幕末恋風記[公開順]

□(文久三年葉月) 02章 - 02.4.1#必要のない自覚
1ページ/3ページ


 淡い薄空色の着物に濃紺の帯を締め、臙脂の風呂敷を胸に抱えて、私は町を急ぐ。こんな女姿だけに私の髪型も普段の雑なまとめ方ではなく、きちんと髻を結って、簪を挿している。時折、簪から軽やかな鈴の音が鳴るのは風が私に吹き付けてきたときだけなのは、不自然かもしれないなと私は小さく口端をあげた。遠目に見ると、宮家か公家者と見えるのか、普段なら町歩きの私に声をかけてくる者たちもこちらを見るだけで近寄ってこない。

(やっぱりやり過ぎじゃないの、山崎)
 私は心の中で歎息していても足の運びは変わらず、とにかく先へ進むことを優先した。途中、何度か私にぶつかるふりをする浪人もいたが、構うのも面倒なのですり抜けてきたし、道を変えて撒いたりもした。とにかくこの格好は面倒が多いし、周囲の反応も気持ちが悪いから、私は好きではない。

(早く用事済ませちゃおう)
 どうして私がこんな格好をしているのかと言うのを端的に言えば、山崎との賭けに負けた罰ゲームだ。賭けの内容は実に下らないのだが、負けたら勝った方のいうことを何でも聞くという条件だったせいで、今、私は女装にこだわりのある山崎の手で着飾られ、とある店に向かっているのだった。道の向こうで烏が環を描いて飛んでいるのが、私の視線の先に写る。これが私への目印で、なければ私に目的地まですんなりと辿り着けはしない。

 烏が軒先に止まるそれなりに大きな店の前で、私は息をつく。

 私が暖簾をくぐり、店内に入ると、ここに来るまでと同じような視線を感じてしまって、やはり居心地が悪い。しかも、どうしよう。こういうところって来たことないから、私はどうしたらいいのかわからない。

「あの〜」
 とりあえず、私は笑っておくことにした。

「山崎さんからこれをお預かりしてきたので、確認していただけませんか?」
 私が風呂敷を差し出すと慌てたように番頭がやってきて、風呂敷を受け取り、かと思えば女性が私を案内をしてくれる。

「山崎様のお知り合いどすか。どーりでお綺麗や思いましたわ」
「うちはまたどこのお姫さんがいらしたか思うて、どきどきしてしまいましたわ」
 口々の女中らの言葉に、私もげんなりと心中で口を曲げる。「おひいさん」て言われても、私は着物を買いに来たわけでもないから、もう帰りたい気分だ。

「お名前を伺っても宜しおすか?」
 ニコニコと番台から人の良さそうな笑顔の男が、私に問いかけてくる。

「はい、葉桜と申します」
「葉桜様はどのような着物がお好きですか?」
 さっさと済ませてしまいたい私は、何も考えずに受け答えする。

「あまり気にしたことはありませんけど、青っぽいのが」
 とたんに私の辺りに反物が集まってきた。買いにきたわけじゃないんだから、本当にもう私は帰った方が良さそうだ。

「あの、私の用事は山崎さんのお届け物だけですので」
「その山崎様からお見立てを言付かりまして」
 番頭の言葉に、私は笑顔を作るのも忘れて、眉を寄せた。

「一着差し上げてからお返しするように、と」
 呆気にとられる私の前にひとつの反物が広げられる。

「なぁなぁこの色なんてどうや?」
 それに重ねるように別の反物が広げられ。

「そんな下品な色は似合わんと違います? こちらの睡蓮なんてよう似合う」
「空気が凛々しくあらはりますし、この白梅なんて」
 目の前で勝手に繰り広げられる色彩の乱舞に、私は眩暈がする頭を押さえた。山崎め、帰ったらとっちめてやる。

「葉桜様はどんな柄がお好きでいらっしゃいますの?」
 そんな決意も目の前の反物と勧めてくる女中らを前にしては、さすがの私も薄らぐ。あきらめるとかそういう問題ではなく、本当にもう、その前に決めるまで帰してくれなさそうなここから誰か助けて、と私は出入り口へと顔を向けた。
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