幕末恋風記[公開順]

□(文久三年葉月) 02章 - 02.1.1#桂小五郎
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 人が張り切って仕事をしようとしている時には出会わなくて、休もうとしているときに限って、どうしてこんなのに出会ってしまったのか。よほど、私の運命ってヤツは私に仕事をさせたいらしい。

「読書中、失礼するよ」
 巡察上がりに、邪魔の入らない壬生寺の境内裏手でお茶を飲みつつ、山南に借りた書を読んでいた私の元に、一人の客人が訪れた。なんでそんな場所にいたかというと。

「葉桜さ〜ん!」
「げ」
 沖田の声で私は慌てて本殿に逃げ込む。男も着いてきているが、この際仕方がない。見つかったが最後、沖田の気の済むまで、私は稽古の相手をさせられる。

「あれー? 桜庭さんにここにいるって聞いたんだけど、いませんねぇ」
 沖田はこちらにわざと聞こえるように言っているとしか思えないが、私は気配を消して、様子を窺う。

「仕方ありません、次は絶対相手してくださいよ」
 その台詞はどう考えても私がいるということに気がついていて、隠れているのを引っ張り出す気はないといっているが。全部わかっていてやっているあたり、全くとんでもない天才剣士様だ。あんなのの稽古相手なんてしていたら、こちらの命がいくつあっても足りやしない。完全に沖田の気配が消えてから、私は胸を押さえて、やっと一息ついた。

「珍しい物を読んでいるね」
 一間も離れていない距離で、つまり隣で聞こえる澄んだ男声に、私は状況を思い出す。そうだ、こっちもあった。

「なんであんたまで隠れてんだ?」
 戸を閉めてしまったおかげで、暗くて男の顔はよく見えない。僅かに差し込む光に私は目を細めてみるが、よくわからない。男の声を私はどこかで聞いたことがあるような気がするが、思い出せない。

「私も少々人に追われていてね。美味しいお茶とお茶うけだな」
「あ、勝手に飲むな! 食うな!!」
 折角鈴花が作ってくれた白玉団子だというのに、勝手に食われたと気づいた私はやむなく思考を中断した。この男はなんで遠慮もなく人のお茶を取りやがるんだ。

 男は私の持ってきたお茶を飲み、白玉団子を食しながら、私の読んでいた書に目を通している。それもわずかに差し込む光を使って、だ。あまりにその集中している様子に、私は声をかけるのを諦めて、結局本殿を出ることにした。

 両腕を高く伸ばして、ついでに外の空気を深く吸いこむ。本が読めないなら、ここで出来ることは昼寝か鍛錬ぐらいしか残らない。昼寝しようにもその場所には男が書を読んでいるから、叶わない。だったら、と私は境内に降りて、適当な場所で立ち止まった。

 両目を閉じると、ひゅぅと風の音が耳元を駆け去る音が大きく聞こえる。風が連れてくるのは、遠くで交わされる平和の声たちで。後はただ、昼の穏やかな静寂だけが広がる。

 私は余計な考えを捨て、対峙する仮想敵を考える。こうする時、常に出てくるのは昔の芹沢だ。あの頃の決して敵わなかった面影を追いかけ、血豆が出来るほどに私は練習した。そして、今の私がいる。

 芹沢のおかげといえば聞こえは良いが、結局の所私は単にからかわれていただけだった。ここに来て、それを思い知らされるのが思い返す度に悔しくて、奥歯を強く噛んでしまう。

(どうしてなんだ。あんたは全部、忘れてしまったのか?)
 ただ考えても答えが出るわけもなく、私はこうしていても苛立ちが募るばかりだ。

 結局何の応えもないまま、私は心を無理矢理に納め、構えを解いて、本殿の正面で胡座をかく。

 両目を閉じて、私は呼吸を整える。何か、別なことを考えないと、もう苛立ちで私自身がどうにかなってしまいそうだ。

 無心になって、もう一度音を聞く。何も考えるなと自分自身に言い聞かせ、私はただ静寂の音を聞く。

「すまないね。なかなか興味深かったもので、すっかり長居してしまったようだ」
「あ」
 耳の側で男の声が聞こえ、私は目を開けたと同時に、思い出した。

「……あんた、桂小五郎、か」
「ん? 私を知っているのか」
 仕事を忘れていたワケじゃないし、土方らの苛立ちも私は知っている。だが、今彼を捕まえると長州が暴走することもわかっている。

「ああ、まだこんなところにいたんだ。とっくに京から逃げていると思った」
 隊士としては捕らえるべきなのだろうが今は休憩中だし、長州に暴走されると今は面倒になる。

 私は大人しく書だけ受け取り、桂には言葉を返すだけにした。

「その本、面白かったんだ?」
「ああ、君のような女性が好むというのも意外でいいね」
 桂は聞いてない答えを返してくる。

「そっか」
 面倒事は仕事以外じゃ歓迎しない。あとで土方に怒られるかもしれないけど、私が怒られて終わるなら、それでいい。私は書の趣味の合う男を敵にしたくはない。

「もうそろそろここに沖田が戻ってくるし、その前に消えた方がいいかもよ?」
 私が受け取った書を開き、読みかけの部分を探していると、桂からは小さく笑われた。次いで、子供にするように、桂は私の頭を軽く叩く。

「助かるよ。君とはまた会いたいね」
「次は見逃さないよ」
「ははは、そうか」
 桂が居なくなった後を見計らったように、案の定沖田が戻ってきた。私はもう読む気のなくなった書を置く。

「遅かったな、沖田」
「稽古に付き合ってくれますよね、葉桜さん」
「ああ」
 沖田からは言外に、口止め代わりにというのが聞こえるようだ。流石に誰がいたかまではわからないだろうが、逢い引き現場に遭遇したとは考えたかもしれない。

 誤解されても別に構わないけど。

 私は書とカラになった湯飲み、それに白玉団子の乗っていた皿を持って、境内を後にする。桂は全部食べて、全部飲んで、全部読んで行ってしまった。

「……読むの速いな……」
「そうなんですか?」
 隣を歩く沖田はこれからの稽古を考えて沸き立つ心を抑えきれない軽い足取りで、笑いを堪える声で聞いてくる。私はただ、別に、とだけ返し、子供らしい沖田を小さく笑った。



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