幕末恋風記[公開順]

□(文久三年水無月) 01章 - 01.4.1#火事騒ぎ(追加)
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(近藤視点)



 触れれば斬り殺されそうな殺気を放っている人物がひとり、いらいらと俺の部屋で座っていた。約ひと月前に入隊した女性隊士、葉桜君だ。

 見た目は女とも男ともとれる女性だが、なかなか腕は永倉くんやあの総司に張るというのだから、大したものだ。だからといって、それを誇るでなく、弱いものにも強いものにも別け隔てなく、ただ信念のままに動く葉桜君は見ていて羨ましいほど真っ直ぐだ。

 そんな彼女がこの場を飛び出して、ある場所へ向かうのを俺が留めている理由は、たった一つである。

「あのさー……」
「なんですか」
 葉桜君は気を使っているのか笑顔で返してくれるが、抑え切れていない殺気の前ではそれは怖いばかりだ。もしこの場に葉桜君が可愛がっている桜庭君がいたら、桜庭君は何が何でも逃げ出していただろう。

 そんな状態の葉桜君だが、つい先程のことを考えれば、俺は葉桜君を今、自由にするわけにはいかない理由があった。

 こうなった事の発端は、昨日の火事である。非番で郊外まで出掛けていた葉桜君は戻ってくる際にそれに遭遇し、炎の中から家人を幾人も助けたそうだ。行動は無茶だが、おかげで今回の騒動は葉桜君の大活躍ということで幕が引かれた。

 これだけならば美談で済んだ話だが、問題はその火事を起こしたのが誰あろう、芹沢さんだという事だ。戻ってきた葉桜君はその噂の真相を確認すべく、俺たちの所に来たらしい。その上で、機会悪く俺とトシの会話を聞いてしまった。

「なぁ、トシ。あれって結構やばくないか?」
「ああなるとただの犯罪だな」
「まいるよなぁ、まったく」
 そんな会話をトシと二人で、のんきにしていた処へ葉桜君は遭遇してしまったわけで。

 その時のことを思い出すだけで、俺は胸が透く思いだ。なんでこの子は、ああも気持ちよく局長室の障子を開け放つのかね。スパーンと背中で勢い良く開かれたときは、もう心臓が止まるかと思ったよ。

「葉桜君」
「なんですか」
 さっきからこんな笑顔ながらに刺のたつ調子では、いくら俺でもどうにも話しにくい。

「話が無いなら、芹沢さんを殴りに行かせてください」
「だから、それはだめだって〜」
 俺は立ちあがろうとする葉桜君の腕を引いて、留める。もうさっきから何度こんなことをやっただろうか。

 たしかに今回の大和屋の火事は大事だ。葉桜君のおかげで壬生浪士組の評判が一気に悪くなるということは避けられたが、次にまた同じようなことがあればどうなるかは想像に難くない。

「たまたま私が早く帰る気になって、あちらの道を選んでいたから良かったですけど、通りがからなかったらどれだけの人が死んだと思っているんですか。なんなんだよ、自分がどれだけ偉くなったっていうんだよ! 何もできないくせにっ、何も、わかってないくせに!!」
「はいはい、落ち着いて」
 話しながら興奮している葉桜君は、俺が気になる言葉を数々吐いてはいるが、今つっこんでも逆上させるばかりだ。先程逆上されたばかりだ。

 葉桜君の握り込みすぎて白くなる手を取り、俺はゆっくりと開かせる。案の定、葉桜君の掌には爪の後がしっかりとついているし、所々には血も滲んできている。

「とにかく今回は葉桜君のお手柄で誰も死ななかったし、大事に至らなかったんだからさ」
「だからって!」
「芹沢さんを殴るのはやめておいてよ。葉桜君がいなくなったら、桜庭君が悲しむよ」
 いくら葉桜君に人望や信用があっても、芹沢さんに殴りかかったら葉桜君の方が返り討ちに遭うのは目に見えている。芹沢さんはただの筆頭局長というわけでなく、実力の意味でも壬生浪士組では頂点に立っているのだ。俺やトシだって、サシで勝てるかどうか怪しい相手で。ここに来る前に葉桜君が昏倒させたという話を聞いて入るが、おそらく芹沢さんに酒が入っていたせいというのが俺の見解だ。泥酔でもしていないかぎり、葉桜君に勝ち目はない。

「俺だって、葉桜君がいなくなるのは哀しい」
 壬生浪士組に面接に来たときから芹沢さんに食ってかかり、トシにも物怖じせず、自らの信念で真っ直ぐに生きている葉桜君は、俺から見てもとても気持ちいい人だ。かといって、芯から真面目というワケでもなく、隊務の時は怖いぐらいに頼もしく、羽目を外すときは男女に関係なく騒ぐ。でも、どこか人を気遣う気持ちを忘れないという、よく出来た葉桜君だけれど、俺には時折どうしようもなく儚く消えてしまいそうに見える事がある。

 今回の火事の件だって発端に過ぎない。話によると、葉桜君はもし自分が死んだらなんて考えもせずに火の中に飛び込んでいったという。躊躇いも迷いも持ち合わせていないようだという話を聞いて、俺はますます葉桜君という人が怖くなった。自分の命を顧みないというのは凄いけれど、だからといって、葉桜君の行動は行き過ぎていると思った。

「助けたい気持ちはわかるけどさ、あまり無茶はしないでくれよ。もっと自分を大切にするんだ」
「……近藤さん」
 桜庭君の名前を聞いて、少しばかり落ち着きを取り戻した様子の葉桜君が、泣きそうな少女の顔で俺を見上げてくるので、俺は少しばかり胸が高鳴った。

「無茶じゃありません」
 わかってない。葉桜君は可愛い顔して、まったくわかってない。

「あーのーねー」
「私は、」
 何かを言おうと、葉桜君が口を開く。でも、その先は音も出てこなくて、葉桜君は苦しげに咳をして、忌々しげに舌打ちする。

「ごめんなさい、まだ話せないみたいです。でも、これだけは信じてください。私はーー」
 口は動いたけれど、やはり葉桜君の声は出なくて、俺は口の形だけで判断するしかなかった。

 落ち着いた葉桜君が部屋を出て行った後、俺は考える。その、意味を。

「芹沢さんを助けたい、か」
 一体、芹沢さんと葉桜君はどんな関係なのだろう。



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