幕末恋風記[追加分]

□(元治元年霜月) 06章 - 06.1.2#変わらないコト
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(服部視点)



 この新選組で鍛錬をしていて、俺はふと不思議に思う。共に鍛錬をしている以上、多少なりと剣筋に影響が出るものだ。だが、葉桜さんの剣は誰にも染まらず、ただ高ヲるだけで辺りの空気を澄み渡らせるような気がする。血生臭いのは当然のハズなのに、葉桜さんの剣にはそれがなく、ただ澄み渡る氷の面のようで。

 俺は熱心な信奉者というほどでないにしても、葉桜さんの放つ空気を知っている。ここではなく、神社といった霊場の気配ととてもよく似た気配だ。

「服部さん、考え事しながらなんて珍しいね」
 藤堂くんの剣を受けながらだったので、俺は不満げに言われてしまった。たしかに今朝の葉桜さんについては、鍛錬の最中に考えるコトじゃない。

「すまない」
「俺は構わないけど、そんなに気になるなら行ってきたら?」
 木刀を収めた藤堂くんが、道場の外を指す。

「葉桜さん、そろそろ戻ってる頃だから」
 俺は驚いた。まさか、藤堂くんにそこまで気が付かれているとは思わなかった。

「あの人、顔広いし。大抵のことは解決してくれるよ」
「……え、ああ。そういうことか」
「え?」
 どうやら俺が葉桜さんを気にかけている理由を、藤堂くんに気が付かれているというわけではないらしい。

「じゃあ、そうしてみるよ」
 今朝の別れ際の葉桜さんの顔を見てから、俺はどうにも気分が落ち着かない。藤堂くんの言に素直に従い、俺は道場を後にした。そして、迷うことなく葉桜さんの部屋へと足を伸ばす。もし葉桜さんがいないとしても、俺は彼女がいつも座る縁側辺りで待たせてもらえばいいと思っていた。今はただ、葉桜さんにあって、話をしたかったから。

 屯所内、葉桜さんの部屋の周辺だけは空気が違う。人を安心させるような気配は葉桜さんの生来の特質だろうか。

 角を曲がり、あとはまっすぐ行けば局長室で、その手前が葉桜さんの部屋だ。よく部屋の前にいるという葉桜さんの背中が柱に寄りかかっていることに気が付き、俺は立ち止まる。葉桜さんは背中をピンと伸ばし、両目は閉じたまま右手を俺に向けて開いていて、そこから動くなと無言で指示する。

「あーぁ、もう来ちゃった」
 俺の耳に、楽しげな葉桜さんの呟きが聞こえた。それから俺を見た葉桜さんは、朝の様子が嘘に思える笑顔で笑いかけてくる。

「来ると思ってた」
 普段から葉桜さんは笑顔を絶やさない人だし、それにはいつも人を呼び寄せる感じがあるのに、今俺の足は葉桜さんに向かって踏み出せずに留まる。葉桜さんは笑顔だけれど、彼女が纏う空気の最奥に、俺は見え隠れする拒絶を見た気がして、ひどく驚いていた。だけど、その後の葉桜さんの行動はまったく違っていて、俺に向かって両膝を揃えて座り直し、深く頭を下げる。

「今朝はすまなかった」
 驚いている俺の前、葉桜さんは顔を上げずに続ける。

「服部さんの言った人のこと、私、知ってるんだ。私を育ててくれた人で……もうずいぶん前に亡くなってる」
 ゆっくりと葉桜さんが顔を上げると、先程の拒絶する笑顔ではなく、今朝と同じ泣きそうに柔らかな笑顔、だ。春の日の桜ように、見るものの胸に訴え、切なくさせる笑顔だ。

「久しぶりに父様の名前を聞いたから動揺しちゃってね。ははっ、まったく人騒がせな性格だ」
 いっそ大げさなぐらいに、葉桜さんは笑い続ける。

「葉桜さんの養い親だったのか。だから、剣に彼の姿が見えたのかな」
「そう、かな。そんなこと言われたのは初めてだよ。だって、私は剣を教わったことはなかったからさ」
 葉桜さんの笑顔の眦が僅かに下がる。

「教わってない? そんなハズは」
「仕合はしてくれたけど、まともに教えてくれたことなんてないよ」
 俺からすれば、それは明らかに稽古というものではないのだろうか。

「剣の、木刀の持ち方を教えてくれたのは別の人で、それまでは見様見真似どころか、私はまともに子供用の木刀を持つことだって出来なかったんだ」
 子供用でも持ち上げられないほどの歳で、葉桜さんは剣を持ったのだと言う。

