「灯籠流し」

□灯籠流し3
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 数日経って、町も寝静まった頃、私は辰巳に呼び出された。
 暗い道場内で一人で待っているとあの夜のようで、苛ついても煙草を吸うわけにはいかない。

「ちっ」

 舌打ちして、ぐるぐると動き回る。
 そっと包み込まれるように、後ろから抱きしめられるまで私はそれに気がつかなかった。

「傷の舐め合い?
 上等じゃねぇの。
 代わりでも何でもいい。
 有栖、俺の女になれ」

 馬鹿なことを言っている男の腕を外そうともがく。

「今は確かに俺たちは死んでる。
 でもな、有栖がそのままでいいわけねぇ。
 死んでるのは俺だけで充分だ」
「馬鹿なこと言ってないで、離せっ」
「有栖は前に、自分を従わせることが出来るのは自分だけだって。
 俺も同じだ。
 俺を従わせられるのは俺だけしかいない」
「辰巳っ」
「力づくなんてしねぇ。
 有栖から必ず俺様が欲しいと言わせてみせる」

 顎を持ち上げて上向かせられ、唇が重なる。
 逃げだそうにも拘束は解ける気配もない。
 乱暴に口内を蹂躙され、力が抜ける。

「な…んの、つもりだ…っ」
「忘れるなよ、火を点けたのはてめぇだ」
「…わた、し…?」
「煙草も、やめろ。
 口寂しいなら俺にしとけ」

 無茶苦茶だ。

「一人で強がった振りなんかしても無駄だ。
 俺様と同じ場所に立ち止まったままなんて許さねぇ」

 何かを言うまもなく深く口づけられ、何も言えない、考えられない。

「てめぇにそんなのは似合わねぇ。
 絶対に生きて歩かせてやる」

 生きる?
 そんなの言われるまでもなく、生きている。
 後を追うことも出来なかった。

「余計な、こと、しないで…っ」

 世界は十年前に死んだのだ。
 生きている世界と明確に分かたれて、私は目の前の世界をまっすぐに見ることも出来なくなった。

 伝い落ちる涙をぬぐう温かさを無理矢理に振り払う。

「世界は…世界は死んだんだ!
 お父さんを連れて行って、全部壊れてしまった!
 そんな場所でいきてどうなる!?」
「でも、ここはおまえの父親が死んだ世界じゃない」
「違わない。
 私の、私の世界は…おとうさんがすべてだった。
 お父さんがいれば何もいらなかった。
 誰が死んでも構わない。
 生きていて欲しかった…っ」

 生きていて欲しかった。
 いなければ前が見えなくなるぐらいに大好きで、大切だった。

 歪む視界に映る冷静な辰巳を強く睨みつける。

「辰巳なんか嫌い!
 大嫌いっ!」
「…あのなぁ」
「お父さんのいない世界なんて、全部壊れちゃえばいいんだっ!」

 そのまま花柳館を飛び出した。
 走って走って途中で腕をつかまれ、転びそうになる。

「そんなに急いでどこに行くぜよ、有栖さん」

 その声で気がついた。
 でも、それも素早くふりほどく。

「ほっとけよっ!
 私に構うなっ」
「追われとるんか?」

 再び腕をつかまれ、引かれたのに対し、今度は力に逆らわずに向かって、その腹を強く殴りつける。

「あんたも、辰巳も、他の奴らも!
 なんで、なんでそんなに優しくするんだよっ!
 こんな、死んだ世界で生きてる私なんか構ったってしかたないだろ!?」

 歪んだ視界には何も見えない。

「私は…私は!」

 ひとりでなんて、生きられない。

「何があったかしらんが、まあ落ち着くぜよ」

 他の誰を頼る気もないし、頼られたくもない。
 だって、世界はあの日から止まってしまったのだから。
 父との約束さえなければ、とっくに死んでいた。

「…私は、生きたくないんだ。
 おとうさんがいなくちゃ、おとうさんじゃなきゃ、駄目だった。
 全部駄目で、何も、何も出来なくなる。
 何も見えなくなるっ」

 抱きしめようとする腕に抗う。
 だけど、この人は辰巳以上に力が強くて、無理矢理に抱きしめられて、息が詰まりそうになる。

「落ち着くぜよ、有栖さん」
「…あの日から、目の前がずっと、暗くて、怖くて…」

 ずっと、ずっと泣きたかった。
 でも、母が気丈に笑ってくれるのに、どうして自分が泣けるだろう。

「なんちゃーがやない」
「どっちへすすんだらいいのかわからないんだ…!
 どうしたらいいのか、ずっと、世界が暗くて、何も、何も見えない!!」
「だから、落ち着けというに」
「これ以上何も…見たくない…っ」

 言葉通り、そのまま私は意識を失った。
 遠くで呼ぶ声に逆らい、走って走ってずっと走り続けた。



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