幕末恋風記[追加分]

□文久三年葉月 01章 - 01.5.1#ありえない推薦者
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 ぱちり、と碁盤の上に白石を人差し指と中指で挟んで置く。それを対岸から二人の打ち手が見つめていた。石を置いていない方の相手ーー永倉が小さく唸り声を上げる。

「なぁ、永倉」
 私が声をかけた永倉は普段よりも長い間を置いて、なんだと返してくる。だが、それもおざなりなのは明白だ。わかっていて、声をかけているから私もあまり気にしない。自分だって、先の手を頭の中でいくつも考えながら、適当に話しているだけだ。

「京都の神髄ってなんだ?」
 永倉が黒石を置くのに合わせて問いかける。そこに置くなら、私はここと決めていたので、白石を取り上げて、置く。碁盤上の勝負はほぼ互角だが、わずかに私が優勢だろうか。

「見てやがったのかよ」
「あんなところで騒いでりゃ、聞こえるに決まってんだろ。永倉は今お鹿姐さんが相手だって聞いてるけど、他の場所じゃないよな?」
 囲んだ黒石を取り上げて、私がお前の番だと顔をあげると、永倉は片手で顔を押さえ、必死に赤面した顔を隠そうとしていた。

「……オメー、なんでんなことまで……」
「お鹿姐さんに小一時間も惚気られちゃあ、知らないなんていう方が無理ってもんでしょ」
 返す言葉もない永倉は、指の間からちらりと私をのぞき見る。どうだまいったかと私が笑ってやると、永倉は軽いため息を吐いて顔を上げた。

「お鹿と葉桜が知り合いたァ思わなかったぜ」
 永倉がいうのも道理で、お鹿というのは大阪の花街の芸姑の名前だ。大阪で迷って倒れた私が知るはずもないと思ったのだろうが、こちらは永倉が身請した話をとある筋から得ている。

「ちっちっちっ、私の情報網をなめてもらっちゃぁ困るね。二月以上も住んでりゃ、地元の大半はオトモダチよ」
「そりゃ情報網じゃなくて、単に性格だろ。オメー、余計なことをお鹿に吹き込んでねェだろうな?」
「いわれて困るようなことあるんだ?」
 渋面する永倉を笑って、碁盤を軽く叩いて促すと仕方なしに永倉も黒石を指に挟んだ。

「ないとはいえねェからなァ」
「お、正直」
「……オメーなぁ」
「そろそろ進めてくれ。待ちくたびれる」
「自分で話振っといて、それかよ」
 やっと手が決まったのか、軽口を叩きながらも永倉も黒石を置いた。私も白石を取り、思うように置いてゆく。そうして、十数手も過ぎた頃、今度は永倉から口を開いた。

「オメーの流派ってどこだ?」
 どうやらお鹿さんの話題を変えようとしているらしい。

「唐突だなぁ」
「こないだ思ったんだけど、神道無念流以外にもいろいろ入ってねェ?」
「そりゃあ入ってるよ」
「……当然のように言うなよ」
「私に教えてくれる人が無茶苦茶だったらしい」
「らしい?」
「人に言わせると、ものすっごいいろんな流派混ざってるのに強いって変人なんだってさ」
 石を置こうとしたままの器用な体勢で止まったまま、永倉が顔をあげた。私を見る妙な表情に、思わず笑う。

「なんだそら」
「それと、まあ、もともと私が舞をやってたのも混ざって、もう更に目茶苦茶」
 すごいだろうと胸を張ると、呆れられるかと思ったのに深く感心されてしまった。

「ああ、そりゃわかる。オメーの剣は出鱈目なのにどっか綺麗なんだよな」
「……なんだそれ」
 今度はこちらが首をかしげる番だ。

「大陸の舞踊でもやってたか? 今度はそっちだけ見せてくれよ」
「んなもん、もう覚えてないって」
「お鹿の唄とオメーの舞でなら、いけそうじゃねェ?」
 調子に乗る永倉の頭に私は持っていた白石をひとつ投げたが、あっさりとかわされた。

「何がどういけるんだよ。てか結局、永倉がお鹿姐さんに会いたいだけじゃないか」
「はっはっはっ、そのとおりだぜ」
「威張るな!」
 もうひとつ投げたがこれも交わされ、後は互いに適当な軽口を叩きながら、勝負を進めた。結果は、引き分けで終わった。

「葉桜がこんなに強いとは思わなかったなァ」
「私も永倉が碁を打てるとは思わなかった」
「へっ、これぐらい当たり前だろ」
「剣と酒と女にしか興味ないと思ってたから」
 永倉を黙らせるのはなかなか楽しかった、というと妙な顔で舌打ちされた。

 碁を打っていたのは永倉の部屋で、そこから眺める庭の景色はあまり明るくない。

「なァ、葉桜」
「ん?」
「あいつ、元気だったか?」
 あいつというのがお鹿さんをさすのはわかった。永倉が身請した理由も知っているし、今は二人があっていないことも知っている。知っていての軽口ではあったけど、伝えたい事があったから私も話題にした。

「元気だよ。今は幸せだってさ」
「そう、かァ」
 大阪での芹沢の横暴は、力士との乱闘だけに留まる話ではなかった。その後遊郭吉田屋で芹沢が求めた芸妓小寅がそれを断り、仲居であったお鹿共々髪を切られたという話がある。女にとって髪は命。鈴花は別として、大抵はそんなに髪を短くしては嫁ぐことは叶わない。

 人気芸妓小寅はともかくとして、ただの仲居だったお鹿には当てもなく。彼女に惚れていた永倉は、それを機に彼女を身請し、求婚した。だが、お鹿自身が断り、結局他方へ嫁いでいった。

 私は懐から紅葉を象る簪を取り出し、永倉へと渡す。黒漆に赤漆で紅葉を塗られた、見事な品だ。

「言伝を預かったよ。ごめんなさい、それから有難う、と」
 私は隣を見ずに、部屋を出た。永倉からは何も声をかけられなかったが、私は障子をしめて歩き去る。

 声を殺してむせび泣く声が聞こえた気がしたが、私は聞こえない振りをした。



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