幕末恋風記[追加分]

□元治元年長月 05章 - 05.7.2#選択
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 土方と話した後、私は主不在の山南の部屋でいつものように書を読みふけっていた。片手では先日貰った更紗眼鏡を弄びながらも、意識の大半は本にのめり込み、時折手元で聞こえるサラサラという音も人の声に聞こえるようで、余計に意識が入り込んでしまう。

 それでも知らない者が来たらすぐに気が付くのは癖みたいなものだったのだが、気づけないようになったのは新選組に来てからだ。ここの幹部は皆気配を消しなれていて、私には読みづらくて困る。

「葉桜君」
「ひゃっ!」
 耳元で囁く吐息で我に返り、私はそれをした人物を振り返りざまに怒鳴りつけた。

「なにするんですか、山南さんっ! そういう声のかけ方はらしくないですよ!?」
「ははは、あんまり集中しているようだから、つい、ね」
 少し休憩して、お茶でもどうだいと山南に誘われ、私は山南に向き直る。その間にお茶を淹れてくれる男の顔をじっと観察してみると、その顔は少し前までと違い、どこか晴れやかに見える。ここのところ伊東らと話している姿も見かけるようになった影響だろうし、以前のような笑顔も増えたことも嬉しいことではある。だけど、やっぱりーー。

「むー」
 まだ違うと、私の中の何かが否定する。試衛館の者らは繋がりも深いし、私はそれを断ち切るつもりもないが、山南は優しすぎるから、土方らとの確執を完全に取り除くことは出来ないだろう。

 どうしたんだと尋ねてくる山南に私は首をふって返す。口にしたところで、山南自身もわかっているようだし、私に何ができるでもない。代わりに私は違う話題を山南にふることにする。

「今日、土方さんと仕合したそうですね。いいなぁ、私も見たかったなぁ」
「見ていたんだろう?」
「あは、丁度用事で留守にしてたんですよ」
 私の言葉に山南は少し寂しそうに笑う。

「葉桜君は、見ないで良かったかもしれないな」
「そんなことないですよ。土方さんと山南さんの勝負なんてそう見られるものじゃないのに惜しいことをしました」
「そうかな」
「そうですよ」
 目があった山南に私が笑いかけると、彼は戸惑い、瞳を揺らす。

「その後で、土方君は講義も聞いていったんだ」
「そのようですね」
「……葉桜君は、私の講義をいつもどう思って聞いているのかと、気になった」
「山南さんの講義は良い講義ですよ。とても、理想的で」
 私は一言一言を区切るように、囁く。

「土方君はいい顔をしていなかったが」
「そりゃあ、そうですよ。土方さんは新選組ですから」
 戸惑いの伝わってくる山南に、私はふわりと笑いかけた。

「山南さんも土方さんも、どちらも間違ってないと私は思います。今は伊東さんという味方だっているから、山南さんは孤立もしているわけじゃないでしょう。だけど、山南さんはそれじゃ納得できない」
 私が目を合わせた山南は、揺るがずに真っ直ぐ見つめ返してくる。

「誰も何も間違えたワケじゃない。ただ一つの選択が異なるだけだと私は思うんです」
 私は、このままでいられる未来はないのかと何度も願い、考えた。だけど、どれだけ私が考えてもここに集まった者たちはとても心が強くて、その信念が固くて。私一人で変えられるようなものじゃない。

 何かに驚いている様子の山南の大きな手が私の頬に触れ、濡れる。

「どうして、葉桜君が泣くんだい?」
「ははっ、変ですね。哀しいコトなんて何もないのに」
 今の新選組は強い。これからさき長くは続かないだろうが、とても勢いのあるときだ。だからこそ山南も、もう新選組が今の道を戻ることなど出来ないということを感じているのだろう。