「それまでは舞扇しか持ったこともなかったから、体力がつくまでにもずいぶんと時間がかかった」
 懐かしむ瞳が潤んだと思うと、葉桜さんは素早く立って、俺から背を向けてしまう。

「父様の剣なら、服部さんの方が使えるよ。私にはできない」
 だから、俺の知る人の剣と葉桜さんの剣が重なって見えたのは、俺の間違いだと断言する。そんなはずはないと言おうとした俺の言葉を、葉桜さんが遮る。

「剣に父様が見えるなら、ここにも現れてくれたらいいのにね」
 葉桜さんは虚空に両手を差し伸べて、空気をそっと抱く。まるでここにその人がいるように、それを願う仕草は普段の男らしさなどまったくなくて、ただ一人の小さな少女が俺には見える。

「ここにいてくれたら、私はーー」
 葉桜さんはそのまま霞んで消えてしまう気がして、俺は彼女に駆け寄り、その体に手を伸ばした。だが、俺の手と葉桜さんの間は、艶やかな布で彼女が覆い隠されてしまって。

「ただいまぁ、葉桜ちゃん〜」
「お、あ、あぁ。おかえり、烝ちゃん。早かったね」
「葉桜ちゃんとお出かけしようと思ってぇ、急いで終わらせてきたのぉ」
 葉桜さんが抱きついてきた山崎くんに動揺したのは最初だけで、あとは慣れたように山崎くんをあしらっている。そこに浮かぶ笑顔は先ほどまで俺が見ていたものと全く違っていて、同じように笑顔なのに全然違うっていて。

「あー、そういえば、山南さんに呼ばれて」
「敬ちゃんなら、さっき外で会ったわよ」
 俺や他の隊士に見せるよりも年相応な笑顔を見せる葉桜さんは、やはり女性なのだなと俺に思わせる。

「じゃあ、原田に」
「午後から当番だって、寝てたわね」
「ええと……あ! 服部さん、私に何か用あったんだよね!?」
 必死に山崎くんから逃れようと俺に救いを求める葉桜さんは、さっきまでと違って現実味があって、可愛らしい。目で訴えてくる葉桜くんの様子に、俺はますます笑ってしまう。

「葉桜さんに稽古の相手をしてもらおうと思っていたんだけど、忙しいなら」
「ほらぁ、ねっ?」
 山崎くんが顔を近づけ、葉桜さんに何かを囁いた。何を言ったのかわからないが、瞬時に先ほど俺と話していた時と同じ空気が葉桜さんを包み込む。その笑顔も、変化する。

「あは、何言ってるの。何もないよ」
「本当?」
「大体、この私に勝てるヤツはなかなかいないよ」
 山崎くんは胸を張る葉桜さんの頭をぎゅっと抱き込んで、何かを囁いて、そしていなくなった。残された葉桜さんは、無邪気に俺に向かって微笑む。

「成り行きだけど、一本だけやらない? ここで寝てたらまた烝ちゃんに掴まっちゃうし」
 賭け事すると面倒になるんだとカラカラ笑いながら、葉桜さんは俺の横をすり抜けざまに俺の手を取る。葉桜さんの手は俺が思わず眼を見張るほど冷たくて、考えていたよりも小さな手で。俺が握りかえしたら、葉桜さんは一度目を大きくしてから、華やかな笑顔を見せてくれた。

 今度は子供のままというような葉桜さんの笑顔は、見るだけで俺の心も温かくなり、先ほどとは別の意味で不自然さを誘う。この新選組にいて、仕事とはいえ人を斬り続けて、変わらずにいることなどできるのだろうか。もしかして、葉桜さんは既に壊れているのではーー。

 不意に立ち止まった葉桜さんが空を見上げる。俺がつられて視線を移すと、空にはただゆるやかに雲が流れてゆくばかりだ。

「……このまま、時が変わらなければいいのに……」
 葉桜さんの小さな呟きを聞いて、俺は視線を戻す。葉桜さんは気が付いていないのかもしれないが、その横顔はさきほどのように空に消えてしまいそうで。俺がもう一度強く手を握り返すと、葉桜さんは再び開花する花のような笑顔を俺に見せてくれた。

 壊れていたら、きっとこんな風に感情豊かにはいられないだろう。だから、まだ葉桜さんはここにいて、そして足掻いている。

「そうだね」
 俺が同意を口にすると、葉桜さんは今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。




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