「灯籠流し」

□灯籠流し1
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 寒さに身を震わせ、目を覚ます。
 元々闇で目覚めた視界にはその場所が仄明るく見えた。
 板張りの部屋は広く、道場のような場所だとすぐにわかったのは、かつて自分が学んでいたからだろう。
 もっとも喧嘩をするようになって破門されてしまったのだが。

 月明かりが小さな窓から差し込んでいて、寒さをさらに強調する。
 だけど、怖さも寒さも、どんな弱さも表に出すことは出来ない。
 ここがどこかもわからないのに、いやわかったとしても捕まったのならば逃げ出すだけだ。

 自分が服を着ていることを触れて確認し、ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
 闇の中でその火は赤く光ったが、すぐに消えた。
 火を点けて煙を吐き出す前にかけられた水音を覚えている。

「ちっ」

 舌打ちしたがもう一度点ける気にはなれず、濡れた髪をかき上げながら、その方向を睨みつける。

「道場内で煙草は厳禁です」
「悪かったな」

 水をかけてきたのは同い年ぐらいの女だ。
 あまり悪そうには見えないが、構うのも面倒なので、かすかに空いている戸口と思える場所から外へ出た。
 見覚えのない場所だがあまり気にはならない。
 かすかに吹いてきた風に身震いする。
 夏だというのに冬のように寒い。
 水を被ったせいだろうか。

 相手でもいれば、少し身体を動かして温めるのだが、いかんせん先ほどの女だけじゃ手に余る。
 それなりの身のこなしをしていたが、正攻法の武道なんてとうに捨ててしまった。

「どなた?」

 母の声に振り返る。
 だが、それは別人だった。
 いくら母が年若く見えても自分と同じぐらいに見えることなどないだろう。

 彼女は答えない私をどう思ったのか、急に気がついたように騒ぎ出した。
 騒ぐ声は不思議と煩くなく感じるのは、母の声と似ているからだろうか。
 だけど、内容が頭に入ってこない。
 自分は寝ぼけているのかもしれない。

「とにかく、来てっ」

 腕を引く力は思ったよりも力強く、そのままぐいぐいと引っ張られて庭側へと連れてこられる。

「お父さんっ」

 彼女の呼ぶ声で老人が顔を出す。
 彼は一瞬目を丸くし、だがすぐに近づいてきた。

「お嬢さん、早く入んな。
 この時期、そんな格好じゃ風邪引く」

 そういえば水を被ったばかりだった。
 だが、この時期というのはどういう意味だろう。
 何にせよ、理由もわからず厄介になるわけにもいかない。

 踵を返し、無言で場を後にする。
 なんといっていいのかわからなかったからだ。

「お、おい、待ちなって」

 なんだろう。
 頭がひどく重い。
 風邪でも引いただろうか。

(さっきの、今で?
 夏なのに?)

 肌を突き刺す冷たい空気に肌が泡立つ。
 こんなにも夏は寒かっただろうか。
 まるで冬のようだ。
 ぐらりと世界が揺れる気持ちの悪さに膝をつく。
 地震なのか、それとも揺れているのは自分自身だろうか。

「寒…」

 自分の声が遠く聞こえて、また暗転。
 ここに連れてこられる前に変な薬でもかがされたのだろうか。

「じーさんがいってたのはこいつか?」
「だと思うよ。
 ほら、みたこともない着物だし、水被ってるし」

 達海の声が聞こえたと思ったら、抱え上げられる。
 おせっかいが助けに来てくれたのだろうか。
 母は無事なのだろうか。

「このまま風呂に放り込めばいいのか?」
「う、うん」

 触れる場所が温かい。
 肉親以外で唯一、信頼できる人。

「…達海、兄ぃ…」

 大きな揺れの中でそのまま有栖は深く眠った。



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