幕末恋風記[追加分]

□文久三年水無月 01章 - 01.3.2#有難くない信用
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 川のせせらぎや葉擦れの音は、私にいつも安らぎと緊張感を運んでくれる。先日はここで才谷と会って、今日は近藤と剣術の稽古か。日常の稽古と呼ぶには、今日のはずいぶんと危険な稽古だろう。

 降ろしたままの私の抜き身の真剣が、高く低く鳴く音が聞こえる。その声は自分を支配するものにはほど遠く、確かな力を分けてくれることを誓約する心地の良い音色だ。父様の形見でであると共に、私を守り続けてくれる愛刀は、数多の命を吸ってなお、透き通るほどの輝きを私に見せる。

 今日これが鳴くのは、何のためか。それが血を、命を求めるものでないことを祈りながら、私は正面を見据えた。目の前には私と同様に剣を抜いている近藤の姿がある。

「俺はさぁ、ずっと葉桜君に聞きたかったことがあるんだ」
「何をですか?」
「なんで、壬生浪士組(うち)にきたの」
 入隊して以来、何度となく言葉を変えてされた問いだが、今日はずいぶんと直球にくることだ。真っ直ぐに向かってくる近藤の感情が、私には心地良く響く。空気に溶けるように、全てが溶けて、私と世界が交わる。

「鈴花ちゃんを助けるために」
 これはただの建前だ。

「嘘だよ」
 見抜いている近藤を可笑しくもないのに、私は笑う。

「本当はどうなんだい?」
 本当のことなど、話せやしない。入隊当初は本当に近藤や土方らを助けるために、私は入ったつもりだった。だけど、これだけの強さを持つ人たちを前に、そんなことを口になんてできない。どうしてなんて、私が聞きたい。

 会話を打ち切りたくて、私から動いた。風に乗るように動くのが私の剣で、近藤は軽くそれを受け流す。数太刀を交えたあと、近藤の方から距離を取る。

「困ったね。葉桜君、やる気ないでしょ」
「近藤さんはずいぶんとやる気ですね。私を疑っているから?」
「自覚はあるんだ」
 そりゃ、自分でも不審だという自覚はある。

「俺がわかるのは、葉桜君が俺たちを仲間と見ているってことと、桜庭君を本当に大切にしているってことぐらいだよ。藤堂君や永倉君、斎藤君、原田君とも稽古してるだろ? その後、必ず桜庭君ともやってるねぇ」
 そこまでバレていて、私を疑わないという近藤は、笑ってしまうほどお人よしなのか。それとも、それだけの器を持っている人だということか。

「それに、芹沢さんも君をかってる」
「あの人が?」
 まさか、と純粋に疑問に思う。私はここにきてから、あの芹沢が道場にいる姿なんて、一度も見ていない。彼が私の実力を知るはずがないのだ。

「葉桜君は信頼できるとも言っていたよ」
 近藤はうそつきだ。

「あの人がそんなこと言うわけない」
 言うわけがないと、私は知っている。

「芹沢さんは私を嫌いなんだから、そんなこと言わないよ」
 私だって、あの人が嫌いだ。今の、芹沢が大っ嫌いだ。

 再会した時には、私だってわかってた。芹沢が名前と共に過去を、私を棄てていることなんて、わかっていたんだ。

 刀を鞘に納め、ゆっくりと近づいてくる近藤を前に、私は構えずに睨み付ける。近藤は何も言わず、私に頭から何かを被せ、身体ごと抱き寄せた。淡い優しい香の匂いに、不覚にも泣きたくなる。

「もうちょっとさ、素直になりなよ。葉桜君は女の子なんだからさ」
 私は柔らかく背中を叩かれて、嗚咽までもがが零れそうになる。だって、近藤の手はまるであの人のようだったから。

 そういえば、あの人もこうやって私を泣かせた。意地でも泣かないつもりだったのに、こうすれば見えないからと言って、普段は私をからかって遊ぶくせに、真逆の優しさで慰めてくれた。川のせせらぎのせいか、今の勝負のせいか、私は思い出してしまったじゃないか。

 溢れる涙の代わりに、私は声を押し殺す。泣かれていると近藤に気がつかれたくないのは下らない意地だ。

「そんなに声を押し殺して泣かなくても。誰にも言ったりしないからさ」
 あやすように、近藤は私の背中を叩く。

 ぽんぽん、ぽんぽん、とリズムが心地良くて、私は懐かしさが込み上げて。

「っう……ぇ……」
 零れ始めた私の嗚咽は、意地とは無関係に留まることを忘れ。

「……ぁ…………ぅぁ……ーーーっ」
 くぐもった音も流れた涙も、堪えてきた何もかもが流れ落ち、私に被せられた羽織に吸いこまれて消えた。

 近藤は不思議な男だ。普段はちゃらちゃらしているのに包容力があって、父様のように大きな存在感があって、とても安心できる。父様がいなくなった夜に泣いてから、今まで決して流さなかった涙を、簡単に私に流させる。

 こんな人が父様以外にもいるのだということを、この日私は初めて知った。







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