、葉桜。ちょっと来てくれ」
 土方は時々見計らったように私へ声をかける。なぜ今なのかと問いかけても、意味がわからないと返されるだけだ。しかも今日は言い逃げられた。私の都合はお構いなしか。

「じゃあね、葉桜君」
 そして、山南にもあっさりと逃げられて。私はどうすりゃいいんだ。とにかく土方の部屋に向かうしかない。

 絶対、意地でも助けてやるんだから。と、私は土方の部屋の前で決意を固めた。

「何してんだ、さっさと入れ」
 頼まれ、交わした「約束」はどんな方法を使ってでも押し通す。それが、私のやり方だから。

「負けないんだから」
 小さく呟く私を土方が怪訝そうに見ていた。



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