ウツクシイカゼ

□3rd day
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目が覚めたときにはすっかり明るかった。



頭いてえ。
伸びをして起き上がる。名残惜しい、サラサラの真っ白なシーツ。ベーコンの焼ける、いい匂いがした。

「あらおはよう、酔っ払いさん」
「おはようございます。ご迷惑を…」
「はは!荒れてたね!キヨ、恐かったわあ」

ほぼ朝まで付き合わせてしまった、チームメイトであるライアンはまだ寝てる。陽気に笑うのはその奥さん、レイシーだ。


手渡された皿を、オレンジ色のテーブルクロスに並べていく。

「でも本当、久しぶりよね、キヨのほうから誘うなんて!うちの旦那喜んじゃって。大変だったでしょ、運ぶの」
「うん楽しかったよ、おかげさまで。久々にあいつの踊り見た」

例の下手くそなハラオドリね、と顔を見合わせて笑う。

「最近ちょっとは落ち着いたのかなって思ってたのよ、キヨ。あんたのデタラメな生き方」
「そう?」
「そうよ!サッカー取ったら何も残らないダメ男さん」
「だね」
「ほら!前は、そうやってすぐ納得しちゃってたでしょう。この国に来てすぐの頃」
「…今も、反論はできないけど」
「でも、よ。チームの調子も良いし、あの記者の彼女もできて。趣味もできて、キヨは変わったんだなって思ったわ」

ベスのアトリエで絵を描いてるって聞いたよ、とグレープフルーツジュースを注ぎながら言った。
そんなこと、ライアンにも話してない気がする。
千鶴もそうだけど、彼女たちはいつの間にかなんでも知ってる。オソロシイな。

「だから、昨日はちょっと驚いた。何かあったの?」
「…相変わらずだよ。泊めてくれて、ありがとう」

メシ食わせてもらってシャワーまで借りたら、けっこういい時間になってた。
まだ寝てたライアンを起こして、一緒に練習に出掛ける。


「いってらっしゃい」

いいな、起きたらいっしょに食事して、いってらっしゃいって言葉で送り出す朝。子供のころにも経験はないから懐かしさはないが、きっとどこかで憧れている。


そういうことを中途半端に口に出すから、どこかの女とか男とかが張り切ってあなたの家に住み着くのよ、ってこないだレイシーに笑われたんだった。




グラウンドに着くと、チームメイトも何人か来ていた。

小学生の頃から、やりたいプレーやイメージは常に頭のなかにあった。
体や実力が追いついてないだけで、やればできるという手応えをいつもはっきり感じていた。
この緑のピッチでどこまでも、思い描くサッカーを好きに追い求めていられた。

怪我はしんどかったけど、いろんな面でいい機会だった。
体を鍛え直せたし、プロに入ってゆっくり経験を身に付けた。海外に来て可能性はもっと広がった。

小さな外国人選手に対する信頼を、2年かけてなんとか得た。おれを理解してくれている優れた選手に囲まれて、日本にいてはできなかったプレーができる。
全員が桁外れのスピードでよく動く。ボールを持ったら躊躇なく前に出る。お互いの速さや個性を把握してるから、どんなパスを回せばいいか、すぐに判断できる。

こんなに気持ち良いこと、ほかに無い。


今年も優勝を狙ってる。今のチームなら、きっと。



* * *




そうだユタカと約束してたんだった。

着替えを取りに戻ったベンチで鳴った携帯の音で思い出す。

『今日、何時ころまでやってる?』
「決めてない。合わせるよ」
『そっか、おれまだ用事終わらなそうで』

じゃあまた連絡する、と電話を切った。
やっぱ何か用事、あるから来てたんだな。

夜、あの広場で待ち合わせをすることになった。
ランニングがてら走って行くことにして、スニーカーの紐を締め直す。
スタッフに挨拶をしてロッカールームを出たのは、いつものごとくみんな帰った後だった。


すっかり陽が沈んだ広場の、白いベンチの向こう。よく見かける散歩中の犬に構ってる、茶色いくるくるの髪の毛を見つけた。


なんて声掛けようか、ちょっと思いつかない。
あえてユウちゃんとでも呼んでみようか。そしたらキッチリ怒って、二度と会いになんて来ないかもしれないな。

小さい頃、近所に住んでるあの子は女の子なんだって思いこんでた。
あいつのじいちゃんはアメリカ人で、ユタカって発音が難しいらしくユウって呼んでた。
だからっていうのもあるけど、今は茶色の髪の毛も、当時はじいちゃんそっくりの金髪で肌は真っ白。真っ赤な唇でぱっちり二重のくりくりした目に睫はバサバサで、どうみても女だった。
よく泣いてたし。

だから幼稚園で、あいつが男子トイレに入ってきたときは、男子一同びっくりした。
間違えてるぞユウちゃんって皆で大真面目に言って泣かせて、先生に叱られた。



いい案が出てこないまま突っ立っていると、ユタカがこっちに気づいて手をあげた。

「おつかれキヨー!いたなら声かけろよなー」

言いながら駆け寄ってきて、また背中を撫でる。なんだか気に入ったらしい。

でも今日は走ってきて汗かいてる。一応シャワーは浴びて出てきたけど、一歩引いて距離をとる。
それなのにこいつは、一歩踏み出して背中に手を回す。

「いい匂い、キヨ」

今日もみごとな宇宙人っぷりだ。
明日。明日だ。なんの気なしの気まぐれが日本に帰る。
それまで耐えろ、おれ。

首筋に鼻を寄せるユタカの襟首を掴み、引きはがして歩き出す。
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