オリジナル

□三作目二話
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外廊下を歩く音が微かに響き、そしてインターホンが鳴る。
玄関のドアが開けられ、聞こえてくるのは母親と来訪者の二言三言の会話。


それから…

「こたー入るぞ」

部屋の扉を隔てて、龍之介の声。

「うん」

簡単に返事をすると、龍之介が部屋に入ってきた。
もう既に入浴を済ませたのか、いつもきちんとセットされている髪は、動くたびにさらさらと揺れていた。


「何読んでんの?」

ベッドに横たわり、漫画を読み耽っていた虎太郎の脇に、龍之介も腰掛ける。
わざと勢い良く座った龍之介に、ベッドのスプリングが面白いようにバウンドした。
つられてベッドに横たわる、虎太郎の体もバウンドする。
上から覗き込んできたので、虎太郎は苦笑を浮かべながら読んでいた漫画を差し出した。

「マンガだよ。高尚な文学作品などではございませーん」


龍之介は笑いながらぱらぱらとページを捲った。
が、すぐに本を閉じて虎太郎に返してしまう。
虎太郎も龍之介がやって来たのに、漫画の続きを読もうとは思わない。
返された漫画を枕の横に、ぽんっと放った。

龍之介が活字中毒者で、漫画より小説の方を好む事を虎太郎は知っている。

勉強も出来、明るく社交的、優しく責任感もある龍之介。
本来は『優等生』との肩書きを得るはずの人だった。
実際、幼稚園や小学生の頃は『優等生』で尚且つ容姿も良い龍之介はお母様方のアイドルだった。


二人は同学年、と言ってももちろん誕生日までが同じであるはずもなく。
虎太郎の方が数ヶ月先に誕生日を迎える。
にもかかわらず、しっかりしていて責任感もある龍之介はまるで虎太郎のお兄ちゃんのようであった。

それぞれの両親たちも子供の頃は兄弟のように扱っていたように記憶している。
お互い一人っ子と言う事もあって、一番の親友であり、唯一の兄弟のようにも思っていた。



元来『優等生』気質の龍之介が『不良』という肩書きを付けられるようになってしまったのは。
やはりどう考えても、虎太郎へ向けられた正義感や責任感と言った性格が、悪い方向へ進んでしまったとしか考えられない。
そしてそれがあるからこそ、仲間を裏切り抜け出せない今の状況にもなっていた。



「こた…」

龍之介の、ケンカを繰り返している割には滑らかな手が、虎太郎の頭を撫でる。
日本人にしては色素が薄い虎太郎の髪は、自然に濃い茶色をしている。
昔はその事でもイジメを受けた事がある。
その度に龍之介は笑って「おれはこたの髪、好きだよ」と頭を撫でてくれたものだった。


現在高校に入学して、イジメを受ける事はない。
けれど龍之介から『振り』を受ける。
それは今の二人を支える関係だったけれど。


龍之介は虎太郎に暴力を振るった『振り』をした日は必ずこうやって虎太郎の部屋にやってきて。
濃茶の髪に指を絡め頭を撫でるのだ。

龍之介は虎太郎を学校ではゴミ同然のように扱う。
それを謝る事はない。
虎太郎が結局は龍之介をこの生活に引きずり込んでしまった事を謝れないのと同じように…


昔から、ずっと追いつけない龍之介との体格の差。
けれど虎太郎は、龍之介の大きな手に頭を撫でてもらうのが好きだった。

今は『ゴメン』も『ありがとう』もいらない。

お互い必要としていなかった。
ただ、お互いが傍にいればそれで良かった。

「今日は出て行かなくていいの?」

虎太郎が心配そうに見やれば、龍之介はふんわりと笑んだ。
龍之介の本来の笑顔はこうなのだ。
虎太郎は見る度にほっと肩を下ろして安堵する。

人は変化する。
そんな事は虎太郎も承知だ。
けれど変わらないものもあると信じたい。

せめてこんな時だけは、昔のままの笑顔を。

「今日はいいんだ」

龍之介は深夜遅くに帰ってくる事がある。
それは虎太郎が窺い知る事の出来ない世界だが、想像はついた。

龍之介の両親が心配している事も、虎太郎は知っている。
けれど龍之介が学校での成績を落とす事はなかったし、家庭での素行はすこぶるいい。
何より、親よりも龍之介の事を理解しているであろう虎太郎が笑顔で『大丈夫』と言えば。
両親とて「こたちゃんがそう言うのなら…」と納得せざるをえない。


高校生になった息子が少々夜遊びを覚えた。
と思っている程度なのだろう。
まさかこの地域を牛耳っているグループのトップだなんて考えもしない。


「じゃあ今日は、おれだけの龍ちゃんだ」

龍之介は未だ横たわる虎太郎の上に覆い被さり、ぎゅうっと抱きしめた。

酷く安心した。
虎太郎が未だ笑顔を見せ、全幅の信頼を寄せ甘えてくれる事に、安心する。
それが龍之介のアイデンティティーですらあるのだ。
学校での虎太郎は、龍之介の前であまり笑顔を見せてくれない。
それ所か時々本気で怯えた目で、龍之介を見る事もある。

それは当然の事であるにしても、龍之介の根幹が揺らぎそうになるのだ。

『荒れていた』というと、少し語弊がある。
ただ虎太郎を守ってケンカを吹っかけてくる輩を相手にしていたら、いつの間にやらそちらの世界で有名になり。
そしてあれよあれよと祭り上げられ、今の状況に至る。


その頃から狭かった世界が急激に広がった。
興味もあったし、自分を慕ってくれる人間たちを無下にできる性格でもなかった。
龍之介は自らその世界に身を置いた。
それはそれで楽しかった。
体を動かす事は好きだし、ケンカ自体は嫌いじゃない。
正義の鉄槌なんて気取る気もないけれど。


それでも。
その世界に虎太郎は存在しない。

虎太郎をこの世界に引き込もうという気も更々ないのだけれど。

時々、大勢に囲まれながらもたった独りのような気がしてくる。
虎太郎がいないという事実を、まざまざと感じる。

「苦しいよ、龍ちゃん!!」

けたけたと笑う虎太郎を、龍之介は更に力を込めた腕で抱きしめた。

「こた分チャージしてんの」
「何それ〜」

笑う虎太郎の腕が龍之介の背に回る。

「じゃあおれも、龍ちゃん分チャージ」

二人で共に笑い合える。
他人にとって、それは些細な事であるかもしれない。けれど二人にとってそれこそが大切な事。
安心できる場所。


「虎太郎、龍ちゃん、夕ご飯できたけど、どうする?」


部屋の外から虎太郎の母親の呼ぶ声。

龍之介は虎太郎を抱きかかえたまま、ぐいっと身を起こし、下から覗き込むようにしている二つの茶の目を見返した。
それがゆっくりと細められる。

「今日はカレーだって。食べてくよね?」
「食べてくよ。今日はこたの俺らしいし?」
「何で疑問系なんだよ!!」

龍之介は不貞腐れる虎太郎を宥めながら、連れ立ってリビングへと向かった。
二人にとって、そんな当たり前の日常だった。







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