 涙を拭こうと私が自分の懐へ手を差し入れようとすると、山南に肩を引き寄せられ、私は簡単に身体を山南の胸に倒されてしまう。

「私は、武力というものが唯一の方法だとは思えない。いや、思いたくもないんだ」
 山南の言うことは正しいし、私も武力が唯一とは考えていない。だけど、今の世の中でそれは通用しない。力を持たない者から見れば、それは持っている者の詭弁にしかならない。

「多分、私は剣よりも書物の方が似合っているのかもしれないな」
 だけど、それを私が言うわけにはいかない。山南の考えを変えられるほどの持論を私は持たないからだ。

 私は山南の胸からのろのろと身体を起こし、彼を見上げて、へらりと笑う。

「そうですね。山南さんは剣を手にして生きるよりももっと穏やかな道の方が合ってるのかもしれません。今みたいに穏やかで聡明な塾長先生で、子供たちにも好かれていて。小さな塾を切り盛りしている夫婦なんて似合うんじゃないかな」
「もしも私が鈴花ちゃんみたいな女の子だったら、隣でいろんな手伝いをしたり、疲れた旦那さんの肩をもんであげたり。美味しいゴハンを作ってあげたり、他にも色んなコトをしてあげられるんですけど」
 今更性格は変えられませんからねぇ、と私が笑いかけると、山南は原田みたいな調子で照れていた。

「料理はともかく、他のことは手伝ってくれると助かるよ。葉桜君こそ、小さな塾で塾長をしているのが様になりそうだからね」
「そりゃあ、これでも元道場主ですし、うちは文武両道を掲げてましたからね」
「ああ。そういえば、そう、だったね」
 戸惑っている山南はなんだか面白くて、私もくすくすと笑いが零れる。こんな風に心穏やかに過ごせるようになるには、あとどれくらい時間が必要なのだろう。

「この先、もしもそういうことがあるとしたら」
「え?」
「その……私がこのまま塾を続けるとしたら、葉桜君は共に手伝ってくれるかい?」
 山南に両手を包み込むように抑えられ、私はじっと両目を見つめられる。

「そりゃあ、新選組にいる間は手伝ってあげますよ」
「いや、そうじゃなくて」
 なんと言ったものか考えている山南の様子で、鈍い私も気が付く。

「もしも私が」
 山南が続ける前に、私は咄嗟に頭を突き出していた。

「っ!?」
「痛っ!!」
 驚いた山南に離された手で頭を抑えつつ、私は同じく痛がっている山南を上目遣いに見上げる。

「ご、ごめんなさいっ! 用事思い出したっ!」
 また再び掴まることのないように慌てて、私は山南の部屋を出る。だけど、沖田のようには上手くいかなくて、私は後ろから山南にしっかりと抱きしめられてしまって。私の肩口にかかる山南の息が熱くて。

「逃げないでくれ」
「や、山南さん……離して、くだ、さい」
「やはり……」
 山南の小さな声に今応える言葉を、私は持たない。だから、言う。

「私は、山南さんが大切です。無くしたくないこの想いだけは真実、誠の心だと自信を持って言えます」
 体の前に回されている山南の腕を、私はきゅっと握りしめる。でも、縋りつくような資格は私にない。

「私が言えた義理じゃないですけど、山南さんには一番幸せになって欲しいです」
「葉桜……」
 緩んだ山南の腕の中から、私は今度こそ抜け出す。だけど、もう振り返らないで、笑顔を作り、声だけを返す。

「山南さんの想いが生きられる道、私がきっと作ってみせます。だから、最後まで諦めないでください」
 そのまま駆け去ったふりをして、私は曲がった角で壁に背をつけ、座り込む。子供みたいに膝に顔を埋めながら、私は山南の呟きを聞いた。

「……やはり、駄目なのか」
 私が入隊したときから公言していることを知らない者などいない。それは山南も例外ではない。

「君は、私を選んではくれないんだな」
 山南の寂しい声を聞きながら、私は強く目を閉じた。

 山南のことを私は新選組で誰よりも好きだ。だけど、恋愛感情じゃないし、そうであってはいけない。隣で生きる未来など、私に見る資格はないのだから。





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